はてな、レベル高いな
リファラ辿ってたら、はてなブックマークに辿り着いた。
ええと、「試しに使ってみる」と「今すぐインストールする」しか選択肢がないんですけど、これを使いたくない場合はどうすればいいの?
どうしようもないですね。まあ、他の操作は許さん!という潔さはいいと思います。
Popularity: 2% [?]
革マル派の思い出
96年に大学で革マル派の人たちに遭遇したときのことを思い出したので書いておく。基本的にあの人たちが自らのことをはっきり「革マル派」だと名乗るのは珍しいことだと思うので、そういう意味でも記録しておく価値はあるだろう。
といっても、そんなにややこしい話ではない。A4のレポート用紙にどこかで読んだ漢文の一部を改変した文章を書いて退学届を完成させ、事務局に提出した後、友人のアパッチ加山と大学生活最後の記念にキャンパスの坂の奥のベンチあたりでズブロッカを飲んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。どうやらベンチの前に仰向けに寝転がって酔いつぶれていたようだ。なんだか寝苦しいので目を覚ますと、それほど特徴的でもない、なんというか地味な顔の見知らぬ男が馬乗りになってさかんに何か言っているのが見えた。なんだろう、さっぱりわからない。困ったものだ。しかし、いずれにせよ他人に馬乗りになってもらうのも愉快ではない。そこで、こちらも口を開いてみることにした。
「だ〜れだてめーは」
すると、銀縁眼鏡の奥で鈍く光る小さな目をした男が、誇らしげに答えた。
「革マルだ!」
ジャジャーン、と音がしたわけではないが、へっ、と辺りを見渡すと、10人くらいの男たちが取り囲んでいる。これは一体何なのだろう。日頃から、例えば酔っぱらって自治会の部屋に爪切りを貸せと詰めかけたりしてはいたが、今さら何か用件があるとも思えない。わからないことは聞いてみるのが一番だ。
「なんか用かね」
すると男は何やらあちらの方を指差しながら、「これをやったのはお前らか」と嫌みっぽい口調で答えた。質問に質問で返すとは腹立たしい。こちらも乗られっぱなしはやめて起き上がって、ついでにそちらに目をやった。
当時、キャンパスのあちこちに、いわゆる「立て看板」と呼ばれる、角張った書体の文字が並んだ大きな看板が立っていたのだが、今でもそんなのはあるのだろうか。学生時代、よくあれの偽物(「毎週水曜日は『血塗られた復讐の日』」とか)を作って並べて遊んだりしたものだ。さて、馬乗り男が指差した方には、2メートル以上はある大きな立て看板があったのだが、そいつはちょうどその真ん中あたりでまっぷたつにへし折られていた。
「お前らがやったのはわかっているんだぞ!」
うん、そうだね。思い出した。酔いつぶれる前、心地よく酔っぱらっていたのだが、ふと振り向くとそこにはひどく汚らしい看板があったので、たまたま持っていたギターを投げつけてぶっ壊しておいたのだった。こちらが立ち上がると、囲んでいた連中がさっと包囲の輪を狭めて近づき、逃げられないようにといわんばかりにさっと左右の腕を掴んで拡げて抑えた。みんな背が低くて体格もそんなによくない人たちだったのだが、逃げる気もなかったので大人しくしていた。まあ、壊しちゃったのは悪かったからね。悪かったよ。しかし、馬乗り男の口にしたセリフで気が変わった。
「お前らどこの組織の者だ?」「弁償しろ!」
自分たちの政治的な主張を伝える大事な看板が一方的な暴力によって無残に破壊された今、お前たちが心配するのは金のこと、組織と組織の力関係のことなのか。愚か者め。というわけで、答えた。
「いやなこった」
それからしばらく連中とああだこうだと話して、内容はよく覚えていないけれど、互いの主張や考え方の間の隔たりが大きすぎてどうにもらちがあかない。すると、騒いでいる連中の後ろに立ってちょっとばかり距離を置いている、ボクってこいつらとはちょーっと違うのよ、とても言いたげなそぶりの小太りの男がすっと前に出て来て言った。
「ふん、どうせ酔っぱらってなきゃデカいことも言えないんだろう?」
どうだろう。考えてみたが、酔っぱらっているのは確かだし、じゃあそうでないときに自分はどうするのか想像したとしても、そんな仮定の話など意味はないので、困ってしまった。仕方が無いので、「うーん、でもユーモアは失ってないぞ」と答えてみたのだが、それだと何だかこの小役人じみたニキビ面の男に媚びている気がしてきて、それに、そもそもお前だってこうして数人がかりで腕を抑えている相手にしかデカいこと言えないんだろう、と言い返せばそれまでなのだが、そんな脱構築ごっこをするためだけに生まれてきたのはこいつだけで十分だし、やっぱりこいつが一番腹立たしいから、腕を抑えていたやつらを突き飛ばし、そんなにご立派ともいえないその男の顔面をブン殴った。成人してから、自分のも他人のも含めて、顔を殴るなんて初めてなので、どうなるかと思ったが、特にどうということもなく、結局、どうせこれが大学生活最後の日なんだよね、うるせえ、もう帰って来るな、と軽妙なやり取りがあった後、普通に校門から出て家に帰った。
翌年から、革マル派の資金源として名高かった学祭も数年間中止となり、資金源と活動の名目を失った彼らは学校から徐々に姿を消していったようだが、詳しいことはわからない。
Popularity: 2% [?]
