男子バレーボールが強くならない理由

昔、自分がバレーボールをやっていた話になると、「なぜ男子バレーボールは弱いのか」と聞かれることが多いので、いつも答えていることを書いておく。ちなみに、筆者が高校生の頃に関東地区の選抜チームで指導を受けていた人が、今の全日本の男子チームの編成を担当していたりする。いろいろ面白い話も聞いているが、ここでは関係ないので触れないでおく。

男子バレーボールが世界的にお世辞にも強いチームとはいえない状態が20年くらい続いているのはご存知の通り。オリンピックでは1992年の6位を最後に上位入賞どころか予選敗退が半分以上になっている。日本に極端に有利な条件で実施されるワールドカップですら、出場が12カ国となった92年以降の成績だけみても95年の5位を最高に後は9位か10位だ。ちなみにワールドカップというのは、4年に一度、常に日本で開催される大会で、オリンピックと世界選手権と合わせて一応「世界三大大会」のひとつなのだが、ジャニーズとフジテレビが派手なキャンペーンを繰り広げ、耳をつんざくような黄色い声でひたすら日本を応援するジャニーズのファンが押し掛ける異空間だ。日本チームの出場は必ずテレビの放映時間に合わせて日程が組まれるのでコンディショニングでも非常に有利になっている。さすがに試合前のジャニーズのショーは国際バレーボール連盟の要請で中止になったらしいが。

かつて、といっても1970年代だが、日本はオリンピックで金メダルを獲得したこともあり、何度も上位入賞を果たした強豪国だった。当時の監督で先頃亡くなった松平康隆のPRマンとしての手腕もあり、80年代までは人気の上では絶頂期だったといえる。だが、その頃から徐々に坂を転げ落ちるように国際大会での成績も下降して、人気も凋落していった。近頃は小学校でのバレーボール人気が復活しつつあるそうだが、それもこの年代にファンだったりプレーしていた人たちが親になって自分たちの子供に教えているからだそうだ。

さて、ではなぜ日本代表が弱くなってしまったのか。その理由として最も多く挙げられるのが、身長の問題である。リベロ制度やサービスエリアの撤廃、ラリーポイント制で、とにかく背が高く攻撃力のあるチームが有利になったために日本が活躍できない、というわけだ。実際、身長を比較してみると、確かに世界ランク1位の常連国ブラジルが平均身長197.8cm、中央値197.5cmのチームであるのに対して日本代表の平均身長は7cm程度低い190.6cmとなっている。両チームからリベロを抜いたり、中央値をみてもさほど変わらないので傑出して足を引っ張っている選手もいないようだ。伝統的に身長の高い選手が多いロシア(ロシアではブロックは「壁」ではなく「屋根」という、と昔教えられていましたが本当でしょうか?)もおそらく同じような結果になるだろう。確かに、これもひとつの理由はありそうだ。

だが、それで疑問は全て解決するわけではない。なぜ、背が低いのだろうか。平成20年度の日本人男性の平均身長は25歳から29歳で172.11cm、標準偏差が5.59となっている。サンプル数もそれなりに多い(380万人くらいらしい)ので信頼できる数字だと仮定すると、統計的にはおよそ全体の70%くらいの人たちが166.52cmから177.7cmの範囲内に収まっていることになる。また95%が160.93cmから183.29cmの範囲内にいることも予想される。つまり、チームに入れそうな年齢の男性の5%しかこの範囲から外れる人はおらず、その中でも半数以上(おそらくhydeとか)は下の方にはみ出しているので、下手をすると2%や1%の人材から選手を調達しない限りは高さで世界各国と対抗することは出来ない。

というとなんだか絶望的に聞こえるかもしれないが、日本の人口はとても多いので、25歳から29歳までの男性は380万人もいるのだから、この2%なら実は7万数千人も候補者がいることになる。世界ランク5位のセルビアの総人口は1,000万人に満たず、成人男性の平均身長は178cmだ。200cmの人口は日本より少ないと予想される。つまり、日本は単純に背の高い人材を確保できていないか、育成できていないだけなのではないか。

では、それはコーチングの問題なのだろうか。そう単純な話であれば、外国の指導者を連れてくるだけで事態は改善されるだろう。しかし、状況をみるにそうではないように見える。なぜなら、バレーボールの周辺環境は非常に厳しいものだからだ。

