Sep - 1st
夏休み最後の日は親も大変
Posted at 4:10 pm | Filed Under Education, Family
今の小学校では、夏休みの宿題、たとえば算数とか漢字のドリルなどは、親が採点するようになっている。厚紙に印刷されたカードにドリルをやった日付と点数を記入する欄があり、そちらに親が点数を書いて提出するのだ。
20年くらい前は、採点するのは教員の仕事だったはずだ。ずいぶんと世の中も変わったものである。
こうなると、8月31日までめいっぱい遊んでいた子供を持つ親は大変である。夜遅くまでなんとか宿題を終わらせても、その後でこのたまりにたまった宿題を採点をしてやらないといけないのだ。うちの場合、なんだかんだと採点できるようになったのが夜遅かったので、結局夜中の2時までマルやバツをつけるはめになった。
確かに30人もの生徒の宿題を採点するのも大変だろうが、仕事なのだから可能なスケジュールを引っ張って作業すればいいことだし、これがいったいなぜ親の仕事になっているのかよくわからない。ゆとり教育とはよくいったものである。
Mar - 12th
ブログを書く人、書かない人、書けない人たち
Posted at 10:13 pm | Filed Under Books, Education, News, Wikipedia
スタンリー・フィッシュのブログがニューヨークタイムズ(ヌータイ、と略すとスポーツ紙テイストになる)のサイトで公開されているので、ときどきふーんと流し読みする。別に感想とかはないんだけれども、スタンリー・フィッシュといえば、それはもう筆者のような世代にとっては断然テリー・イーグルトンなわけで、彼のサイトはないものか探してみたが、Wikipediaからリンクされている大学のサイトくらいしか見つからなかった。今はマンチェスター大学で教えているとのこと。どうやら本人はあまりこういうパソコンとかは好きではないらしい。自伝『ゲートキーパー―イーグルトン半生を語る』で多作が悩みであると語るだけに、書いたら書いたできっと面白いものが読めるだろうが、研究者という彼の立場を考えると、そんな書き物より研究ともっとまとまった著作に時間を費やしてもらう方がありがたい。
フィッシュと並ぶイーグルトンの敵(二項対立イエーッ)、リチャード・ローティも特にそういうのはやっていないみたい。
著名な哲学者のブログってどんなのがあるんだろう、と調べてみて、二人目にデリダをググッて「あれそういえばもう死んじゃってたっけ」と気づく。リオタールもクワインも亡くなってるのね。トマス・ネーゲルも書いてないみたいだし、スラヴォイ・ジジェクもない(リンク先はドキュメンタリーのトレーラー)。結局見つかったのは
ジュリア・クリステヴァ(うーん別に見たくはないなあ)。
Feb - 4th
無知
Posted at 2:42 pm | Filed Under Education, Family
うちの前に福祉園という障害者施設があって、作業をしたり、ヘルパーの人と散歩したりする人たちの姿を毎日見ている。ときどき、嬉しいときに大声で叫んだりする人もいて、息子も最初は驚いたりしていたようだが、今ではすっかり慣れたようだ。バザーのときには、かみさんがクッキーなんかを買ってきてくれたりする。
ところが、ああいうところで売っているものを食べるのなんか嫌だという人も世の中にはいたりする。誰かがヤク中のオッサンみたいにだらだら涎を垂らして鼻くそでもほじりながらパンを焼いたりしていると思っているのだろうか。実際には、監督者の下でみんなが与えられた仕事をきれいな作業場でやっていたりするのだが、見たことがないから知らないのだろう。あるいは、いわゆる健常者が3秒以内なら落としたものでも平気で使っているようなひどいお菓子工場を知っているから、健常者のやることだから施設の人たちだってみんなやってるに違いないと思っているのかもしれない。それはそれで悪くはない考え方だ。