杭州印象 その6
中国の田舎は、本当にいい気分で過ごせました。思うに、杭州で感じた都会の忙しなさ、人々の間のギスギスした空気は、まだみんなが工業化社会に慣れていないので、ちょっとストレスで参っちゃってるせいなんじゃないでしょうか。その点、田舎はのんびりして気楽でいいです。ミス・リトルスワロー(娘さんがとっても可愛らしい)や陳さんたちに別れを告げ、江山市の駅から再び杭州を目指して移動しました。また駅までの長い道のりを車で送ってもらって、陳さんにはいくら感謝しても足りません。日本の風俗に行ってみたいと話していたので、大陸を代表するドM野郎としてSMクラブとかを紹介したいと思います。嘘です。何か大陸からやって来た客人をもてなすのに相応しいマニアックでこれぞニッポン、完全に狂ってる、という性風俗があれば教えてください。ついでに案内役もやってくれると助かります。費用は自腹でどうぞ。
それにしても、杭州から江山市まで呉さんがこれだけの距離をほぼ毎週移動しているというのは驚異としかいいようがありません。その3で書いたようにローカル線の旅は精神的にも肉体的にも大きな試練になるのはわかったので、今度は中国の誇る高速鉄道に乗って帰ることにしました。車両は日本の新幹線や特急とほとんど変わらない様子で、乗り心地もだいたい同じです。ポッキーを大量に持っていたのでぽりぽり食べていたらこちらをチラチラ見ているので隣の女の子にどうぞと勧めたらひどく不快な顔で拒否されたり(ふざけんなよぽりぽりしてんじゃねえぞ、ってチラチラ見てたんですねきっと)、途中で乗ってきたおばちゃんが携帯電話で話す声がものすごく大きかったりはしましたが、全般的に快適な移動でした。
その一週間後には、追突して線路から落っこちたりしていましたが。

まあ、どれだけの手を尽くしても我々を殺害するのはそう簡単ではないのだよ。わっはっは。被害者の皆様のご冥福をお祈り致します。
杭州に到着し、バスでホテルに向かおうとしたら雨が降り始めました。上海の方はとっくに降っていたので、旅行中にほとんど雨らしい雨に降られなかったのは幸運でした。が、バスが到着しているのになかなかドアを開けてくれません。様子をみるとどうやら何か小役人の約束事みたいな理由があって規定に従い開けないようなのですが、もうバス停に到着しているのだし、そこには屋根がなくみんな困っているのだから、さっさと乗客を乗せればいいのに、なぜかドアを開けようとしません。もちろん待っている人たちは激怒して車体をバンバン叩いたりしています。そんなこんなで、ホテルに着いた頃にはすっかりくたびれてしまいました。
最後の夜はパッとうまいもんでも食いたいね、ということでホテル近くの四川料理レストランに入りました。
しかし四川料理はどれも辛いですね。辛いピータンなんて初めて食べました。写真の料理は、この中に魚が入っているんですが、四川料理では有名なやつみたいです。見た目よりもあっさりしていてとてもおいしいです。また、ここは店員さんが親切で、とても感じが良かったのも印象的でした。
翌朝、すっかり気に入ったファーストフード店でカフェテリア形式の朝食を摂って、いよいよ最終日の体制を整えました。バスの移動にはもうこりごりなので、タクシーを使おうということで全員の意見(二人ですが)は一致していました。そこで呉さんにお願いして、今日の午前中いっぱいタクシーを借り切ってもらえるよう交渉してもらうことにしました。杭州は地下鉄もまだ工事中で竣工しておらず、バスは混むので、移動はタクシーを使う方が便利です。タクシーの初乗り運賃が20元と日本よりずっと安いので、気軽に利用できます。しかしそれは杭州の人たちにとっても同じことなので、なかなかタクシーが捕まりません。また、空車を見つけても方向が違うなどの理由で乗せてくれないことが結構あります。というか、西湖を観光したときはほとんど乗せてもらえませんでした。そんなわけで、タクシー側に有利な交渉になってしまうのではないかという懸念はありましたが、予算は300元で交渉してもらうことにしました。すると結局200元でOKということになり、飛行機の時間を気にせず最終日は杭州では名の知られた土産物屋の並ぶ通りでゆっくり買い物することができました。
もちろん、お目当ては中国共産党グッズです。毛沢東の実家もそうですが、この手の土産物屋でもマオはすっかり観光資源になっていました。他にも表紙に歴代コミュニストたちがずらりと並ぶノートやマオTシャツなどを買い込み、ついでに杭州といえば大変有名なお茶もゲットして、大変満足しました。
つづく
次回予告:杭州最終出口、ロウソクと科学
Popularity: 1% [?]