ここからが結論になるのだが、なぜ男子バレーボールが弱いのか(そして、なぜ女子はまあまあなのか)は、手っ取り早くいえば男性の平均年収と女性の平均年収の違いが原因だ。バレーボールは一日6時間以上練習することが出来るので実業団の選手は午前中だけ勤務して練習するか、朝から練習している。このような生活を30歳くらいまで続けるとどうなるか。同じ企業チームでもラグビーではそんなことをしたらみんな死んでしまうので、基本的には定時で上がってから練習をする。曲がりなりにも定時までは仕事をしているので、ラグビーの選手なら引退後もなんとかなるかもしれない。実際、早めに引退して仕事の方で本格的なキャリアを積むケースが多い。でも、バレーボールの他には何もせず、ほとんど業務経験もないまま過ごしてきた30歳に出来る仕事なんかあるだろうか。指導者として残る人などごくわずかであり、大半はとりあえず物流など力仕事中心の部署で自分よりずっと年下の人たちに混じって再スタートすることになるか、そのような環境にも居づらくて退職して連絡がつかなくなる。ましてや、プロ契約など結んでしまっては引退後の身分保証はほとんどない。給与をもらっている男性の平均年収は533万円くらいだが、このレベルになるためにはいつまでも選手を続けていては無理なのだ。男子バレーボールに人材が集まらない理由は、食えないからである。

一方、同じく女性の平均はそれよりずっと低く271万円なので、正社員であれば定時上がりの仕事であってもこのレベルに到達するのはさほど難しくはない。そのため、選手を続けてそのまま会社に残ったとしても、一部の専門職を除けばとりわけ同世代と比較しても待遇が悪いこともない。ましてやこの不景気に実業団に属してプレーすることができればかなりいい身分であるともいえる。

以上が男子バレーボールが強くならない理由だ。細かいところを見れば他にもいろいろあるだろうが、ここが根本的に対策されない限りは、このスポーツに未来はない。

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2011年を振り返り、2012年の目標をたてる

2011年の収支を計算してみましたが、会社に勤めている頃よりはずっとマシだとはいえ、当初思っていたほど稼げたわけでもないですね。ナイスな未回収金を発生させてしまったこともあり、終盤になって年収が大幅に減ってしまったのが痛いです。うちは働き手がぼくだけしかいないので、こういうことが続くと一家で路頭に迷うことになりかねません。さすがに落ち込みましたが、以前お世話になった方々に相談していろいろとお力添え頂きましたので、なんとか春先には挽回したいものです。基本契約書は大事ですね。

来年からどうやっていこうか、考えてみました。別に好きでひとりでやってるわけではないので、どうしてもフリーランスを続けたいわけではありませんが、ここまでボッチだと我が人徳の無さはもはや人類史に足跡を残すほどであると考えるのが妥当だと思います。かの偉大なるポール・グレアムもこんなことを書いています

創業者が1人であるのは何が問題なのだろう? まず何より、それが不信任投票だということがある。それはおそらく、その創業者が一緒に会社を始めてくれる友達を誰も見つけられなかったということを意味する。これはすごく憂慮すべきことであり、彼の友達は彼のことを一番よく知っている人たちだからだ。

実に身につまされる話です。これだけハッキリと不信任決議を突きつけられているのですから、いい加減に目を覚まして、どこかしっかりしたところで落ち着いて勤め人をやるのが筋というものです。そんなわけで、2012年は勤め先を探す年にすることにしよう。それまでには、いくつか考えていたプログラムを作って発表しておきたいので、頑張ります。

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2011年のクリスマス

Gimpで5分、モダニズム風クリスマスカード。

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私は如何にして禁煙するのを止めてタバコを愛するようになったか

意味もなく事実と反対のタイトルにしました。

8月にタバコをやめました。たまに理由は?と聞かれますが、それは自転車を盗まれたことから始まります。年初に自宅に駐輪していた自転車を盗まれました。うちは玄関に人が近づくとライトが点灯する仕組みになっていて、自転車は玄関のドアの前にありました。上の子のところに友達が遊びに来ていて、送り出したときにはまだあったのですが、その20分後にタバコを吸いに外に出たところ、もう自転車はありませんでした。

そして、手にしたタバコを見つめ、いつものようにアスファルトに押し付けて火を消すと、最後の一本を吸い終えた私の中で何かが死に、同時に何かが生まれたような気がしたのでした。

とかいうことは全然なくて、普通に困ってひとしきり泣き言をほざいてから、盗難届を出してこの件は処理しました。しかし、これは人生の大きな転換点の前触れだったのです。

しばらく不便なまま生活していましたが、かみさんの実家に行ったとき、義父母に自転車を盗まれた話をしたら、義父が「じゃあこれをあげよう」と使っていなかった原チャリをくれました。古い型ですが、手入れがよかったのでちゃんと動きます。実は、長いこと生きてきて、これまでヤンキーっぽいからという理由で原チャリに乗ったことがほとんどありませんでした。たぶん、ほんのちょっとの距離を一回くらい、これも誤解の末に仕方なく乗っただけだったはずです。だいいち普通自動車運転免許だって30歳で取得したくらいですから、乗り物全般にほとんど興味がなく、二輪車なんてろくでもない嗜好品としか思えませんでした。でも、なんとなく話の流れで、これからはこの原チャリがぼくの通勤とかの足になってしまったのです。かみさんと近くのホームセンターに出かけてとりあえずヘルメットを買い、運転の仕方についてあれやこれやと教わりましたが、ここ埼玉から練馬の自宅まで、車でも小一時間かかります。でも原チャリを積むことも出来ず、ほぼ人生初の原チャリなのに、大通りを延々と走る羽目になってしまいました。

