アスペルガー症候群
かみさんに指摘されたんですが、どうやら私は軽度のアスペルガー症候群の可能性があるみたいです。
可能性は無限なので、あるといわれればあるかもしれないし、幽霊だってUFOだって存在する可能性は0ではないのですが、自分がアスペルガー症候群かもしれないという思うようになったのは、自覚するというよりは周囲にそう指摘されたからです。初対面に近い人までそういうんだから、もうそう思うしかないよね、くらいな感じです。
いくつか指摘された特徴を挙げてみます。たぶんこれだけじゃないんだとは思いますが。なんとなく分類していますが、明確に分かれるわけではない気もします。
(1)挨拶がちゃんとできない
これ、自分では本当に意外でした。というのも、本人としてはちゃんと挨拶しているつもりだったし、むしろ平均より礼儀正しい方だと思ってさえいたくらいです。でも、周囲の人にいわせると、例えば、急に目の前に現れたみたいにびっくりされるとか、目上の人、目下の人など無関係にフレンドリーに「やあ、どうもどうも」とくだけた感じで話すだけで、全然挨拶のルールを守っていないのだそうです。まあ、いわれてみるとそうかもしれません。そして、それが礼儀正しくない行為だとか、他の人に不快感を与えているとかいうことは、全く気づいていませんでした。
(2)注意力が極端に散漫
いずれも普通のことだと思っていたのですが、そうではないようです。例えば、口頭でいわれたことはほとんど覚えられません。多少は平気ですが、ちょっと複雑になると整理してメールでもらう方が助かります。テレビドラマで、電話で指示を受けてメモも取らずに複雑な内容(「A地点からB地点に進み2番目の信号で黄色い服の女に話しかけろ」とか)を聞いているシーンを見ると、こんなこと出来るわけないじゃんと思っていました。それから、いつも道に迷います。初めての場所だと必ず迷います。車の運転をしていても、うっかり目的地以外の場所に向かっていたりします。方向音痴もひどく、通りを歩いてビルに入り、また出てさっきと同じ方角に歩こうとして逆に進むことなどしょっちゅうです。
そんなに鈍感なのに、誰にも聞こえていない音が聞こえるとか言い出したり(実際に鳴っています)、無駄に過敏なところもあります。
電車の乗り過ごし、路線の乗り間違いも多いです。忘れ物も多く、電車にカバンを置き忘れたことも何度もあります。そのため、今では家を出るときには二つ以上の荷物は絶対に持たないようにするなど工夫して対応しています。なぜなら、二つ以上あるとどれかを忘れる可能性が飛躍的に高まるのですが、一つだけだと、荷物がゼロのことは決してないので違和感を覚えて必ず気がつくからです。そうしてからは、幸いにも一度も鞄の置き忘れはありません。
(3)決まり事が守れない
自分勝手な行動を繰り返すようです。宿題やノートを取るといった授業の決まり事が全然守れませんでした。夏休みの宿題はいつもやらず、高校生になってからはノートを取ったことすらありません。では勉強が嫌いかというとそういうわけではなく、大学受験などは毎日の勉強(自習)が楽しくて仕方がありませんでした。でも興味の範囲は限定的で、国語は得意だったのですが漢文には全く興味がなく、英語の文法は非常に得意でしたが単語を覚えたりスペルを記憶したりする努力はしたことがありません。幸い入試のシステムの問題で、それらがわからなくても問題はありませんでした。それから時間を守ることが全然できません。自分の遅れも他人の遅れもほとんど気にしたことがありません。時間が覚えられないこともあれば、守ろうと前日から意識して、それでも気づいたら間に合わないなんてこともあります。
それから、子供の頃からデパートなどに行くと途中から勝手に好きなところに行ってしまうので、買い物といえば、しばらく独りで楽しんだ後に家族を探しに行くか、みんなが探しに来るというのが普通だったのですが、指摘されるまでそれを不思議だと思ったことはありませんでした。ちなみに今でも買い物に行くとそうなります。
(4)話の脈絡がない
初対面の人と話していて、いつの間にか自分の興味のあることばかりずっと話し続けていたりすることがあるそうです。しかも、相当込み入ったことを延々と話して、相手がいい加減に嫌になっていても気づかないようです。本人としては、一生懸命相手を楽しませようとしているつもりだったりしますが、他人から見れば変な人にしか見えません。大人なひとは「八木さんは初対面の人に自分のコアを晒すねえ」などといなして対応してくれますが、その手のことを頻繁に指摘されるようであれば、ちょっとおかしいと気づくべきでしょう。