杭州印象 その5
思いがけない運動で汗ダラダラでしたが、中国の娯楽の健全さには驚きました。だって、じゃあ聞きますけど、あなたのところに外国から野郎が二人やって来て、二、三日接待しなきゃいけないとしたら、どこに連れて行きます?居酒屋からキャバクラとか、いっそ風俗にぶっこんでワンダーランドジャポーンを思い知らせて楽をしようとか思いませんか?(追記:大きな誤解を生んだようなのではっきりさせておきますが、おら風俗とか行ったことねえだよ。キャバクラなら接待で連れて行かれたことあります)いや、別に中国でそういうのを期待したとかいうわけじゃ全然ないんですけど、例えば日本だったらどうだろう、と考えたら、登山とか普通は思いつかないじゃないですか。つきますか?あんた野口さん?というわけで、中国の青年たちはとても健全だと喜ばしい報告を上奏するため、一行は毛沢東の実家に行くことになりました。嘘です。近くに毛沢東の実家があるよ、といわれて喜び勇んで行こう行こうとなっただけです。
これがマオの実家だそうです。なんでも、彼は代々この辺に住んでた人の末裔で、家の中にはすんごい遠い祖先からの家系図とかが掲示されています。まあ、途中がみんな「某」「某」なんで、嘘くさいことこの上ないですが、うちのかみさんだって大名家の出身ですが家系図は途中からなんか急に藤原家とか源氏とか混ざってくるんで、そういうもんじゃないですか。それにしても、下手に歴史が長いと捏造も大変なのでマオん家の方が少なくとも労力はかかってそうです。
なんか工事中らしくて警備の人もいないし、そもそもマオ本人がどこにもいないじゃありませんか。なんだよ、マオ不在かよ、せっかく日本からANA転がして来たのによぉ、なんて思っていたら、中庭に入ったところでマオ登場です。
なんというか、マオは観光資源なんだからもっと大事にしてほしいですよね。先祖代々の位牌が、それこそいつの時代の誰だよこいつ絶対先祖じゃねえよってレベルの人からずっと飾ってあるんですが、さすがに疲れたのかときどきメンテ中みたいな扱いをされてるのもあって、そのへんの詰めの甘さが後の文化大革命へと繋がったんじゃないかと思います。
あと、やっぱり全盛期の肖像画とかがちょっと金日成っぽくて昭和初期のセンスのなさを感じました。周恩来の方がなんか格好いいよね、と思わせるのも、マオのポイントを下げていると思います。
この施設は入場料とかもなくて、ちょっとした観光にはお勧めです。でもぼくが行ったときは工事中で、なんか池をつぶして改装してるあたりがすっげえ魚臭くていいのかコレと思いましたけど。
江郎山の観光をすっかり堪能したわれわれ一行は、そろそろ本気で空腹になったので、またリトルスワローのお店に向かいました。それにしてもみんな卓球が腹立たしいほど上手です。「我上手卓球比福原愛!」と叫んでも全く通じません。打つ瞬間に「サーッ!」と叫んでも、最初は変な顔をされますが、すぐに通用しなくなりました。
リトルスワローのお店はいつ行っても暢気な雰囲気がいいですね。中国についていろいろご意見のある方もいらっしゃると思いますが、田舎に行けばほんとに素晴らしいところですよ。なんというか、こんな風にレイドバックした感じで村の生活とかやってみたいじゃないですか。ぼくには田舎と呼べるところがないので、余計にそう思うんでしょうが。
続く
次回予告:「杭州最終出口」「タクシーさん、あなた一日おいくら?」「マオは観光資源」
Popularity: 1% [?]
杭州印象 その3
さてさて。この一連のエントリ「杭州印象」シリーズですが、タイトルは西湖のほとりで開催されていた野外演劇のタイトル「西湖印象」のパクリであることに気付いた方は、杭州に行ったことがあるか、ちょっと病的に勘のいい人だけだと思います。近くを通っただけで、その劇は観なかったんで、詳しいことはわかりません。
さて、杭州から260km以上も一気に移動する我々を運ぶローカル線ですが、乗ったのは地方都市に停車するだけの、日本でいうところの東海道本線を走る特急みたいなやつで、現地の区分では頭文字が「K」となっている便でした。特急といっても高速鉄道ではないので特別な料金はかからないため、なんというか庶民的な雰囲気です。中国の電車といえば、あちらでもチベット自治区の電車の汚さが報じられて、それが日本でも話題になっていたようですが、この路線ではそれほどでもなかったです。まあ、昔の日本もすごかったらしいですからね。大阪では、上品さでは阪急>JR>阪神というイメージがあるそうですが、それをネタにした逸話に、阪急電車の車内で母親が床に新聞を敷いて子供にウンチをさせて、新聞紙を包んで窓から投げるのを見た人が、さすが阪急は上品だ、他なら床に直接出してそのままにしていると感心した、なんてのがあるそうですが、それに比べたら禁煙だしまあかなりマシかな、なんてことを考えていました。いろいろ慣れないものだから、ちょっと疲れたけど、こういう旅もいいもんだな。なんていっぱしの旅行者ぶったりして。