田舎道を原チャリで走るとたくさんの自殺願望の昆虫が目の中に次々と飛び込んできます。途中でゴーグルを買いました。大きな車に追い抜かれるときは死が具体的な姿で迫ってくる気がしました。アスファルトの路面がまるで1970年代のマンハッタンのように穴だらけなのを知りました。完全にビビりながらの走行でしたが、大通り沿いのコンビニで休憩していると、なんだか自分がいっぱしのライダーになったような気がしてきます。タバコをふかして、気分はまるでハーレーに乗るマルボロマンです。なんだか楽しいじゃないか。時速30キロ台でも、風を切って走っていることには変わりなく、片手をひねれば、もうどこにでも行けるんだという感覚は、魔法のような強さで人を引きつけます。

中年の危機は、男性にとっては、2つのかたちで現れるものなのだそうです。すなわち、若い女に走るか、バイクに乗りたがるか。

いつしか、通勤にもほぼ原チャリを使うようになりました。新宿、渋谷くらいなら原チャリで余裕ですが、五反田あたりまで行くと自分でも相当にいかれてると思います。山手通りの左端を原チャリでのろのろ走っていると、なんだかとても自由な感じがします。電車での通勤だと、ふと目に留まった場所で降りてみるなんてふざけたことが出来る余裕はないのですが、原チャリだったら真っすぐ帰るのも寄り道するのも気の向くまま、どのコースを通ってもいいわけです。たったこれだけのことが、ずいぶんと開放的な気分を演出してくれるとは知りませんでした。それに、原チャリって満タンまで給油しても400円くらいしかしないので、電車賃より安く済みます。交通費をもらえる立場にないので、それも好感触です。もちろん、読書ができるとか天気に左右されないといった電車ならではの特典はたくさんあるのですが、この気分だけは電車の運転手にだって味わえないものなのです。

そして、数ヶ月が経って、あることに気付きました。なんだよ、この俺様より気分良さそうに走る乗り物にのってる奴らがいるじゃねえか。そうです。原チャリは制限時速が30キロ、普段自動車に乗っているとあまりの遅さにすぐに追い抜くような邪魔くさい存在です。でも、渋滞のときは車の脇をすいすいすり抜けて小気味よく走る素敵な乗り物でもあります。しかし、この2つの特性を同時に昇華させて利点に変えたとんでもねえ奴らがいるではありませんか。そう、普通の、いわゆるバイクってやつです。むかつきました。あいつら制限時速も車と一緒だし、二段階右折を強要されることもなく、それでいて渋滞の車の間をすいすい走り抜けていやがる。

悔しくて眠れませんでした。寝ましたけど。それからは、まるで中学生のようにバイクに乗りたい、なんとかして乗りたい、免許買えないかなあ、とか、そんなことばかり考えるようになってしまいました。でも、ぼくが勝手に自営業になったばかりで、うちにそんな余裕はありません。ますます悔しさが募ります。このままでは手当たり次第にバイカーを襲う妖怪に化けてしまいそうです。「バイクがほしいんだけど」ある日、思い切ってかみさんに相談してみました。「お金どうすんのよ」「どうしようもない」確かに、どうしようもありません。ない袖でスイングできないのですが、スイングしなけりゃ意味はないのです。ああ。すると、かみさんがいいことを思いつきました。入る金に変化がないのであれば、使う分をどうにかすればいいのです。

以前、何かの予防接種に上の子を連れて行ったとき、診療所の部屋から部屋へとせわしなく動き回りながら、オリックスのなんとかというピッチャーと飲みに行ったとか、そういうとりとめの無い話を滔々としゃべっていた近所の内科医のオフィスで、チャンピックスを処方されたのが8月の終わり頃でした。考える間もなく始めたので、家にはまだ3カートンもタバコが残っています。

始めてみると、期待していたような禁断症状もなく、二週目から完全に禁煙し、3回目の診察で呼気一酸化炭素が普通の人と同じになりました。最後は薬(チャンピックス)を飲むのもさぼりがちになり、今は「吸うことは出来るし、仕方がなければ別に吸ってもいいけど、別に吸わなくてもいい」という気分のまま、全く吸わないで生活しています。でも、今さら禁煙席に座るのって恥ずかしくて、ときどき喫煙室に座ったまま一服もせずにいることがあるとか、ある程度の時間を過ごすのであればスターバックスは喫煙できないから入らないという習慣が抜けなかったりします。他人の喫煙は全く気になりません。いいにおいだなと思うくらいです。今さら受動喫煙で文句をいえるような立場でもないし、喫煙はいい気分になることだと知っているので反対もしません。むしろ喘息でもないのにタバコを吸ったことがないなんて、お受験エリートみたいな歪んだ子供時代を過ごしたんじゃないかと疑わしく思うくらいです。

