ふと気になって調べてみたら、けっこう愕然とした。
年齢を考慮しない全体の平均では、男性は533万、女性が271万円とのこと。この差についてはいろいろ意見のある人もいるだろう。
それにしても、驚いたのは、平均年収の高さである。533万ということは、年俸制なら月給44.4万、ボーナス三ヶ月分もらっていたなら35万だ(元データ)。極端な偏りがあって実際との乖離がある可能性については考えないとして、これが平均的な年収ということであれば、すなわちごく当たり前の勤務評定さえあれば、これだけもらってしかるべきだということになる。なるほど日本は豊かな国だ。
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あちこちに出没する「タクシーに携帯を忘れた人クラブ」についてまとめておく。
■ 会則 その1 入会資格
(1)肉体的・精神的状態の如何を問わず、乗客として乗車したタクシーに携帯電話を置き忘れた者であること。
(1.1)犬は入れない。
(1.2)くそくらえという場合はその限りではない。
(2)置き忘れた携帯の契約上の所有者である必要は必ずしもない。乗車時に自身が所持している携帯を置き忘れたのであれば入会資格を満たすものとする。
(2.1)自己の所属する組織の所有物であった場合、始末書など何らかの形式で処分されるが、その際はクラブについて言及することは許されない。
(3)忘れた事実に気付くまでの時間の長短は入会資格と一切無関係である。ただしタクシーの乗務員により注意喚起されて気付き、置き忘れた状態が完全に発生する以前であれば入会資格を手にしたことにはならない。
(4)ただし、3の条件において乗務員にお礼をいわない不届き者は「タクシーに携帯を忘れて親切に乗務員に教えてもらったにも関わらずお礼のひとつもいえない反社会的分子」クラブにて再教育される。
■ 会則 その2 退会
(1)原則として退会は認められない。退会する方法も存在しない。
(2)ただし、本当は置き忘れていなかったにも関わらず何らかのアリバイ工作などで置き忘れを偽装していたことが判明した場合、当該会員はあらゆるメディアを通じて会員・非会員を問わずあらゆる方面から悪しざまに罵られた上で強制的に除名されるが、それを期待しての偽装は無駄足に終わるものとする。
■ 会則 その3 活動について
(1)タクシーに携帯を忘れた人クラブの会員は、会則に基づき、置き忘れの理由は全て「ラリー」と名乗る人間によるものであると公言すること。
(2)全ての会員は毎月4で割り切れる日(4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日)で、なおかつ年月日に含まれる数字の合計が完全数である(2 + 0 + 1 + 0 + 0 + 5 + 20 = 28)日には、会員の中で成獣となっても最も小さい動物を干支とする人間がいついかなる時に「ラリーのバ~カ」と唱えても必ず「ラリーのバ~カ」と唱和する義務を負う。
(3)ただし辰年の人間にはその資格はない。
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標題の通り、家族全員隔離されています。
また、iPhoneは洗濯機に水没したまま復旧しておりません。
とにかく、そんな連休です。