もうすぐ到着だ、と通路の人混みをかき分けて進み、ドア付近に立っていたら、目の前の席でおばあさんが抱っこしていた乳児の尻からうんこが噴き出し、床と座席が茶色に染まって、おばあさんが外していた乳児のおむつで床を拭き、座席を覆う布カバーもざっと拭いてから丸めて座席と背もたれの間にグイグイ押し込む姿を目撃したところで、完全に精神崩壊しましたけどね。
この移動のときの写真が全然ないんですが、たぶん心の余裕が全部なくなってしまったからだと思います。そんなわけで、帰りは多少の金額の差くらいどうでもいいから、高速鉄道に乗ろうと心に誓ったのでした。もちろん、われわれが乗ったまさにその路線を走る新幹線が、一週間後に衝突事故を起こすなどとは、この時は思ってもみませんでした。
昼に杭州を出発し、江山市の駅に到着した頃にはもうあたりは暗くなりかけていました。雨はもう上がっていましたが、駅の地下通路が水浸しです。大陸的なワイルドさを満喫している我々を迎えてくれたのは、中国人の元同僚の幼なじみという陳さんでした。彼はまだ若いのに地元で設備だったか建築関連だったかの会社をやっているらしく、仕事であちこち車で移動しているので道路にも詳しいそうです。ガテン系らしく演歌が好きみたいで、車内にはたくさんCDがありましたが、どれをかけても演歌でした。後部座席のわれわれをよそに友達同士の二人が楽しそうにしゃべっています。しばらくして、元同僚がふと振り返り、自分たちの言葉はものすごい方言なので電車や杭州で話していたのとは全然違うんだと言いました。ぼくにはどっちも中国語にしか聞こえないのですが、彼にいわせると、ここら辺の訛は戦国時代の発音が残っているのだとのことです。よく意味がわからなかったのですが、そういうものなのでしょう。呉越同舟の故事とかも、こんな発音でやり合っていたんですね、きっと。
途中、ハイウェイから別のハイウェイに抜けるのに簡易舗装だけの狭い迂回路に入ったのですが、すんごい狭いのにすれ違いとか平気でバンバン進むので、全身に力が入ったまま抜けませんでした。道路以外は背の高い雑草が生い茂った赤土の原野で、変な色の沼とかもあり、なんとも心細いものです。どうやら無事に迂回路を通り抜けると、今度はいくつか民家の並ぶ村らしき場所に出ました。痩せこけた犬がうろうろしていて、いかにも村っぽかったです。結局、この車の移動も案の定、ちょっと迎えに来てくれと頼んでいた割にはかなり遠くまで進んで行くのですが、こういうのには慣れが必要だと自分に言い聞かせました。やがて車は幹線道路から外れ、ちょっとした郊外の住宅街を通り、どうやら本当に目的地に近づいてきたようです。すると元同僚が、これから彼女を呼ぶからと電話をかけ始めました。彼女の名前は「雪燕」というそうで、読み方はわかりませんが英語がちょっとわかると聞いたのでスノースワローさんと呼ぶことにしました。
スノースワローさんと合流したわれわれ一行は、さらに川縁の道を飛ばして、遂に中国人の元同僚の実家に到着しました。もうあたりはすっかり夜になっていました。この集落の入り口から先は道路が舗装されておらず、赤土の道が続いています。元同僚(面倒くさいのでプライバシーを考慮して「呉」さんということにします)のご実家は三階建ての中国風田舎家という感じで、一階は靴を脱がずにそのまま入れるガレージみたいな造りになっており、そこにテーブルがあってご両親が迎えてくださいました。実は旅行前に一緒に行く元同僚と、お土産は洋菓子とポケモングッズが鉄板だろうと話し合っていたのですが、どっちがどれを調達するかで連絡のミスがあり、おみやげは洋菓子だけになってしまったので申し訳なかったです。お母様が卵とライチを砂糖を溶いたお湯で茹でたものをお椀によそって出してくださったので頂きました。どんな味なのか想像するのが難しいかもしれませんが、上に書いた通りです。ライチは杭州やここら辺ではポピュラーな果物らしく、そういえば杭州の道ばたでも蓮の実とライチの実が売られていました。一通り挨拶を済ませ、いつの間にか後ろに立っていた近所のおじさんとも打ち解け、じゃあみんなで食事に出かけようと相成りました。
街灯も無いので外は真っ暗で、雨が降ったばかりなので雲が厚く星は見えませんでしたが、杭州と違って空気が澄んでとても気分がいいところです。さて、移動しようとなったところで、車に全員が乗れないね、ということになりました。案内されて我々日本人二人が先に乗ったのですが、出発してみたら呉さんのご両親がいないので尋ねると歩いて行ったと聞いて、赤土のぬかるんだ道を歩かせるなんて申し訳ないと恐縮してしまいました。それにしても中国って儒教の影響はどこに行ってしまったんでしょうかね。食事の際、何かのきっかけで中国と日本のタバコの話題になって、お父様にも差し上げようと呉さんに何本か手渡したら、それをポイッと投げて渡していたので、思わずコラッと叫んでしまいました。呉さんによればそれは別に普通のことだとのことですが、文化の違いはあれどそりゃないだろうと反論したら、清朝の時代にそのような儒教的な習慣はなくなったのだといわれて、そこでまたカンカンですよ。ちょっと待った、親に無礼するのを他人のせいにしてはいけないよ、っていうか女真族の習慣なのこれ?絶対違うよね?まあチャイナドレスは女真族の衣装らしいんだけどさ。