さて、肝心のバイクですが、子供の頃にそういうのに全く憧れなかったので、どんなバイクがいいのかさっぱりわかりません。レースに出る人でもないのにゴテゴテくっつけてるのは嫌いだな、とか、その程度の判断しかできません。おまけに免許も取っていません。なので、結果的にはまだタバコをやめただけになっています。調べていて驚いたのが、大型免許って今はすぐに取得することが可能なんですね。といっても教習所でそういうのを受け付けているところは少ないですが。とにかく、まあ、その、こんなことを延々と書いているのはちょっとむしゃくしゃすることがあったからなので、そろそろやめますが、最後に、タバコやめると太るよ。これほんと。

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フリーランスになって1年が過ぎて その3・よかったこと

Twitter経由でひどい話を読んだのですが、まだ20歳と若いのにそこまで絶望するとは驚きました。

ぼくが会社を辞めたのは20歳などとうに過ぎて30代も終盤に入ってから、子供も二人いて、家のローンもたんまり残っていました。退職金なんかありません。預金もないし、もちろん売り払うストックオプションもなく、ついでにいうと有給だって全然残っていませんでした(フレックス制もなく、遅刻は全部午前半休扱いなのでそれに使ったため毎年ほぼ100%消化、確か一週間もなかった)。5年間ずっと携帯向けサービスを作る仕事をしていましたが、構築したシステムはアクセス数こそそこそこあるけれど、新しめの技術など一切使わない、それどころか当時もまだPHP4しか動いていないような職場だったので、業務から得た知識だけでは他所では全く通用しない状態でした。今から考えるとぞっとしますが、勢いで辞めて生き残ったのも、周囲の暖かい支えと運もあったんだと思います。

ただ、本当にまったくの徒手空拳でフリーランスになったわけではありません。ぼくはぜんぜん出世しない人間だったので、会社の中でも比較的暇な、といって悪ければ会社の花形っぽい開発部門じゃない、例えば既存のシステムの保守なんかの仕事を割り当てられることがよくありました。企業向けのウェブアプリのユーザって、管理画面なんかはそれを利用する人は全部合わせても会社の担当者がたった数名だったりするじゃないですか。しかも、自社のウェブサイトだったりなんかすると、利用者はみんなそこら辺の席に座っている人です。そこで、そういう環境のメンテナンスになるたびに、あれやこれやと覚えたての技術を組み込んで、実際に使ってもらって試したりしていました。JavaScriptが苦手だったのでインクリメンタルサーチや各種エフェクトなどあれこれ作ってみたり、Prototype.js以前のAjaxなんか、今となっては貴重な経験ですよね。それから、また忙しい部署に配属されましたが、そこはRedmineもない環境だったので、自分でそこら辺のあまってるマシンに入れて動かしているうちにRailsを覚えたり、誰も見ていないところでは使い捨てのスクリプトはみんな好きな言語に切り替えて勉強したりもできました。そうそう、暇な頃には、風の噂では未だにPHP5に移植できていないらしい会社のCMSをPHP5に移植して自分のマシンでオンラインブックマークのシステムを動かしていましたが、マシンの持ち込みが禁止されてしばらく忘れていたらディスクが飛んで消えました。そのマシンではGoogleデスクトップのMac版がなかった頃にPDF、Excel、WordをFerretで全文検索して、ついでにPDFのガードを解除する仕組みも動いていました。ようするに、まだ試したことはないけど勉強だけは結構しっかりやっていたので、脳みそに貯金だけはかなりありました。でも、墓場までもっていける貯金などないのですから、どこかで使ってやろうと思い立ったのが仕事を辞めることだった、ということなのです。

ぼくは特別優れたプログラマではないし(だったらなんかすごいことやってるでしょ?)、経験もかなり偏っていると思います。TOEICで900点を目指せといわれたら頑張りますが、情報系の資格は面倒くさいです。だけど、プログラムを作って手を動かすのは好きだし、何か気になるものがあったら手を出してしまう性格なので、常に挑戦する対象には事欠きません。また、そこで身につけたことを仕事にして何かリリースしないと気が済まないので、フリーランスになってそんな特性を活かした仕事をすることが出来るようになったのが、一番の収穫でした。最近よく思うのですが、何か当たらしいことを始めたい、始めないといけない、と考えている会社はいっぱいありますが、でもいざ実際に何かしようとなると、全然うまくいかなかったり、そもそも始めることさえ出来ないなんてケースは、実はかなりたくさんあると思います。その原因はさまざまでしょうが、ひょっとしたら、社内にくすぶっている冴えない誰かにそんな妙な能力があったりするかもしれないし、それを見落としてずっと損をしていることも、あり得ないことじゃないんじゃないですかね。

もちろん、こんな状態があと何年続くかはわかりません。どこかで書いた気もしますが、まるでアイドルのように、いつか自分への需要がなくなってしまう、いやもうそろそろ底を尽きているんじゃないか、という恐怖は夜空の月のように常につきまとっています。でも、まあ、とりあえず今のところは、まあ、よかったんじゃないかな、と思います。

あ、肝心のお金だけど、辞めてからの方がずっと儲かってるよ!てへ!言っちゃった!じゃあね!バイバイ!