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どういうわけか、井上康生が夢に出てくる。これで二度目だ。彼の役回りは昔なじみの友人で、これといって印象的なことは何もしない。 例えば、昨日は夜中に一緒にどこかの店にお好み焼きを食べに行くという夢だったが、財布を忘れたので井上康生に千円を借りて食べたくらいなので、彼は遠慮のいらない友人であることは間違いない。値段から推測するにいたって庶民的な店だ。店に入ってそれぞれ券売機で食券を買って席に着き、メニューについて二、三の会話はあったが、その他には余計な会話もない。夢の中心は井上康生ではなくその店にいた人たちで、隣の席の女性が何やらフランス語でベラベラしゃべっているのだが何を言っているのかわからない。途中、英語が混ざったので、「ゴルフをなさるんですか?」と尋ねると、そうだという。この辺りにはメジャーなトーナメントが開催されるゴルフ場が2つもあるんですよ、とかいう話をした。どうやらこの店は実家の近くにあるという設定のようだ。すると目の前のテーブル席の下に潜っていた男が目から上だけをテーブルの上に出して辺りをのぞいているので、バカじゃないの?ほんとですね、外科がなんとかできる範囲を超えてますよ、と会話が続いたところで目が覚めた。井上康生は会話には参加せず丼ものをひたすら食べていた気がする。
祖父の通夜の日に見たのは、そんな夢だった。
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販促で新聞屋さんからもらえる野球のチケット(ってどこの新聞かずいぶんと特定されてしまうが)は、ホームチームが首位でしかも長年の間ずっと全国放送で試合が中継されてきた実績のある在京人気球団 だったりした場合(ってもっと特定されてしまう)、実質的にぜんぜん観戦出来ないただの紙でしかない。
理由は簡単で、そのようなチケットはたいていがチケットの引換券であり、本当のチケットを手に入れるためには球場の窓口で引き換えなければいけないのだが、席に限りがあるので指定席との引換券であっても満席になってしまった場合は立ち見席との引き換えになる。この立ち見席というのは、通路を取り巻く通路の柵のことだ。で、指定席といっても球場の最も高い位置にある外野の席だったりするのだが、休日ともなるとこの引換券を手にした観客の数がとんでもなく多いのだ。今日のような連休だと、球場を半周するのではないかという行列が引き換え開始時刻前からずらりと並んでいる。当然、もう指定席など手に入るはずもなく、また立ち見席といっても観戦に耐えうるような場所はみんな埋まっている。中には始発電車や徹夜で並んでいるような人もいるようなので、絶望的な状況だ。
はっきりいって、そこら辺のオークションでなら別にそれほど高くはない値段で指定席のチケットを入手することもできるので、何時間も行列して立ち見するような観戦の体力的、時間的コストと引き換えだと思えばそっちの方がタダの引換券よりもよっぽど得だと思う。世の中には会社の福利厚生や接待用に確保された席のチケットなど、いろんな経緯で野球なんかどうでもいいような人の手に渡ってしまったチケットがいっぱいあるのだ。もちろん、直前に日程を調整することなどできないような事情のある人もいるだろうが、うちでは去年の日本シリーズの初戦やメジャーリーグの開幕戦も直前にオークションで結構な席のチケットをほとんど定価で入手している。球場の外の徹夜組の苦闘ぶりを眺めて、これがデジタルデバイドなのかなあ、と感慨深げに帰っている一家がいたら、それがうちだ。
というわけで、うちのように野球なら国の内外も問わなければ少年でも中年でもアマでもプロでもついつい観てしまうような野球好きの家であれば、販促ならビールの方がいいということになる。
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Wikipediaの記述は
「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(直訳:まさか、愚かさによって充分に説明できるものを悪意のせいにする必要なんかありません。)」
こうなっているが、原文はJargon Fileにあった。
Never attribute to malice that which can be adequately explained by stupidity.