さて、話を戻して、我々が向かったのは呉さんのご実家の集落の入り口にある店で、なんでもそこの女主人は呉さんの同級生だとか。食材が並んでいて、そこで食べたいものを選ぶと料理してくれるというので、高野豆腐や肉を頼んでしばらく待つことにしました。このお店は村の複合娯楽施設を兼ねているらしく、ビリヤード台や卓球台があり、さらには昼間は裏手にあるプールで泳ぐこともできます。
さて、料理の方ですが、西湖のほとりの高級なお店で食べたより何倍も美味しかった!ゼロは何倍してもゼロですが、やっぱり気取ったところよりもこんな感じのレイドバックしたところの方がずっと気分もいいです。実際、料理も高野豆腐しかり、イノシシ肉の炒め物しかり、カエルの姿そのまま焼きとか、とにかくなんでも美味しいのです。ビールもこの近所で作られているものを飲んだのですが、薄いので何杯でも飲める感じです。
このお店の女主人も途中から加わって、とても楽しい食事になりました。彼女の名前は「小燕」なので、ここはミス・リトルスワローのお店ということにしました。foursquareに登録してメイヤーにもなっているので、もし行く機会があったらリトルスワローさんによろしくお伝えください。ちょっとスケートの選手っぽい人なのですぐにわかると思います。陳さんは料理の好みが違うとかなんとか贅沢をいっていましたが、ぼくにはどれもみんな美味しいので感動しました。特に二日目に食べた、現地では「神の豆腐」と呼ばれている料理が気に入りました。なんかの草を練り込んだ豆腐みたいなやつです。
中国では「乾杯!」の音頭の後は飲み物を一気に飲み干すという習慣があるそうなので、うっかり乾杯してしまうとちょっと困ったことになります。が、さすがに燕、燕と揃ったので、スワローズに乾杯!はやっておかないといけないと思いました。あと、一緒に行った元同僚の名前が略して「ハギ」なのですが、「ヤギ」と「ハギ」はそれぞれ「now」と「then」にあたる言葉だそうで、まあようするに中国のロバート・プラントみたいなものですね。
楽しい食事も終わり、呉さんのご両親にも別れを告げ、今夜の宿に向かいました。そこはカラオケボックス兼ホテルで、なんでも陳さんの会社の人たちがいるらしく、普段はカラオケどころか人付き合いもあまりしない根暗なプログラマである我々も、これも日中友好だと付き合うことにしました。さあ日本の歌をうたえ、という期待が充満する中、マジでぜんぜん知らないというのはなんとも緊張感にあふれた場でしたが、呉さんがなんかすっごく地味な顔の女性二人組の歌を熱唱してからはあんまり期待されてない感じになってきて助かりました。面白かったのが、あちらのポップミュージックには、これは福建省の、これは四川省の、といった、各地方の心の演歌というのがあるそうで、ぼくには違いはぜんぜんわかりませんでしたが、それぞれがゆかりの地の演歌を熱唱する様は感動的ですらありました。それから、タッチパネルかと思いきやマウスでクリックする方式のカラオケの機械をいじっていると、少なからず中国以外の国の曲も見つかるのですが、どうもあまり馴染みの無い曲ばっかりだな、なんて思っていると、ふと気がついてしまいました。そうです、中国は検閲があるから、国内で流してはいけない曲がたくさんあるのです。つまり、ここで選べる外国の曲というのは、中国が国家的に認めた人畜無害な作品であり、ミニットメンの用語でいうところの「マーシュ」、商業主義的音楽、そう、資本主義にどっぷりな体制側公認の音楽なのです。そうでないものだけが、真に反抗的な曲か、マジで売れてない曲といえるのです。
やがて夜も更けて、そろそろ部屋で休もうということになり、カラオケボックスから移動しました。が、ドアを開けると、部屋全体はなかなか小綺麗で広くて悪くないのですが、空調のところから水がボトボト落ちていて、床に3つくらいバケツが並んでいるのは頂けません。呉さんも陳さんもさすがに怒ってフロントと何やら言い合っています。その隙に、我々日本人たちはさっそく部屋に備え付けのPCをいじってあちこちに試しにアクセスしてみました。
以前、とある極右のおっさんがやっていた、オンラインゲームに中国で雇ったバイトに現地からアクセスさせて、ゲーム内で収集したアイテムを他のユーザに現金で売って稼ぐ阿漕な商売の現場にお邪魔したことがあるのですが、そのときは確か名前解決で全然違うIPアドレスを返すDNSの詐称が行われていた記憶があります。でも、今は名前解決さえさせない方式に変わったみたいですね。
そうこうするうちに、結局別のホテルに行くことになり、そちらは水も漏れることもなく、くたびれ果てた我々はよくわからないうちにすっかり熟睡していたのでありました。
続く
次回予告:「また来た世界遺産」「解脱する」「マオの家へ」「マオいねーじゃん」
Popularity: 1% [?]