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フリーランスになって1年が過ぎて その2・困ったこと

組織と個人では、絶対に個人が弱いです。それに、仕事を持って来てもらう立場にいると、仕事を供給する立場の人の方が強いです。そのため、例えば事前に説明されていないようなことが、無理強いされてこちらのタスクに組み込まれてしまうことがあります。

一番困るのが、下手な知識があるので細かい違いが分からず、結果的にゴリ押ししてしまうタイプ。

「そういえば、このサイトってスマートフォンで見られるよね?」
「ブラウザで表示することは可能だと思います」
「いや、それじゃ見にくいでしょ。プラグインでさっと対応できるよね?」

同じ魚だからと金魚の水槽でクマノミを飼おうとしてもダメなのと同じで、開発者なら誰でもこの「プラグインを入れるだけで解決」みたいなのが信用ならないと知っているかと思いますが、プログラムを書かない人にとっては、いくつかの似たような例を参考に、こんな結論に至ってしまうケースがあります。

その次に困るのが、ただゴリ押ししてくるタイプ。

「ここの画面に帳票管理機能が必要になったからよろしくお願いします」
「いやいや、無理ですよ。納期間近なのに。そもそも工数が違うんだから再見積りにしてください」
「ちょっと待って、そこは頑張ってくださいよ。こっちだって必死になって仕事とってきてるんですから」

仕事をまわす人は、仕事をもらう人より意見が優先されます。上の例はきっと誰かのミスで「帳票管理機」とやらが必要だったのが要件から漏れていたわけですが、会社と個人の争いになれば、こんな風にゴリ押しされたら個人の側はひとたまりもありません。たとえ相手に単純に騙されたんだとしても、なかなか強く言い出せないのです。

他にも、例えばお客様の都合でリリースが延期されたり、プロジェクトがなくなってしまうことがあります。そんなとき、蓄えがないと二ヶ月くらい収入がなくなります。最初の頃はこういうことが続いたため、かなり苦しい目に遭いました。

この手のトラブルを避けられない以上、フリーランスのソフトウェア開発者というのは非常に脆弱な地盤の上に立っていることになります。これは間違いありません。これは構造的な問題のような気がするのですが、それを是正する手段を持たない人にはどうしようもありません。でも、会社の経営だって、よく考えたらそういうものですよね。そういう意味では、個人というのは従業員ひとりだけの会社みたいなものです。そのかわり、経営者としてボンクラ社員をいじめて憂さ晴らししたり、給与カットで自主退職を狙ったり、いっそ思い切ってクビにして切り捨てて逃げようとしても、靴ひもを引っ張って空を飛ぼうとするかのような目に遭うだけですけどね。

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フリーランスになって1年が過ぎて その1・お金

前職に居た頃、ちょっとどうかと思う同僚に、何かの折に「もうあなたの年齢やキャリアでは転職もままならないでしょ」と脅されたのを契機に、それならいっちょやってみようと決意して、フリーランスになってから早いものでもう一年になりました。家族4人でそれなりに暮らしてはいけているので、大失敗というわけでもなかったようです。

フリーランスで仕事をする場合、毎月の経費がどれくらいかかるのかだいたいわかってきました。まあ、食費や交通費みたいなものは受注した仕事によって左右されるので除きますが、その他はだいたいこれくらいです:

・電気代 8,000円

自宅の真夏の電気代はこれくらいでした。自宅ではサーバが一台常時稼働しています。作業中はMacbookProと外部ディスプレイが一台稼働しています。部屋にはクーラーがあります。

・通信費 20,000円

プロバイダ料金、携帯(仕事柄ガラケーの契約も切れません)、iPhone、電話代が合わせてこれくらいです。家族分を含みます。

・書籍、資料 10,000円

Safari Books Onlineに1,765円支払っています。急に未知の言語の仕事が舞い込んできたり、調べものをするのに重宝しています。特にフリーランスになってからウェブ開発からスマートフォンのアプリ開発に重心がシフトした関係で、とても助かっています。