ちなみに英語版の「Hanlon’s Razor」の項にはちゃんとJargon Fileのリンクがあった。いずれにせよ、実に示唆的なので覚えておこう。
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コンピュータのトラブルシューティングに適した性格とそうでない性格がある。まあ、態度というか姿勢といってもいいが、どちらも性格から出てくるものだから、ここではまとめて性格と呼ぶことにする。
仕事でいつも対応しているのはウェブアプリケーションのトラブルだから、ここではその話に限定する。プリンタが動かないとか、マシンが重くなったとか、そういった問題は全部再インストールすればなんとかなることだから何もかも忘れてリストアして遠くの店に昼飯でも食べに行けばいいと思う。
ウェブアプリケーションのトラブルといってもいろいろある。これまで実際に直接または間接的に経験したものでも、アプリケーションのレベルの単なる不具合から、日頃のケアを怠ったせいで累積した問題が(比喩的にいえば)爆発してサービスが提供できない状態になっていたり、はたまたデータセンタが文字通り火事になっていたり、とにかくトラブルの原因も現象も千差万別だ。
そんな日常の中で、唯一といっていいほど必ず効果的なトラブルシューティングの手法があって、この逆をやると間違いなく二次災害や余計な手間になったり、運が良くてもその場の人間をみんなうんざりさせたりするのだが、それは
「パニくるな」
という黄金律で、とにかくこれが出来ない人間は絶対にトラブルが発生した現場に居てはいけないし、対応するなどもっての他だ。パニックを起こす理由はいろいろある。その人が全財産を投資して構築したシステムが目の前で崩壊しているのかもしれないし、単純に持っているスキルでは何をしていいのか見当もつかないのでひたすら慌ててしまっているのかもしれない。たいした能力もなく気が小さいくせに日頃から威勢のいいことを言いふらしておのれの実力以上に自己宣伝しているので急に本番がやって来て追いつめられたのかもしれない。だが、理由はともかく、パニックを起こしても問題解決にはいっさい何も寄与しない。
それから、自分がパニックしているかどうかを自分だけで知る方法は、自分の足を引っ張って空を飛ぶのと同じ要領で、つまり存在しない。だから、トラブルが発生したときに「ちょっと黙っててもらえますか?」「うるさい」などの言葉を投げつけられたり、トラブル対応中の人に何か質問しても無視されたら、これは自分がパニックしている証拠だと考えなければいけない。もちろん、そんなことを考えられるくらい冷静なら、そもそも文句などいわれないしパニックなど起こしてはいないので、結局は何の意味もないのだけれど。
ジーン・ウルフの短編によれば、未来世界でも「はた迷惑な人」をなんとかする薬は発明されていないそうだ。さもありなん。
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肺炎レンサ球菌という細菌があって、結構な割合で人間の体内にあるものなのだが、乳幼児や老人にとっては危険な強毒性の細菌である。 これはワクチンの接種で予防できるのだが、日本では承認されていない。Wikipediaの記事いわく:
2歳未満の乳幼児では、非蛋白抗原の免疫原性に期待できないため、23価不活化ワクチンの適応がない。このため、日本以外では多価蛋白結合肺炎球菌ワクチン(最もよく知られているものは7価)が使用されているが、日本では未承認であるから、個人輸入をしている医療機関での合法的接種が唯一の選択肢となる。
とのこと。 何がけしからんというと、うちの超絶的にかわいいまめぞうの血液の中にもこの肺炎レンサ球菌が見つかっているのだ。発症してしまうと大変なことになる。 たまたま選んだ小児科病院の医師の方が非常に丁寧で、電話で詳細な血液検査の結果を教えてくれて、肺炎レンサ球菌についても都内で数か所ワクチンを輸入している病院があることも聞くことができた。 しかし、これがいまだ無認可であることは非常に問題である。 厚生労働省に働きかけてもおそらくほとんど何も進展しないだろう。われらがゲイツ様であれば迷わず肺炎レンサ球菌をばらまいて優先順位を上げさせるだろうが、さすがにそれはちょっと難しい。市民運動もあるので署名とかで協力することはできる。 しかしだ、こういうのが本当だとすると、厚生労働省の人たちは働けといいたくもなる。というかいってやる。働け。 写真は挑発的な厚生労働省のサボタージュに怒り心頭のまめぞう。 