杭州印象 その1
前職の同僚と、同じ職場にいて中国に帰ってしまった元同僚のところに遊びにいこうと、ちょっと中国に行ってきました。杭州といえば、いえば、いえば、いえば。誰も知りませんよね。ぼくも知りませんでした。とりあえず行ってみたら、町中に西湖という世界遺産に選ばれちゃった湖があり、白居易や王羲之、蘇東坡といった文人たちゆかりの庵とか橋とかがありました。ふむ。Wikipediaでみたら13世紀には中国最大の都市だったそうで、これは北から逃げてきた宋の都が置かれたことによるのでしょう。緯度は台湾と沖縄の中間くらいなので、雰囲気としては南国、世代的には映画でいうと「愛人 ラ・マン」みたいな感じです。
特に旅の予定などはなく、行って雰囲気を味わうくらいしか計画していなかったので、事前に特に調べることもなく、行き当たりばったりに飛行機に乗りました。一時間くらい前に空港に着けば余裕だろうと成田に向かいましたが、出国カウンターに着いたらもうギリギリで、職員の方は列の順番を飛ばして対応してくれました。最近の旅行はせっかちですね。
これに乗って行きました。エンジンの真ん中の変な目くらましみたいな模様は何でしょうか。
よく考えたら、今まで乗った中で一番小さい機体だったと思います。両翼がプルプル震えるみたいに動くのが健気でいいですね。そういえば事前に某自動車メーカーの方と飲んだときに、こういういかにもボルトが緩みそうな揺れ方をする乗り物の設計や整備の話を伺っていたので面白かったです。
出発しました。天気もよくて素晴らしいです。成田からだと本州の太平洋側の海岸に沿って西に進み、瀬戸内海の上空から北九州をかすめて飛ぶので自分の位置がわかりやすくていいですね。
やがて飛行機は海を越えて上海に近づきます。すると、眼下に広がる海に何やら異変が!
なんか海が真っ赤です。ここって黄河じゃないし、いったい何の色なの?
よくわからないまま、飛行機は積乱雲を避けて旋回し、やがて杭州国際空港に到着しました。
杭州に到着して、出迎えてくれた元同僚と一緒にバスに乗り込みます。彼は免許の取得中だとかで、まだ自家用車で迎えにくることは出来ないなんて話していましたが、後にそれが功を奏したことがわかります。
バスでの移動はちょっとした冒険でした。とにかく杭州はみんな運転が荒く、名古屋や京都の車がみんな教習所みたいに思えてしまいます。日本とは左右反対になっているのですが、赤信号でも行ける場合は右折ならゴー、というのがルールみたいで、タクシーはもとより、公共のバスが突っ込んで行く様には感動を覚えました。
中国の交通といえば、やっぱり自転車です。杭州の街のあちこちに公共自転車スタンドがあり、一時間以内に返却すれば無料で乗り回すことができます(返すのはどのスタンドでも構いません)。パッと見たところでは小ぎれいな自転車でしたが、ときどき古かったり空気が甘かったりするのもあります。
中国の都市といえば、往来を大量の自転車が埋め尽くすような街を想像していましたが、今の中国を代表する乗り物は電気二輪車でした。これは、スクーターみたいな外観の、家庭の電源(220か210Vだったかな)で充電する乗り物で、スピードはだいたい30kmくらいは出ます。一番の特徴は、走っていても音が全くしないことです。後ろから近づいて来ても全然気付きません。そんなのが車道はもちろん、歩道もバンバン通ります。さすがにデパートの一階で走っているのを見たときは驚きましたが、適用される交通ルールは自転車と同じなので、これは慣れないとかなり脅威になります。無灯火の人も多いので夜になるとなおさら恐ろしいです。一応、せめてライトだけは点灯するよう法律が改正されるという話はあったそうですが、既に8,000万人も利用しているので適用は難しく、なかなか決まらないそうです。
法律といえば、日本の排ガス規制ってすばらしいですね。目白通りや山手通りを原チャリで出勤したりしているのに、杭州の排ガスのひどさには驚きました。本当に、あまりのことにむせて咳き込んだりすることもあったくらいです。
あちこちうろうろしましたが、街の人に話しかけても英語は全然通じないみたいでした。日本と同じくらいですかね。「Good Luck Garden」というところに着くと雨が降ってきて、急いで中に入ろうとしたら閉園になりました。
雨宿りにスターバックスに入ったら、価格は日本とほとんど同じでした。雨のおかげで少し大気汚染が紛らわされてよかったかもしれません。
最初の食事は西湖のほとりにある有名なレストランでした。何でも相当古い歴史のあるところらしく、周恩来が国賓をもてなす写真まであるような店でした。そんなに高級なものを食べたわけでもないので評価はできませんが、僕にはもっと普通の、そこら辺で売っているものの方がおいしかったです。オレンジジュースはペットボトルに入った市販品でしたが、これはよくあることみたいです。
西湖は世界遺産に登録されているだけあってなかなか幽玄な感じの眺めのいい湖です。周囲は石造りの歩道で囲まれていて、夜遅くまで散歩やベンチでいちゃいちゃする人たちがたくさんいました。でも手すりがないので、あんまりはしゃいでいるとすぐに落ちてしまいそうです。実際、現地で働く元同僚によれば水辺で大勢ではしゃいでいるうちに落ちてしまった人がいて、確か大学生だったそうですが、湖の底は泥なので足を取られてすぐに沈んでしまうため、結局その人は助からなかったとか。他の人たちは何をしていたんですかね。
そうこうするうちに、さっそく治安部隊に捕まって拘禁されてしまいました。というのは嘘で、これはホテルの窓の写真です。初日は郊外のホテルに泊まりました。中国では外国人が宿泊できるホテルが限られているようです。というと語弊があるのですが、外国人が宿泊する場合はパスポートを確認して当局に届け出る必要があるらしく、届け出が電子申請できる設備があるホテルならいいのですが、普通の小さな宿にはそんなものはありませんから、わざわざ役所に届け出る手間を考えると外国人の宿泊は断らざるを得ない事情があるみたいです。当然ながらその手の設備があるホテルは宿代も高いわけですが、今回は地元の人たちに代わりに予約してもらったお陰で、安く泊まることができました。
翌日は元同僚の実家の方に遊びに行くことになりました。電車で移動だそうで、楽しみです。話によれば、彼は毎週、少なくとも月に何度かは帰っているそうなので、そんなに遠くもないのでしょう。
続く
次回予告:「これが本場中国のローカル線だ!」「ちょ、東京大阪間より遠いんですけど」「ライチはかあさんの味」
Popularity: 1% [?]