とはいえ、他にもSafari Books Onlineでは入手できない資料だって必要になります。こう見えても一応知的労働に従事しているわけですから、勉強し続けないとすぐに立ち行かなくなります。みなさんはエンジニアを大事にしてくれて、書籍代やカンファレンス、勉強会の費用は当然のように支給してくれる会社にいるのかもしれませんが、フリーランスになると自己投資は欠かせません。

・保険、年金 56,372円

これにはちょっと仰天しました。かみさんと二人分の国民年金が30,040円、国民健康保険が26,332円です。こんなに払ってるのに将来年金がきちんと支払われるかわからないなんて、思わず革命家になってしまいそうです。あるいは、自分が保険組合になってしまいたいです。厚生年金に切り替わるし、福利厚生なんかどうせみんな抽選で外れたことにしちゃえばいいし。まったく。

というわけで、ぼくの場合、上記の合計12万ちょっと+家のローン+生活費が最低限稼がなくてはいけない金額ということになります。もちろん、貯蓄とかなんだとかも含めないと子供の将来が大変なことになってしまいます。今のところ、まあまあギリギリ及第点ですかね。

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革マル派の思い出

96年に大学で革マル派の人たちに遭遇したときのことを思い出したので書いておく。基本的にあの人たちが自らのことをはっきり「革マル派」だと名乗るのは珍しいことだと思うので、そういう意味でも記録しておく価値はあるだろう。

といっても、そんなにややこしい話ではない。A4のレポート用紙にどこかで読んだ漢文の一部を改変した文章を書いて退学届を完成させ、事務局に提出した後、友人のアパッチ加山と大学生活最後の記念にキャンパスの坂の奥のベンチあたりでズブロッカを飲んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。どうやらベンチの前に仰向けに寝転がって酔いつぶれていたようだ。なんだか寝苦しいので目を覚ますと、それほど特徴的でもない、なんというか地味な顔の見知らぬ男が馬乗りになってさかんに何か言っているのが見えた。なんだろう、さっぱりわからない。困ったものだ。しかし、いずれにせよ他人に馬乗りになってもらうのも愉快ではない。そこで、こちらも口を開いてみることにした。

「だ〜れだてめーは」

すると、銀縁眼鏡の奥で鈍く光る小さな目をした男が、誇らしげに答えた。

「革マルだ!」

ジャジャーン、と音がしたわけではないが、へっ、と辺りを見渡すと、10人くらいの男たちが取り囲んでいる。これは一体何なのだろう。日頃から、例えば酔っぱらって自治会の部屋に爪切りを貸せと詰めかけたりしてはいたが、今さら何か用件があるとも思えない。わからないことは聞いてみるのが一番だ。

「なんか用かね」

すると男は何やらあちらの方を指差しながら、「これをやったのはお前らか」と嫌みっぽい口調で答えた。質問に質問で返すとは腹立たしい。こちらも乗られっぱなしはやめて起き上がって、ついでにそちらに目をやった。

当時、キャンパスのあちこちに、いわゆる「立て看板」と呼ばれる、角張った書体の文字が並んだ大きな看板が立っていたのだが、今でもそんなのはあるのだろうか。学生時代、よくあれの偽物(「毎週水曜日は『血塗られた復讐の日』」とか)を作って並べて遊んだりしたものだ。さて、馬乗り男が指差した方には、2メートル以上はある大きな立て看板があったのだが、そいつはちょうどその真ん中あたりでまっぷたつにへし折られていた。

「お前らがやったのはわかっているんだぞ!」

うん、そうだね。思い出した。酔いつぶれる前、心地よく酔っぱらっていたのだが、ふと振り向くとそこにはひどく汚らしい看板があったので、たまたま持っていたギターを投げつけてぶっ壊しておいたのだった。こちらが立ち上がると、囲んでいた連中がさっと包囲の輪を狭めて近づき、逃げられないようにといわんばかりにさっと左右の腕を掴んで拡げて抑えた。みんな背が低くて体格もそんなによくない人たちだったのだが、逃げる気もなかったので大人しくしていた。まあ、壊しちゃったのは悪かったからね。悪かったよ。しかし、馬乗り男の口にしたセリフで気が変わった。

「お前らどこの組織の者だ?」「弁償しろ!」

自分たちの政治的な主張を伝える大事な看板が一方的な暴力によって無残に破壊された今、お前たちが心配するのは金のこと、組織と組織の力関係のことなのか。愚か者め。というわけで、答えた。

「いやなこった」

それからしばらく連中とああだこうだと話して、内容はよく覚えていないけれど、互いの主張や考え方の間の隔たりが大きすぎてどうにもらちがあかない。すると、騒いでいる連中の後ろに立ってちょっとばかり距離を置いている、ボクってこいつらとはちょーっと違うのよ、とても言いたげなそぶりの小太りの男がすっと前に出て来て言った。