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かみさんにメールですごいことを言われた。反省の意味をこめて真摯に受け止め、我が身を振り返る。
社交性のなさと社会性のなさはピカイチなのが自分て気がついてないとこもすごいよ。会社の人にもわかりにくいって遠回しに言われてるじゃん
私はどこ行っても問題なく友達もできるし、長く付き合ってるし。そっちは誰もいないじゃん
検証しよう。
社交性のなさ
社交性を計測するのは難しいが、この一ヶ月間に付き合いで何をしたか数えてみよう。
・会社の同僚と飲みに行く 2回
深夜の対応で帰れなくなったのと昼から何も食べていなかったのが理由で会社の近所の居酒屋で食事した。それから、最近iPhone用アプリケーションを開発することにした同僚の買い物に付き合って有楽町のビックカメラに行って帰りに食事がてら一杯飲んだ。実に社交的である。
・親戚の見舞いに行く 1回
持病で入院した親戚を見舞って、不便なのでイーモバイルでメールのチェックくらいできるようにしてきた。実に社交的である。
・お隣さんとホームパーティー 2回
月1回くらいのペースでやっている。もっとも自分から動くわけではないのでこれはカウントしない。
・友人に会う 1回
といってもyomoyomoと飲んだだけ。まあ、これは大変に社交的な活動だと思う。
結論としては、私は非常に社交的である。
社会性のなさ
これは常識のなさといったものだろうか。Wikipediaによれば、社会性とはギブ・アンド・テイクの関係だという。そういう意味では、おれのものはおれのもの、お前のものもおれのもの、を信条とするかみさんこそ社会性の欠落が甚だしいのではないかとも思うが、どうだろう。
それから、基本的な定義として、社会性とは
一般に一定の規範を有する社会において、これに参加する個人として円滑に他の構成員に受容され、かつ自己の目的を達成することができる性質のこと。
とされているわけだが、我が身を振り返ってみても、これといって社会参加できていないわけでもない気がする。どこでも相手にされないとしても、それだって円滑な受容であることに違いはない。無事その日をすごすという目標が達成できれば問題はない。
わかりにくさ
自分のわかりにくさについて検証するのは、もはや靴ひもを引っ張って飛ぶくらいの難易度だとしか思われないのだが、やってみよう。
・世論調査
会社で近くにいる人たちに「わたしの話すことは理解しにくいか?」と質問する。結果は、100%が「はい」で、その他の回答さえなかった。わかりにくさについては完全な裏付けがあることが判明した。
しかし、逆に、常にわかりにくいのであれば、少なくともわかりにくいということに関しては非常に明確かつわかりやすいのではないか。
友達がいない
私に友人はいないのか。そもそも友情とは何か。わからないことはすべてWikipediaに聞いてみよう。いわく、友情の最も弱い形体は「知り合い」であるそうな。なるほど、知り合いなら大勢いる。私の社交性の高さは際立っている。このレベルであれば相当有利な勝負が展開できるであろう。しかし、弱い形体のものが多く集まる薄利多売のようなモデルは基盤としては脆弱である。そこで、逆に友情の最も堅固な形体である(とWikipediaに書いてある)「生涯の親友」レベルの友人を獲得できているかどうかが勝負の分かれ目となろう。では、この「生涯の親友」とは何か。件の記事によれば
これは長期にわたり離れ離れになることがあろうとも、つながりが切れず、双方が無条件で信頼しあうような関係についていう。友情の絆の強さは相手のための自己犠牲というかたちで現れることも少なくない。
と定義されている。なるほど。無条件の信頼とはまたハードルの高い関係だ。条件もなしに信頼するわけだから、たとえ百万円で羽毛布団を売りつけられようと信頼が崩れてしまうようであってはならない。これでは無条件であることと無関心であることの区別さえつかない気がするが、それが真の友情というものであれば、納得するしかあるまい。
また、Wikipediaでは大衆受けするテーマ(男が女について知らないこと、とか)の本で成功した心理学者を引用して、友情の3段階というものを提唱されている。
心理学者のヘルプ・ゴールトバーグ (Herb Goldberg) は、友情は3つの段階を経過するという。彼によると仲間意識のひとつ前の段階が、友情だという。
ゴールドバーグはまた第一の段階を、「役に立つ友情」と呼んでいる。どんな理由にせよ、双方に有利、有益なことをもたらしてくれる限り、繋がっていく友情である。