最近うちの近所でも老人施設の訪問が始まっているらしいが、障害者施設も近所の幼稚園や小学校と交流して、子供らに体験学習させているのはとてもいいことだと思う。なぜなら、お母さん連中の中には(お父さん連中の意見を聞く機会がなかなかないのでそれしかわからないが)、うちの近所の障害者施設のことをとても怖がっている人もいるようだから。
かみさんが要望を出していたが、まだ受け入れられていない。老人施設にしても、小学校に和室があるのでそこをサークルの茶室にしているだけで、実態はとても交流とは呼べないものだ。こちらもかみさんが意見書を出していた。
恐怖感というのは、それが実際に身の危険に関わる反応(高いビルから下を見下ろすと体がすくむ、歩道のない道路の脇を歩いて車が近づいてきたら立ち止まるなど)でない限りは、基本的に無知や蒙昧からくるものだ。これは差別にも共通するのだが、むやみに何かを怖がる人やあからさまな差別をする人は、その対象についての知識が極端に不足していることが多い。同性愛者を忌み嫌う人が持っている同性愛者についての知識は、テレビに出てくる不気味ないわゆるニューハーフくらいが関の山で、それどころか、同性愛者と小児性愛者を混同しているなど、お話しにならないほど実態とかけ離れたイメージしか持っていない。
もちろん、知らないこと自体は単なる生活の中での小さな過失でしかないのだが、どんな過失も長年続けていればブタ箱行きだ。
また、人間はおのれに都合のいい情報を積極的に収集するという、生活知というか、快適な生活のための無様な習性というようなものが備わっていて、無知や差別という自己省察を避けるためには嘘ばかりの情報を互いに交換し合って、障害者施設の食べ物は汚いだの、幼児にイタズラをする変態の同性愛者が大勢いるだの、そんな裏付けのない情報を溜め込んで恐怖に打ち震えるふりをして、形骸化してしまった精神生活をなんとか住める程度に保っている。つまり、飛び交っている情報の量は多いのだが、まるで話者と話者しかいないみたいに、お互いの出している情報はもはや別の次元の価値しかないものになっていて、そこで交わされているはずの会話の話題となっている存在の実態についての考察はもうどこにも入り込む余地がない。
ところで、互いの話を聞かないことについては知的な連中にしても同じことで、互いに論戦している右翼は左翼の本など読まず(表紙と帯と献辞と前書きの一部は除く)、左翼は右翼の本なんかバカをより深く知るための資料としてしか読まない、といったら、これも実態とかけ離れた妄言なんだろうか。
Feb - 4th
Listen, little men!
Posted at 2:36 pm | Filed Under Education, Family
日曜日に子供と遊ぼうとしたら、あんまりいい顔をしない。ボールを投げてやっても、すぐにふてくされてゴロゴロ転がるし、なにをやっても駄目だ。挙げ句の果てには、「お友達に電話して、誰かいたらその子と遊びに行こうかな」などと言っている。
いろいろ話を聞いたりしたが、理由はいたって簡単だった。母親曰く、「お父ちゃんは体が大きいから怖い」のが理由だそうな。息子は背が120cm足らずで、こちらが190cm。無理もない、という見方も出来るが、それを言われても困るというところでもある。お前はこれからもある程度なら背も伸びていくのだろうが、こちらはせいぜい老化現象でいくらか縮むくらいしか歩み寄りは期待出来ない。自分の力で解決することが出来ないのは大変もどかしく、苛立たしいものである。
結局、子供もなんだか居辛そうに通信教育のおもちゃをいじっているし、そんな様子を見て子供の母親(妻ともいう)は不安で一杯の犬みたいな顔になってしまい(注:犬は基本的にかわいい動物だから、これは別に一方的な悪口や悪意的描写ではないよな)爪を噛んでいるので、こんな崩壊家庭的な雰囲気に耐えかね、Bloggerに変なJavascriptを追加するのはやめて外に出て子供と遊ぶことにした。午後2時を少し回ったところで、そんなに寒くはなかった。この冬の東京にはまだ雪が降っていない。妻がいうには、寒天は冬に降雪が足りないと甘みが出ないらしい。今年の寒天栽培農家は大変だろう。ところで、寒天に甘みなんてあるんだろうか。それに、寒天栽培農家って本当にどこかにあるんだろうか。