「ふん、どうせ酔っぱらってなきゃデカいことも言えないんだろう?」

どうだろう。考えてみたが、酔っぱらっているのは確かだし、じゃあそうでないときに自分はどうするのか想像したとしても、そんな仮定の話など意味はないので、困ってしまった。仕方が無いので、「うーん、でもユーモアは失ってないぞ」と答えてみたのだが、それだと何だかこの小役人じみたニキビ面の男に媚びている気がしてきて、それに、そもそもお前だってこうして数人がかりで腕を抑えている相手にしかデカいこと言えないんだろう、と言い返せばそれまでなのだが、そんな脱構築ごっこをするためだけに生まれてきたのはこいつだけで十分だし、やっぱりこいつが一番腹立たしいから、腕を抑えていたやつらを突き飛ばし、そんなにご立派ともいえないその男の顔面をブン殴った。成人してから、自分のも他人のも含めて、顔を殴るなんて初めてなので、どうなるかと思ったが、特にどうということもなく、結局、どうせこれが大学生活最後の日なんだよね、うるせえ、もう帰って来るな、と軽妙なやり取りがあった後、普通に校門から出て家に帰った。

翌年から、革マル派の資金源として名高かった学祭も数年間中止となり、資金源と活動の名目を失った彼らは学校から徐々に姿を消していったようだが、詳しいことはわからない。

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杭州印象 その6

中国の田舎は、本当にいい気分で過ごせました。思うに、杭州で感じた都会の忙しなさ、人々の間のギスギスした空気は、まだみんなが工業化社会に慣れていないので、ちょっとストレスで参っちゃってるせいなんじゃないでしょうか。その点、田舎はのんびりして気楽でいいです。ミス・リトルスワロー(娘さんがとっても可愛らしい)や陳さんたちに別れを告げ、江山市の駅から再び杭州を目指して移動しました。また駅までの長い道のりを車で送ってもらって、陳さんにはいくら感謝しても足りません。日本の風俗に行ってみたいと話していたので、大陸を代表するドM野郎としてSMクラブとかを紹介したいと思います。嘘です。何か大陸からやって来た客人をもてなすのに相応しいマニアックでこれぞニッポン、完全に狂ってる、という性風俗があれば教えてください。ついでに案内役もやってくれると助かります。費用は自腹でどうぞ。

それにしても、杭州から江山市まで呉さんがこれだけの距離をほぼ毎週移動しているというのは驚異としかいいようがありません。その3で書いたようにローカル線の旅は精神的にも肉体的にも大きな試練になるのはわかったので、今度は中国の誇る高速鉄道に乗って帰ることにしました。車両は日本の新幹線や特急とほとんど変わらない様子で、乗り心地もだいたい同じです。ポッキーを大量に持っていたのでぽりぽり食べていたらこちらをチラチラ見ているので隣の女の子にどうぞと勧めたらひどく不快な顔で拒否されたり(ふざけんなよぽりぽりしてんじゃねえぞ、ってチラチラ見てたんですねきっと)、途中で乗ってきたおばちゃんが携帯電話で話す声がものすごく大きかったりはしましたが、全般的に快適な移動でした。

その一週間後には、追突して線路から落っこちたりしていましたが。

まあ、どれだけの手を尽くしても我々を殺害するのはそう簡単ではないのだよ。わっはっは。被害者の皆様のご冥福をお祈り致します。

杭州に到着し、バスでホテルに向かおうとしたら雨が降り始めました。上海の方はとっくに降っていたので、旅行中にほとんど雨らしい雨に降られなかったのは幸運でした。が、バスが到着しているのになかなかドアを開けてくれません。様子をみるとどうやら何か小役人の約束事みたいな理由があって規定に従い開けないようなのですが、もうバス停に到着しているのだし、そこには屋根がなくみんな困っているのだから、さっさと乗客を乗せればいいのに、なぜかドアを開けようとしません。もちろん待っている人たちは激怒して車体をバンバン叩いたりしています。そんなこんなで、ホテルに着いた頃にはすっかりくたびれてしまいました。

最後の夜はパッとうまいもんでも食いたいね、ということでホテル近くの四川料理レストランに入りました。

うまそー

しかし四川料理はどれも辛いですね。辛いピータンなんて初めて食べました。写真の料理は、この中に魚が入っているんですが、四川料理では有名なやつみたいです。見た目よりもあっさりしていてとてもおいしいです。また、ここは店員さんが親切で、とても感じが良かったのも印象的でした。