というか、話を続けていると、いつの間にかなぜか自分自身のことをずっとしゃべっていることが結構あります。人の話を聞いてそれに話題を合わせるということが出来ないようです。
(5)空気、行間が読めない
会話の中で行間に込められたメッセージを読み取ることが出来ません。女心なんてぜんぜんわかりません。いいたいことがわからないと苛立ってしまいます。仄めかしには我慢ならず、会社でもよく「なぞなぞ遊びしてんじゃねえぞ」と腹を立てたりしていました。ほうきを逆さに立てるとか、そういう空気を読む文化が苦手なので京都の人とうまく付き合えないかもしれません。逆に、自分の言いたいことが正確に理解されないことも多いような気がします。よく、普通に話しているだけのつもりなのに、突然ものすごく悪意的にとらえられてひどいことを言われたりします。また、相手が急に激怒したりして困惑することもあります。
文学作品や映画の場合、行間にあるのは背景の知識であるとか他の作品の引用であったりするので、そういうのは知っているか知らないかの問題であり、相手に感情移入して理解するような質のものではないのでそれほど他の人と比べて劣っているわけではないようです。しかし、他人の気持ちを慮って口に出せないことを推測するというのはとても苦手です。苦手です、といってもそういう自覚があるわけではなく、苦手なんだと指摘されることが多いです。
たぶん、他にもいっぱいあるのでしょう。人によっては、私のことをアメリカ人みたいだといったりします。ようするに、異文化交流だと思っていれば腹も立てずに付き合うことができるよ、という意味だったみたいです。大人な物言いですね。
さて、仕事もあるし、ただでさえ自分語りが多くてうざいと思われているのでこれくらいにしといたるわ。
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ソフトウェア開発会社のための職場
昨年の暮れに読んだ、ソフトウェア会社を運営する際には非常に重要なことが指摘されている記事:
なぜ日本のネットベンチャーはエントランスばかりが小奇麗で、執務スペースは養鶏場のような有様なのでしょうね。執務スペースだけはクリエイティビティが感じられない。転職準備金200万円よりも、もっとゆったりしたデスクを用意したほうがよっぽど効果あると思うのだけど。
“Joel on Software”や“ピープルウエア 第2版 - ヤル気こそプロジェクト成功の鍵”でも触れられていて、これはとても大事なことだ。なぜ大事なのかは、もしまだご存知ないのであれば、上のリンクからたどって書籍を購入してこのささやかなサイトが1年間のドメイン使用料をまかなえるくらいのアフィリエイト収入に寄与して頂くとして、そのジョエル・スポルスキーの運営するFogCreekのオフィスの様子がちょっと見られるビデオがあった。
ちなみに、何十年も前から提唱されているのにいまだにほとんど実践されていないので、ちょっとばかり頭を使うだけで強力な競争優位になる素敵なメソッド「オフィスはこうあるべきという考え方を実践する」が実際にできているソフトウェア会社の人に出会うことは稀である。VCがそんな資金は許さないよ、とか、耳が腐りそうな言い訳ならたくさん聞いたけど、中には激怒してしまう人もいるので、それよりはいくらかましだったかもしれない。
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優しいことばを使おう
先日、母の墓参りと法事に寺に行ってきた。法事というのは、まず一通り挨拶を済ませてから、お坊さんがよく通るテノールでお経を詠唱し、参列者はその間に故人との親等が近い順に焼香する(線香の粉みたいな香りのいいものを火にくべる)。このタイミングで、いったんお坊さんによるブレークがあり、続いて彼のリードで今度はオーディエンスも一緒になって般若心経やその他の文言を唱えてフィナーレに至るのがだいたいの式次第で、真言宗智山派では少なくともアンコールはない。