外に出ると、子供は屈託なく駆け回って楽しそうにする。自転車に乗るのもだいぶ上手になった。去年からもう補助輪なしで自転車に乗れる。今の自転車はデザインにひどい問題がある(星条旗柄の自転車だ。ウゲッ)ので、誕生日に新しいのを買ってやろうと思う。我が家のコンセプトに合っていない。
道路工事の脇を抜けて小学校まで遊びにいくことにした。途中、バス通りの歩道で、以前近所の公園で息子と一緒に遊んだことがある女の子が、おじいさんと一緒に歩いているのを見かけた。息子と同じ学年で、確かマイちゃんという名前だった。去年の夏に、手に装着したプラスティックの板に吸盤で覆われたボールをくっつけてキャッチボールをするおもちゃを家族旅行で出かけた鎌倉の海岸で拾って、しばらく遊んでいたら壊れてしまったのだが、同じものを妻が100円ショップで見つけたので新しいのを買って公園でやってみた日に、どこからともなくふらりと公園に現れたマイちゃんも一緒に遊んだのだ。久しぶりに見かけたマイちゃんは、別にどこといって変わった様子もなく、その時は日曜らしい光景だな、としか思わなかったが、後でちょっと事情が違うことがわかった。
小学校は日曜日には子供や親たちが自由に校庭を使えるようになっている。ボールやバット、テニスやバドミントンのラケットなんかも貸してもらえる。多分ボランティアか守衛さんなのだろうが、ビッグママみたいな風貌のおばあちゃんが管理していて、署名するだけで使える。見ると近所の子供たちも幾人か集まっていて、それぞれサッカーだのバスケットボールだの、好きな遊びに興じている。午前中には大人が野球をやっていたようだ。体育館では大人たちがバレーボールの練習中。いわゆるママさんバレーというやつだ。まだ体の動くママさん限定。子供と遊んでいるのであまりそちらの方は見られなかった。バレーボールは、(背の)高さという絶対的な差別が存在する厳しいスポーツなのだが、たくさんの人たちが愛好しているところを見ると、何かそれを超越した魅力があるのかもしれない。ネットを下げると閾値も下がるし。
しばらく子供と校庭でボール遊び。楽しそうで何よりだ。野球の次はドッヂボールと言い出したが、二人でどうにかなるものではないので、ボール投げをする。どうもルールがおかしいので、子供の遊びによくあるような、なんというか、なぜか夢中になってしまうようなあの遊び独特のマジックがうまく出ない。
すると、向こうから息子と同じような背丈の男の子がサッカーボールを蹴りながらやって来て、実際に同級生だったのだが、その子も誘って人数を増やしてみる。その子の後ろからマイちゃんも走って追いかけてきていたので、さらに人数を増やして2対2でどうにかドッヂボールっぽくなった。それからもう一人、いがぐり頭の活発そうな男の子がやって来たので、男の子3人チームと大人+マイちゃんチームに分かれることにした。さっきのおじいさんは見当たらなかった。
息子以外の男の子たち2人は、マイちゃんのドッヂボールの腕前を熟知しているらしく、マイちゃんがボールを持つと1mくらいの距離まで近づいてあれこれ挑発してくる。実際、左利きのマイちゃんはボールを投げるときに、右足を出して、左足を出して、どっちが前にくるのか迷って、それから両足をそろえて、宙に押し出すようにボールを放り上げる。だから、それくらいの距離になる冒険しないと、当たる可能性がゼロなので勝負にならないのだ。息子はというと、チームメイトのそんな姿を見てから、ちょっと遅れて自分も近づいて、おずおずと、やがて大胆に挑発している。普段から石橋を叩いてお母ちゃんの顔色をうかがう、彼の性格がよく現れていると思う。誰もマイちゃんからボールを取ってすぐに当てるような野蛮な真似はしないのがいい。
ところで、4人の子供たちのうち、息子を除いた3人が左利きだった。地獄のジミ・ヘンドリックスもびっくりだ。