翌朝、すっかり気に入ったファーストフード店でカフェテリア形式の朝食を摂って、いよいよ最終日の体制を整えました。バスの移動にはもうこりごりなので、タクシーを使おうということで全員の意見(二人ですが)は一致していました。そこで呉さんにお願いして、今日の午前中いっぱいタクシーを借り切ってもらえるよう交渉してもらうことにしました。杭州は地下鉄もまだ工事中で竣工しておらず、バスは混むので、移動はタクシーを使う方が便利です。タクシーの初乗り運賃が20元と日本よりずっと安いので、気軽に利用できます。しかしそれは杭州の人たちにとっても同じことなので、なかなかタクシーが捕まりません。また、空車を見つけても方向が違うなどの理由で乗せてくれないことが結構あります。というか、西湖を観光したときはほとんど乗せてもらえませんでした。そんなわけで、タクシー側に有利な交渉になってしまうのではないかという懸念はありましたが、予算は300元で交渉してもらうことにしました。すると結局200元でOKということになり、飛行機の時間を気にせず最終日は杭州では名の知られた土産物屋の並ぶ通りでゆっくり買い物することができました。

「人民のために」

もちろん、お目当ては中国共産党グッズです。毛沢東の実家もそうですが、この手の土産物屋でもマオはすっかり観光資源になっていました。他にも表紙に歴代コミュニストたちがずらりと並ぶノートやマオTシャツなどを買い込み、ついでに杭州といえば大変有名なお茶もゲットして、大変満足しました。

つづく

次回予告:杭州最終出口、ロウソクと科学

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杭州印象 その5

思いがけない運動で汗ダラダラでしたが、中国の娯楽の健全さには驚きました。だって、じゃあ聞きますけど、あなたのところに外国から野郎が二人やって来て、二、三日接待しなきゃいけないとしたら、どこに連れて行きます?居酒屋からキャバクラとか、いっそ風俗にぶっこんでワンダーランドジャポーンを思い知らせて楽をしようとか思いませんか?(追記:大きな誤解を生んだようなのではっきりさせておきますが、おら風俗とか行ったことねえだよ。キャバクラなら接待で連れて行かれたことあります)いや、別に中国でそういうのを期待したとかいうわけじゃ全然ないんですけど、例えば日本だったらどうだろう、と考えたら、登山とか普通は思いつかないじゃないですか。つきますか?あんた野口さん?というわけで、中国の青年たちはとても健全だと喜ばしい報告を上奏するため、一行は毛沢東の実家に行くことになりました。嘘です。近くに毛沢東の実家があるよ、といわれて喜び勇んで行こう行こうとなっただけです。

すぐ近くにあったよ

いらっしゃ〜い

これがマオの実家だそうです。なんでも、彼は代々この辺に住んでた人の末裔で、家の中にはすんごい遠い祖先からの家系図とかが掲示されています。まあ、途中がみんな「某」「某」なんで、嘘くさいことこの上ないですが、うちのかみさんだって大名家の出身ですが家系図は途中からなんか急に藤原家とか源氏とか混ざってくるんで、そういうもんじゃないですか。それにしても、下手に歴史が長いと捏造も大変なのでマオん家の方が少なくとも労力はかかってそうです。

マオ一覧

なんか工事中らしくて警備の人もいないし、そもそもマオ本人がどこにもいないじゃありませんか。なんだよ、マオ不在かよ、せっかく日本からANA転がして来たのによぉ、なんて思っていたら、中庭に入ったところでマオ登場です。

ゴールデンマオ

なんというか、マオは観光資源なんだからもっと大事にしてほしいですよね。先祖代々の位牌が、それこそいつの時代の誰だよこいつ絶対先祖じゃねえよってレベルの人からずっと飾ってあるんですが、さすがに疲れたのかときどきメンテ中みたいな扱いをされてるのもあって、そのへんの詰めの甘さが後の文化大革命へと繋がったんじゃないかと思います。

放置プレイ中の位牌たち

あと、やっぱり全盛期の肖像画とかがちょっと金日成っぽくて昭和初期のセンスのなさを感じました。周恩来の方がなんか格好いいよね、と思わせるのも、マオのポイントを下げていると思います。

息子、いいもん食ってんなあ

この施設は入場料とかもなくて、ちょっとした観光にはお勧めです。でもぼくが行ったときは工事中で、なんか池をつぶして改装してるあたりがすっげえ魚臭くていいのかコレと思いましたけど。

江郎山の観光をすっかり堪能したわれわれ一行は、そろそろ本気で空腹になったので、またリトルスワローのお店に向かいました。それにしてもみんな卓球が腹立たしいほど上手です。「我上手卓球比福原愛!」と叫んでも全く通じません。打つ瞬間に「サーッ!」と叫んでも、最初は変な顔をされますが、すぐに通用しなくなりました。

で、できる!

リトルスワローのお店はいつ行っても暢気な雰囲気がいいですね。中国についていろいろご意見のある方もいらっしゃると思いますが、田舎に行けばほんとに素晴らしいところですよ。なんというか、こんな風にレイドバックした感じで村の生活とかやってみたいじゃないですか。ぼくには田舎と呼べるところがないので、余計にそう思うんでしょうが。

続く

次回予告:「杭州最終出口」「タクシーさん、あなた一日おいくら?」「マオは観光資源」

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