今年の法事も無事終わり、墓参りをして、線香や花などを手向けてきたのだが、その間、ずっと気になっていたことがあった。般若心経をお坊さんとシンガロングしようとしても、余程慣れた人でないといまいち歌詞がわからない。ましてや、サンスクリット語らしい呪文みたいな言葉なんてどうやって覚えていいのかもわからない。そこで、われわれのようなライトなブディストのために寺の方でよみがなつきのお経ハンドブックみたいな冊子を用意してくれている。なんとなしにパラパラめくりながら眺めていると、「十善戒」という、真言宗の偉い僧侶が広めたよりよく生きるための10のルールというのを見つけた。どこかパレスチナあたりが起源の宗教のやつにかなりかぶっているが、江戸時代の人だし、たぶんパクリではないのだろう。十の戒めが全て「不」の字で始まる三文字で並んでいる。真言宗ではこの教えはとても大事なものであるらしく、寺の本堂の壁にも十善戒が一言解説と一緒に掲示されていた。「不殺生(ふせっしょう)、故意に生き物を殺しません」「不偸盗(ふちゅうとう)、与えられていないものを取りません」「不邪淫(ふじゃいん)みだらな性的関係を持ちません」と順に読み進めるうちに、ある一行に目を奪われた。真言宗の教えとして、現代語に直すとこのようなモットーが称揚されている。曰く:
「乱暴な言葉を使いません。」
これには正直、心を打たれた。私の職業はソフトウェア開発者である。この職業に就いている者の大半がそのコミュニケーション技術は税理士の次くらい、つまりほぼ皆無といっていいほとであり、愛想を振りまく人間的器量のひとつも持ち合わせていないのだが、そのお陰で暗い少年時代を過ごし、毎日が辛いがゆえに日がな一日ずっと真っ黒なターミナルの画面に全てを忘れて没入して奇怪な文字列を打ち込み続けて友達がいなくても大丈夫になったような連中だ。それが、インターネットの時代の到来とともに、突如としてコミュニケーションが楽しい友人たちとのおしゃれで素敵な会話から、TCP/IPによるネットワークを駆け巡るパケットに取って代わったため、ターミナルの画面から先に広大な荒れ地を見いだすことになったのである。そこには秩序があり、無秩序があった。だがその無秩序でさえ、ある種の秩序を見いだすことは可能だった。やがて、そんな新世界にも、人間があふれかえるようになった。そして、まだ旧世界の秩序の感覚しか持ち合わせない哀れな新参者たちが、迷える羊の小集団のように相互リンク、相互フォロー、レスに次ぐレスといった旧態依然たるルールで不格好なネット生活を営み始めた。プログラマたちがそれを知ったとき、ディスプレイに映り込む死んだ魚のような目がカッと見開き、書いたプログラムが動くか動かないかで白黒が完全に決まる純然たる二項対立的評価軸に慣らされた新世界の秩序と、短く効率的なコードの有用性を知り尽くしているがために身に付いた身も蓋もない単刀直入な突っ込みによる会話で入植者たちのオンボロ小屋に殴り込みをかけたのは、恨みの感情からではない。このルールは数十年前から公示されており(おそらくアルファ・ケンタウリにある出張所で)、ルールを知らないと泣き言を垂れたからといって交通違反の罰則は軽減されるべきではないのだ。
ネットにおける先住民たちと入植者たちの軋轢は日々深まっていった。旧世界の秩序を持ち込む入植者たちに対して、モヒカン族に代表される先住民たちは、いまやその圧倒的な物量の差により自分たちの敗北が時間の問題であることを悟りながらも、せめて2038年まではと絶望的な局地戦を繰り広げている。われわれの手元にはストレートな物言いと技術的な知識という、革命を起こすには微笑ましいほどの無力な武器しかない。そんな悲しい物語こそが、われわれの使う言葉の乱暴さの背景なのだ。乱暴な言葉遣いなどというものが出来ることなどたかが知れている。かつて無限の可能性を垣間見せてくれたネットの世界も、もうすぐ優しい言葉遣いで飼い馴らされた連中によって制圧されようとしている。だが、もはやそれを眺めているくらいしか打つ手もないのだ。
さて、真言宗の話に戻る。私が感動したのは、真言宗がケチくさい小市民的ルールを提唱して従順な人間の調教に心理的圧力でもって加担していることではない。「口を開けば言葉は裏切る」とはよくいわれるが、真言宗はそれを戒めのかたちでわれわれに提示しているのだ。そう、例の「不」で始まる三文字の頭韻が奏でるのは抑圧のテーマではなく、本当は解放の歌だったのである。バカにされると傷ついちゃうー、とかいう奴らのことなんか気にするな。真言宗はそう教えている。すなわち、十善戒いわく:
不悪口(ふあっく)
乱暴な言葉を使いません
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今日から出勤しない
初の「今日から出勤しなくていい日」がやってきました。ついついうっかりして、新しい職場となる自室で朝7時から働いてしまいました。
ケータイ向けサービスの開発会社に5年間勤めて、今日から自営業を本格的に稼働させています。おそらく年内はこんなかたちで主に自宅で働いていくことになります。が、自営業を続けるつもりは毛頭ございません。パートナーとして現在仕事をもらっている人たちと何らかのかたちで(って法人化する以外ないんですが)起業することになります。