turntable.fm
turntable.fmというのは、ルームを作成し、手持ちの楽曲やMediaNetの楽曲から選んでインターネット経由でDJができるサービスだ。DJといっても、古き良き時代の、レコードという単一ないし複数の楽曲が収録された塩化ビニール製の円盤状のメディアを専用のプレーヤーに乗せて回転させることでスピーカーから音楽を流す担当者という意味で、スクラッチノイズを流しながらドレッドヘアでMen!とかYo!とかいってる面妖な人たちのことではない。
基本的にはとても面白いのだけれど、現実世界と同じで誰かが来てくれないと何もできないので、往々にしてこんなことになってしまう。

Popularity: 1% [?]
二年ぶりに鮭
前回はポニョにされたり故キャプテン・ビーフハートにされたりしていたまめじ。二年ぶりに来襲した鮭を相手にどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。
腰を抜かす。
気を取り直して敢然と立ち向かう。

いくぞ!

空振り!

大変おいしく召し上がりました。
Popularity: 1% [?]
当社比100倍のススメ
ウェブ開発の世界で、コードや設計の見直しが必要なのに、あまり時間や労力を割いてもらえないのが、速度の問題である。セキュリティなら見直しどころかとにかく素早く確実に対処する必要があるわけで、これは有無をいわさず誰もが取り掛かるであろうが(そうでなければ転職するべき)、遅いソフトウェアについては、まあ動いてはいるわけだし、もっと優れたハードウェアに載せ替えることで対応できるならそちらを選択するのも現実的だと考えられがちだ。高速化なんて、実際やってみても成果が上がるとは限らず、また開発者も無理な日程でリリースしてきたコードを今更また眺めるのは苦痛でしかない。いっそ書き直してやるならまだしも、あれやこれやと最適化するのは考えるだけでも面倒くさい。
しかし、実際には遅いウェブサイトは機会損失であり、いくら昔と比べてハードウェアが安価になり、仮想化技術が発達したとはいえ、それだって無料だったり無限に増設可能なわけではない。PCサーバ1台の増設をサービスのプロデューサに納得してもらうのは結構難しいことだ。仮想環境だってたくさん立ち上げるにはそれなりの実環境が必要になる。不景気の中で運用コストが上がる解決方法しか提示できないのは競争力に問題があるといわざるをえない。よって、スケールアウトは常に正しい解決ではない。
もちろん、最初から最大限に速度を追求してシステムを組むのは素晴らしいことで、誰もが実践するべきだ。しかし、そんなに簡単なことなら速度が問題になることなどあり得ないわけで、実際にはこの点を追求し過ぎるとリリースしなければいけない期日を守るのがとても難しくなってしまう。遅いのも機会損失だが、リリースできなければ機会が存在さえしなくなってしまうので、エンジニアリング過多は根治されるべき疾患だ。
期末が近づいてきたので、この2年くらいの自分の仕事をざっと整理してみたのだが、一昨年の暮れから今年の始まりにかけて、よく考えたらずっと既存のソフトウェアの高速化ばかりやってきた気がする。最初の立ち上げから1年以上経過したサービスがとうとう音を上げてしまったこともあれば、作ったばかりなのに社内の別チームから要求された速度が到底達成不可能だったので急遽なんとかしなければいけなくなったケースもある。恨み言をいわせてもらえば、ハードウェアやシステム構成の選定は当の検品屋連中だったりするので、そいつらの見積りが甘いのが原因なのだが、お客さんの求めるものがあってのソフトウェアであるわけで、理不尽だと叫んでもプログラムは速くはなってくれない。
そんなとき、誰もが思いつくのは、出力データや処理結果をキャッシュして速度を稼ぐ方法だろう。ご多分に漏れず自分もだいたいいつもそうやってきた。ウェブ上のプログラムには、大変ありがたいことにエントリーポイントがひとつしかない。そう、リクエストを受け付ける場所だ。出所の同じHTTPのリクエストは同時に一ヶ所にしか届かない。そこから、中間の処理があって、出力先は最終的にはリクエストを送ってきたクライアントになる。
前提条件 => 処理実行 => 処理結果
ネットワークの遅延や巨大なレスポンスによるクライアント側の負担といった問題は、普通はそんなには起きない。単純に考えると、結局はウェブ上のサービスはリクエストという前提条件があり、ソフトウェアによる処理があり、レスポンスという処理結果があるだけだ。
ということは、前提条件と処理結果の関係を把握して、その近道を探すのが高速化の第一歩ということになる。ここでのチェックポイントは
「前提条件(リクエスト)と処理結果(レスポンス)の関係」
の検討だ。自分で作業する場合は、まず
(1)リクエストをグループ化することができるか
を考える。メソッド(GETや、POSTときどきDELETEやPUTみたいな動詞)、リクエストURI、クエリで処理結果が同じになるグループを作成することができれば近道は見えたようなものだ。
例:GETのみ、docomoのゲートウェイを通過、FOMA端末、/listsへのアクセス、クエリは「type=used&maker=toyota」であればレスポンスは共通