子供たちが飽きてきたところで、いがぐり君のお父さんがやって来て、大人二人を加えてサッカーをすることに。息子を除いた男の子たちはサッカーが好きで地域のチームでもやっている様子。チーム編成はサッカー小僧たちといがぐり君のお父さん、うちの親子とマイちゃんになる。大人はゴールキーパー専門。圧倒的に不利な編成だ。しかし、いざゲームが始まってみると意外にも素人チームが健闘する。技術では勝てないので、後ろからとにかく褒めまくっていると、だんだん試合のようなものになってくる。うちの息子は喘息ですぐに息があがってしまうが、疲れただのもうやめようだのと泣き言を並べながらもなんだかんだとちゃんと相手についていく。ときどきズルをした父が相手のシュートを奪い、諦めて立ち止まっている地点が絶妙な息子にパスすると、一気にチャンスになってしまう。ゴール前で足がもつれて強いシュートは打てない詰めの甘さが息子の個性ではあるが。一方、マイちゃんはゴールのそばでキーパーにぶら下がったりして甘えているが、気が向くとボールを持っているプレイヤーに突進して、意地悪をしてボールを取り上げるかのように粘り強く足を出して、技術では圧倒的に上回る相手のドリブルを不思議な力で食い止める。予想がつかないディフェンスと、泣き言を並べながら攻撃する不可解なオフェンスに、明らかに戸惑うサッカー小僧たち。結局ゲームは1対0でサッカー小僧たちの勝ちになったが、みんな面白かったと口々にサッカーを讃えていた。
次は野球ということで、子供たちがベースやらバットやらを借りてきて即席の野球場を整備する。宇宙から見たらまあ野球場に見えなくもないような位置に4つのベースが置かれ、さっきと同じチーム編成で試合が始まる。サッカー小僧たちは野球をやらせても上手で、特にいがぐり君のバッティングは他の子たちと比べて(いがぐり)頭ひとつ秀でている。お父さん軍団の巧みな空気の読みと手抜きにより、なかなか白熱した試合展開になった。野球好きの息子はずっとピッチャーをやっていた。技術的には、1年生でちゃんと狙ったところの近辺に投げられるのだから立派なものだ。敢えて欠点を挙げるとすれば、打たれてくるとどんどん意欲が低下するのが問題だろう。打たれ弱いピッチャーにはいくつかパターンがあって、打たれるとカッカして冷静さを失い、どんどん投げ急いで火だるまになるまで打たれ続けるタイプと、打たれると意気消沈して集中力を失いこれまでの努力を台無しにするタイプに大別されるが、息子は後者に近い。統計的には、長打と四死球はピッチャーの責任で、その他は単なる運に過ぎないので、ピッチャーは自分の責任だけを果たしていれば後は何も気にする必要はない。そういう意味で、連続被安打のプロ野球記録保持者にして40歳の現役投手、吉田修司は本物のプロだ。
しかしマイちゃんのプレースタイルはもっと独特である。なんといっても、投げられたボールの全てを振る。どこに投げられようがおかまいなし。そんな小さなことには一切とらわれない。初球から積極的に振れ、だの、どんなボールにも食らいついていけ、だの旧態依然とした指導方法を信奉する人たちも、この姿を見れば別の言い訳を考えざるを得ないだろう。ピッチャーのいがぐり君もそんなにコントロールがいいわけではないので、必然的に三振の山になる。マイちゃんの問題は、まあその超越的な選球眼なのだが、一方で素晴らしいのは、その超越的なメンタル面の強さである。三振くらいでは一切動揺せず、周囲の「また三振だ」という(特にチームメイトで主力選手でもあるうちの息子の)ガッカリ感にも何の痛痒も感じないで、しかもときどきバットにボールが当たると全力で一塁ベースまで走って見事ヒットになり、とても嬉しそうにしている。ある意味で、精神的にこれ以上プロ向きな選手もいないだろう。もっとも、超然さのあまり勝負への執着がなさ過ぎて、鼻歌をうたいながらときどきどこかに消えてしまうのが気がかりではあるが。