それにあたって、あんまり大きなことばかり考えても仕方がないので、2つだけ目標を作りました。ひとつは、「長く続けられる仕事をする」です。退職金があるわけでもなく、とにかく世間でいうところの定年まではローンもあるので仕事を続けていかなくてはいけません。そこで、「長く続けられる仕事」というものを深く深く分析して、やがてひとつの結論に至りました。ここで特別にみなさんにもお裾分けします。すなわち:
「長く続けられる仕事」 = 「ゆとりのある暮らしができるだけの収入」 + 「働きやすい環境」
「真面目に考えろ!」と怒るだろうな、という顔がいくつか思い浮かびます。でも、これはとても真面目な考察です。そう見えないなら、騙されたと思ってください。思ったところで何も変わりませんが。それでも説明しますと、会社を辞めてしまえば、業務に関わるいろいろなことを自分でコントロールする必要があります。何に投資してどれくらいの仕事をしていくのか、匙加減を間違えるとたちまち仕事や生活は破綻してしまいます。とはいえ、手元の資金はほとんどない状態なわけですから、最初から選択肢は限られています。なので、どれを取ったら最適なのかを判断すればいいだけのことです。そして、その判断の基準となるものが、上に挙げた非常に難解かつ禅問答的な公式なのです。
収入に関していえば、最低でも税金や生活費、ローンの支払いが終わっても貯金できるくらいの金額である必要があります。サラリーマンの年収の平均である533万円、可処分所得の中央値である480万円程度は確保されるべきでしょう。この点には議論や妥協の余地はありません。また最低でも数ヶ月程度、それだけの収入の見込みがなければ、開業するべきではないでしょう。
働きやすい環境を定義すると、もちろん業務内容によってそれは大きく異なるわけですが、ウェブアプリケーション開発というかなり特殊な職種であれば、ジョエルテストの点数を満点にすることから始めるのがいいでしょう。WEB2.0的な物言いが嫌いな方は、そうですね、壁に飾る認定証が足りなくて夜も眠れないで暮らしているに違いないでしょうから、ソフトウェア品質技術者資格認定でも受験すればいいと思います。止めはしません。ひとつだけアドバイスするとしたら、そんなのを受験するくらいだったら、こんな駄文を読んでいる暇なんかないんじゃないでしょうか。
さて、ジョエルテストで12点取ればいいでしょう、と簡単に言いましたが、別にそれが簡単というわけではありません。第一、企業としてのインフラ整備が出来ていてはじめてジョエルテストでチェックする意味があるわけですから、チェックする前にやらなければいいけないことがたくさんあります。それに加えて、例えば、お金をかけずに、という条件がつくことがあります。
そうそう、ここらでもうひとつの目標を挙げておきます。それは
「小さな会社、投資家は無し」
です。これまでみてきたいろいろな会社で起きていた問題の大半が、その根本的な原因は、堅実なビジネスプランのかわりに絵空事の成長予測を据えて、出来もしない規模の拡大計画で無茶な案件をこなすのに体力を消耗し、みすみす機会を棒に振ってきたことによるものでした。成長しないという選択肢もあるわけですから、身の丈に合った仕事を長く続けられるよう、適正な規模であり続けるのも大事だと思います。ですから、しばらくはオフィスも持ちたくありません。設備投資は最小限にします。
というわけで、まず作業場である自宅にBフレッツのオプションとして固定IPアドレスを追加しました。ASAHIネットのサービスで月額840円でした。これでリモート開発の準備完了です。次にメインの開発言語はRubyにして、簡単な案件はRuby on Railsで構築することにしました。理由は、herokuが使えること。データセンタでラックを借りたりサーバやネットワーク機器の管理を続ける余裕はどこにもないので、どうしてもホスティング会社に頼る必要があります。herokuであれば開発時は無料のプラン、そのまま本番環境として運用する場合は規模に合わせて有料の適当なプランに変更、と状況に合わせて損の出ないやり方を選べます。Gitとの連携もあるので、Railsでの開発に最もストレスとなるデプロイの問題も特に気にする必要がありません。SSLの必要な案件でもない限り、herokuは有力な候補となるでしょう。もちろん、Railsだけで完結しない案件もあります。たいてい本番運用時の環境はクライアント様が用意したものになるので、そんなときは開発環境に自宅のマシンをサーバとして利用します。