この場合、リクエストを受け付けた際に既に同じレスポンスを返したかどうか判定して、していなければ通常の処理を実行してキャッシュを作成、キャッシュが作成済みであれば処理をすっ飛ばしてキャッシュからデータを返す、という単純な対応が可能かもしれない。キャッシュの実装内容はシステムのI/O負荷により異なるだろうが、そこは後で検討すればいい。ストラテジーパターンで変更できるようにするとか、まあいろいろ手はある。
そこで問題になるのが、動的コンテンツを提供する場合、まあ当然ながら静的なコンテンツで速度が問題になるのはほとんどあり得ないだろうから当たり前だが、レスポンスとして返されるコンテンツの内容の更新頻度だ。リクエスト毎に内容が変わるのであれば、単純なキャッシュでは対応できない。そこで
(2)更新頻度のグループ化
について検討することになる。いまどきカウンタなんか載せているサイトは絶滅しているだろうが、それでも刻一刻と在庫状況が変化したり、コメント数が増えていくようなコンテンツはたくさんある。
ページ全体が同じ頻度で更新されることは稀だろう。同じリクエストとみなしていいグループに常に新しいContent-typeを返すことはあり得ないが、オークションの入札状況のようにサーバ側のリソースに変化があればそれを常に反映する必要のある部分もあれば、人気の検索語のように1時間くらいに1回更新しても誰も気づかないようなものもある。
例:更新頻度最大 = 入札状況、更新頻度中程度 = 残り3時間以内の商品、更新頻度低 = ホットな検索語
更新頻度のグループがあまりに細分化されている場合は、運用者とよく話し合って、可能な限り単純化していくことが必要になる。サービスの品質に影響がない程度に、できれば3パターンくらいになるとちょうどいい。
3パターンくらいであれば、キャッシュした全体のデータに部分的なキャッシュを組み合わせてレスポンスを作り上げるだけのプログラムをリクエストを受けた場所で処理して済ませることができる。
それから、もっとサーバに楽をさせてあげたいときは
(3)クライアント側に処理を肩代わりできるか
を検討する。PC向けサービスであればクッキーに格納できるデータもあるだろう。JavaScriptにあらかじめ呼び出されそうなデータを格納してしまってもいい。検索候補を表示するのに正直にデータを毎回取得したりせず、サーバ側からは定期的に更新するだけのデータをブラウザ側に先に送っておけば、毎回非同期通信が走ることもない。
もちろん、第三者からアクセスされてはいけないデータもあるので、なんでもかんでもこのやり方が正しいわけではないが、なんでもかんでもサーバ側で処理するのも同様に正しくはない。でも、推測不可能なハッシュ値を格納しておいてそれをキーとしてmemcachedにデータを探しに行って、なければDBに問い合わせるといった対応も可能だ。
3はちょっと話が逸れたが、1と2は「前提条件(リクエスト)と処理結果(レスポンス)の関係」の検討だ。これらがクリアになれば、途中の処理をどれだけ端折ってレスポンスを作成することができるか考えるのはそんなに難しいことではなくなる。
そうなると次にやるべきことは
「処理実行の副作用への対処」
ということになる。アクセスログのように勝手にサーバ側で実行される副作用なら深く考えることもないだろうが(カスタム形式に必要な処理があれば別だ)、検索履歴の保存やアフィリエイトからのアクセスの記録など、サーバ側に直接レスポンスとは関係のない副作用が生じるケースがあれば、それに対応しておかないとサービスには深刻な影響がある。関数型言語をかじったことのある人なら、ある関数が副作用を持つことで前提条件と結果の関係だけで安心することができないことを充分教育されているだろうから、この副作用というものについては手続型言語しかやったことのない人に比べれば敏感かもしれない。
というわけで、単純な考察に相応しい単純な結論として、高速化が可能なプログラムを作るには、上の手続きの反対をまず心がけることだ。リクエストがグループ化可能なレベルになるように要件を定義して、出力するコンテンツの更新頻度をなるべく単純なグループに分類可能に保ち、それから副作用に慎重になる。RESTfulなサービスにする意味はリクエストのグループ化に貢献することにある。更新頻度の単純化と副作用を最小限にすることはキャッシュ戦略を容易にしてくれる。アルゴリズムやプログラミング手法で高速化することも非常に重要であり、キャッシュは万能ではないが、ウェブサイトを100倍速くしたいなら、まずはこんなところから手をつけてみるといいのではないかと思われる。
当然ながら、RAMが128MBでCPUがCeleronの500MHzというサーバで1秒間に100もの動的コンテンツへのリクエストを受けるといった無謀な環境で大冒険している人は、こんなことを検討する必要はこれっぽっちもない。手元の中古のデスクトップを抱えてデータセンタに駆けつけてケーブルを引っこ抜いて差し替えて、全部のリクエストに「ごめんね」と返すだけの設定が完了したら、あとはなるべく遠くまで逃げることだ。追いかけてくる連中も、そんなに賢いことはあり得ないので、深刻に気に病むこともない。
Popularity: 1% [?]




