試合は一進一退の攻防が続いたが、逆転された直後に相手チームの子が投げたボールが息子の顔に当たり、息子が泣き出してしまったところで時間切れとなってしまった。たかだかゴムボールなので怪我をしたくても出来るようなものではないが、まあ当たった本人としては例の意気消沈と合わせてショックだったのだろう。当ててしまった子もかわいそうなのでさっさと泣き止んでほしかったが、人間いったん泣き出すとそう簡単に止まるものでもないので、いくら説得しても泣き止みそうにない。後日にでも本人にちゃんとフォローしてもらおう。一方、超越的なマイちゃんはというと、試合も終わったので今度は敗戦投手の息子を慰めているその父の背中によじのぼって大はしゃぎしている。マイちゃんを乗せたまま後片付けをして、さて帰ろうという段になって、ふと、この後マイちゃんはどうするんだろう、そういえば一人で来ているのはマイちゃんだけなんじゃないか、と気づいた。いがぐり君はお父さんがいるし、もう一人のサッカー少年はあっちの方に兄弟やら友達やらがいてサッカーの後片付けをしている。困ったものだ。仕方がないので、おんぶしたまま奪った帽子をかぶっているマイちゃんを息子と一緒にひとまず学校の外に連れ出した。マイちゃんに帽子を取られないように、この中にはカレーが入ってるだの、中国全人民が隠れているだの、あれこれ説得しようとしたが駄目だった。
喉が渇いたので3人でジュースを飲んだ。息子はホットのレモンティー、マイちゃんはコーラ、お父さんはもちろんビックル。
「マイちゃんはおうちに誰かいるの?」
「お母さんはね、8時にかえるって」
「…そっかぁ。カギはちゃんと持ってる?なくしてない?」
「うーんとね、あるよ!」
先日、近所の公園に遊びに来ていたので、うちの近くに住んでいるのは見当がつく。方角も同じだからこのまま一緒に帰ろうか、などと考えていると、マイちゃんが「じゃあいこっか!」と歩き出した。大物だと感心した。
息子は自転車なので常に先を進んでいる。待ってよぉ、とマイちゃんが追いかける。息子、ちゃんと待つ。
うちの近所まで来ると、マイちゃんが息子の通学路から逸れて別の路地に入ろうとする。寄り道が多いと他の子のお母さんたちにまで目をつけられている息子は、学校帰りに決して通学路を逸れないよう妻にきつく申し渡されているので、心配顔で叫んだ。しかし、基本的に事なかれ主義の父は、まあ大丈夫とそのまま道を逸れ、息子は黙ってそれに従った。夕方になり、あたりが暗くなってきた。心配顔の息子をよそに、マイちゃんがかくれんぼを始める。隠れろというので、間に合わないので仕方なく電柱のふりをしたが、息子には見破られた。
やがて近所の公園が見えてきた。夏にマイちゃんと息子と妻で遊んだ公園だ。きっとこの近くに住んでいるのだろう。
「おうちはこの近く?」
「うーん」
「そろそろ遅くなったから、おうちに帰ろうか」
「うーん」
「おうちはどこ?(息子と)一緒に送ってってあげるよ」
「教えてあげなーい」
素晴らしい教育の成果である。顔見知りとはいえ、子供は簡単に自宅の場所など教えてはならない。親の留守中となればなおさらだ。とはいえ、このままでは困ってしまうのもまた事実だ。すると、マイちゃんが一件のアパートの階段をタタタと駆け上がり、われわれが目的地に到着したことがわかった。階段の上から帽子を投げようとして、やっぱりあげない、を繰り返すマイちゃん。帽子を取り返さなきゃ、帽子を取り返さなきゃ、とデヴィッド・リンチのパラパラ漫画に出る子供みたいに同じことを不安そうに何度も繰り返し叫び、駆け回る息子。
帰宅後、妻にマイちゃんのことを話すと、やはり心配だから今度から気にかけておくとのこと。他人の家だし、事情もあるから、いちいちおせっかいなことはしなくてもいいが、やはり子供が日曜の夕方まで学校にひとりでいるというのは心配だ。だったら、おうちの人が遅くなるときは、ちゃんと連絡してからうちに来て妻と一緒に編み物したりとか、あとなんだっけ、ゲルマニアみたいな名前のやつ、ああそうそうシルバニア。ああいうのとかで遊んでもいいし。そういう点では、苦労人の妻なら要領は心得たものだし、子供の扱いでは間違うことはないだろう。夕食に出かけたとき、自転車で近くを通ったのでマイちゃんの家の場所を教えておいた。
遊んでいる間中、ずっと「お父ちゃん」と呼ばれていたので、父はいつでも歓迎である。