nginxのリバースプロキシで各環境を束ねてVMWare ESXiで複数のOSを起動していますが、ハードウェアはhpのProliant ML115 G5、よくオンラインストアで15,000円くらいで販売されているやつです。昨年購入したのですが、キャンペーン価格で12,000円でした。それにAMDのPhenom II(クアッドコアです)CPU、2TBのHDD、メモリは8GBと増設していって、合計で50,000円くらいかかりました。大きな買い物ですが、たぶんそこら辺のレンタルサーバよりは快適な環境です。吹っ飛ばしてしまっても仮想環境なのでまあ問題ないです。電気代も少々かかりますが、夏のエアコンほどではありません。それから、企業インフラとして欠かせないメールサーバやファイルサーバ、スケジュール管理はGoogle Appsを申し込んで無料で済ませてしまいました。運用管理のコストを考えると専用の環境を用意するなど問題外でした。可用性について問題視する向きもあるかもしれませんが、それでもたいていの自社管理のメールサーバよりマシなんじゃないかと思います。それからRedmineを導入して進捗の管理などに活用しています。
開発会社の体裁を整えるだけなら、そんなに投資額は要らないみたいですね。
不安がないかといえば、おおいにあります。余裕なんかどこにもありません。でも、そもそも勤めているときだって経済的には非常に苦しかったので、年収の平均額を考えればこのままでいるよりも失うものより得るものの方が大きいだろうという予測はありました。家計が赤字だったので、どうせ赤なら真っ赤になって、南の島で燃えて死ぬ、くらいの勢いもありました。でも、どうせ勢いでやるにしても、ちょっとくらい戦略があってもいいよね、と考えたのが上に書いたことです。今のところ、順調に仕事はもらえています。このまま、もう少ししたら福利厚生の部分を整えてきちんと法人化していきたいと思います。
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サラリーマンの平均年収
ふと気になって調べてみたら、けっこう愕然とした。
年齢を考慮しない全体の平均では、男性は533万、女性が271万円とのこと。この差についてはいろいろ意見のある人もいるだろう。
それにしても、驚いたのは、平均年収の高さである。533万ということは、年俸制なら月給44.4万、ボーナス三ヶ月分もらっていたなら35万だ(元データ)。極端な偏りがあって実際との乖離がある可能性については考えないとして、これが平均的な年収ということであれば、すなわちごく当たり前の勤務評定さえあれば、これだけもらってしかるべきだということになる。なるほど日本は豊かな国だ。
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タクシーに携帯を忘れた人クラブ
あちこちに出没する「タクシーに携帯を忘れた人クラブ」についてまとめておく。
■ 会則 その1 入会資格
(1)肉体的・精神的状態の如何を問わず、乗客として乗車したタクシーに携帯電話を置き忘れた者であること。
(1.1)犬は入れない。
(1.2)くそくらえという場合はその限りではない。
(2)置き忘れた携帯の契約上の所有者である必要は必ずしもない。乗車時に自身が所持している携帯を置き忘れたのであれば入会資格を満たすものとする。
(2.1)自己の所属する組織の所有物であった場合、始末書など何らかの形式で処分されるが、その際はクラブについて言及することは許されない。
(3)忘れた事実に気付くまでの時間の長短は入会資格と一切無関係である。ただしタクシーの乗務員により注意喚起されて気付き、置き忘れた状態が完全に発生する以前であれば入会資格を手にしたことにはならない。
(4)ただし、3の条件において乗務員にお礼をいわない不届き者は「タクシーに携帯を忘れて親切に乗務員に教えてもらったにも関わらずお礼のひとつもいえない反社会的分子」クラブにて再教育される。
■ 会則 その2 退会
(1)原則として退会は認められない。退会する方法も存在しない。
(2)ただし、本当は置き忘れていなかったにも関わらず何らかのアリバイ工作などで置き忘れを偽装していたことが判明した場合、当該会員はあらゆるメディアを通じて会員・非会員を問わずあらゆる方面から悪しざまに罵られた上で強制的に除名されるが、それを期待しての偽装は無駄足に終わるものとする。
■ 会則 その3 活動について
(1)タクシーに携帯を忘れた人クラブの会員は、会則に基づき、置き忘れの理由は全て「ラリー」と名乗る人間によるものであると公言すること。