第二のものは、「目的志向の友情」といわれる。なにか特定の目的があって、たとえば余暇に一緒に草野球、釣り、ゴルフなどを楽しむための連れというわけである。
第三の段階は、文字通り「友情」である。特定の目標、目的、利用を追い求めることなく、ただなにかの機会に知り合って、互いによく熟知ししあったという友人。この関係の中での利害は伴わず、ただ友情それ自体が目的になっている。
「金の切れ目が縁の切れ目」から「下手の横好き」を経て、真の友情が生まれるという、なんだか寅さんのようなお話である。
いろいろ考えてみたが、申し訳ないけれど何の目的や利害もなく友人である人間など存在しないような気がする上に、無条件の信頼など無関心と何の違いもないという事実を鑑みて、私にはそんな友人などいないとここに断言することにした。そういう点ではかみさんのいうことももっともである。
総合評価では、4項目の内、2項目がかみさんの言い分を裏付けていることになった。つまり、The SmithsのReel around the fountainのように半分だけ正しいので、引っ叩かれても文句もいえない状態ということになる。
というわけでスミスのビデオ。
教訓としては、たとえひどい人格批判をされても、あまり自分のことは真剣に考えない方がいいということで、なぜなら真剣に考えるとうんざりするから。
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わざとわかっていない振りをしている可能性も否定はできないが。毎日新聞のまとめたベネッセの調査は物事の本質をとらえていないので悪質である。
夫婦:夫への愛情、出産1年後には低下 ベネッセ調査
妊娠中は妻の7割が夫への愛情を実感しているのに、出産や育児を経験した1年後には4割に減少していることが、ベネッセ次世代育成研究所(東京)の調査で分かった。夫が忙しすぎて家庭を顧みないと妻の愛情が低下し、育児をきっかけに夫婦の間に溝ができかねない現状がデータで裏付けられた。
馬鹿じゃなかろうか。
まず、出産後に妻が夫に対して萎え萎えになるのは、世界的に共通の問題であり、オキシトシンとプロラクチンがどんどん分泌されるこの時期、妻はまず母なのであってオトコどころの話ではないのだ。
このプロラクチンの働きだが、「授乳期の母に性欲なし」とはよくいったもので、「プロラクチンは母乳を生産するホルモン、オキシトシンは母乳を絞り出すホルモンです」であり、その作用で性欲はすっからかんになる。
この現象は男性でも容易に体験できる。いわゆる「賢者モード」と呼ばれているのがそれで、プロラクチンは射精後の倦怠感の原因となるホルモンなのだ。そんなモードに突入したときに、突然チアリーダーのコスプレで迫られても、失笑するしかない男性は多いだろう。
さて、そんな状態の妻にとって、夫が魅力的に思えるかどうかは、完全に理性の問題となってしまう。つまり、連れ合いを魅力的と感じるかどうかは、人間とは面白いもので、多分に性的欲求とかかわってくるものだから、そもそも賢者となってしまっている人間にとっては、魅力などという小さな問題に拘泥する理由などありはしないのだ。
この調査結果のまとめには、そんな点がまったくもって含まれていない。言語道断である。
当然ながら、妻が産後であっても男性にはこれっぽっちもプロラクチンなど分泌されず(ひょっとしたら赤ん坊と遊んでいたら少しは出るのかもしれない)、日増しに周囲の女性が3割4割は当たり前に魅力アップすることもある。二岡を非難、排斥するやかましい人たちは、彼にとってはモナを前にしてまるで16試合ノーヒットの際中に甘い変化球が来たように思われても不思議ではないという事実を少しも考慮していない上に、上記の人間的生理現象を理解していない点でまったくもって愚かである。そんな連中が、ベネッセまたは毎日新聞のような馬鹿げたことを書き連ねて満足しているのかと思うと、平和を祈ってあたりかまわず道行く人たちにプロラクチンでも注射してやりたくなる。私は二岡を支持する。今年のバレンタインデーに一人で家にいた私のもとに想像を絶する美女がひょっこりやって来て、ビキニのリボンをもてあそんで見せながら自分自身をプレゼントとして提供して言うには、あんた奥さんに全財産もってかれてその後ずっと収入の半分くらいは納め続けてそれでもあたしに贅沢させられるってんなら、どうぞ丸ごと召し上がれ、というので彼女の秘孔を突いてプロラクチンを分泌させ、赤ん坊に堪能させてやったこともいうまでもない。
怒り心頭である。
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