(2)全ての会員は毎月4で割り切れる日(4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日)で、なおかつ年月日に含まれる数字の合計が完全数である(2 + 0 + 1 + 0 + 0 + 5 + 20 = 28)日には、会員の中で成獣となっても最も小さい動物を干支とする人間がいついかなる時に「ラリーのバ~カ」と唱えても必ず「ラリーのバ~カ」と唱和する義務を負う。
(3)ただし辰年の人間にはその資格はない。
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井上康生
どういうわけか、井上康生が夢に出てくる。これで二度目だ。彼の役回りは昔なじみの友人で、これといって印象的なことは何もしない。 例えば、昨日は夜中に一緒にどこかの店にお好み焼きを食べに行くという夢だったが、財布を忘れたので井上康生に千円を借りて食べたくらいなので、彼は遠慮のいらない友人であることは間違いない。値段から推測するにいたって庶民的な店だ。店に入ってそれぞれ券売機で食券を買って席に着き、メニューについて二、三の会話はあったが、その他には余計な会話もない。夢の中心は井上康生ではなくその店にいた人たちで、隣の席の女性が何やらフランス語でベラベラしゃべっているのだが何を言っているのかわからない。途中、英語が混ざったので、「ゴルフをなさるんですか?」と尋ねると、そうだという。この辺りにはメジャーなトーナメントが開催されるゴルフ場が2つもあるんですよ、とかいう話をした。どうやらこの店は実家の近くにあるという設定のようだ。すると目の前のテーブル席の下に潜っていた男が目から上だけをテーブルの上に出して辺りをのぞいているので、バカじゃないの?ほんとですね、外科がなんとかできる範囲を超えてますよ、と会話が続いたところで目が覚めた。井上康生は会話には参加せず丼ものをひたすら食べていた気がする。
祖父の通夜の日に見たのは、そんな夢だった。
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新聞屋さんの野球のチケット
販促で新聞屋さんからもらえる野球のチケット(ってどこの新聞かずいぶんと特定されてしまうが)は、ホームチームが首位でしかも長年の間ずっと全国放送で試合が中継されてきた実績のある在京人気球団 だったりした場合(ってもっと特定されてしまう)、実質的にぜんぜん観戦出来ないただの紙でしかない。
理由は簡単で、そのようなチケットはたいていがチケットの引換券であり、本当のチケットを手に入れるためには球場の窓口で引き換えなければいけないのだが、席に限りがあるので指定席との引換券であっても満席になってしまった場合は立ち見席との引き換えになる。この立ち見席というのは、通路を取り巻く通路の柵のことだ。で、指定席といっても球場の最も高い位置にある外野の席だったりするのだが、休日ともなるとこの引換券を手にした観客の数がとんでもなく多いのだ。今日のような連休だと、球場を半周するのではないかという行列が引き換え開始時刻前からずらりと並んでいる。当然、もう指定席など手に入るはずもなく、また立ち見席といっても観戦に耐えうるような場所はみんな埋まっている。中には始発電車や徹夜で並んでいるような人もいるようなので、絶望的な状況だ。
はっきりいって、そこら辺のオークションでなら別にそれほど高くはない値段で指定席のチケットを入手することもできるので、何時間も行列して立ち見するような観戦の体力的、時間的コストと引き換えだと思えばそっちの方がタダの引換券よりもよっぽど得だと思う。世の中には会社の福利厚生や接待用に確保された席のチケットなど、いろんな経緯で野球なんかどうでもいいような人の手に渡ってしまったチケットがいっぱいあるのだ。もちろん、直前に日程を調整することなどできないような事情のある人もいるだろうが、うちでは去年の日本シリーズの初戦やメジャーリーグの開幕戦も直前にオークションで結構な席のチケットをほとんど定価で入手している。球場の外の徹夜組の苦闘ぶりを眺めて、これがデジタルデバイドなのかなあ、と感慨深げに帰っている一家がいたら、それがうちだ。
というわけで、うちのように野球なら国の内外も問わなければ少年でも中年でもアマでもプロでもついつい観てしまうような野球好きの家であれば、販促ならビールの方がいいということになる。
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