Image 01 Image 02

0
Posted on 27th 2月 2009 by y

指を食われながらも相手の耳に食らいつく凶悪獣まめぞう。
090225_200801

Popularity: 3% [?]

0
Posted on 26th 2月 2009 by y

以前のエントリでPostgreSQL8.3への移行は型キャストが自動的に行われないため結構大変だと書いたが、PostgreSQL8.3にはCREATE CASTという新しいキャストの定義を記述できる機能がある。Let’s Postgresの記事で知った。風説の流布もいいところだった。以下の内容はLet’s Postgresの記事にtimestampを追加しただけ。まったくもって無知の涙である。

以前サンプルにしていたデータでやってみる。

db_test=# SELECT * FROM test_table;
      datetime
---------------------
 2008-06-30 01:23:45
(1 row)

timestamp型のデータが格納されたテーブルがある。PostgreSQL7.4なら、

db_test=# SELECT SUBSTR(datetime, 1, 4) FROM test_table;
 substr
--------
 2008
(1 row)

こんな風にtimestamp型のデータにSUBSTR関数を実行しても自動的にキャストされて処理されている。自動的にキャストしないPostgreSQL8.3でこのSQLを実行するとエラーになるのだが、以下の方法で回避できた。

まずtimestamp型の入出力関数を調べる。

db_test=# SELECT oid, typname, typinput, typoutput
     FROM pg_catalog.pg_type WHERE oid = 'timestamp'::regtype;
 oid  |  typname  |   typinput   |   typoutput
------+-----------+--------------+---------------
 1114 | timestamp | timestamp_in | timestamp_out
(1 row)

textと違ってinやoutの前に「_」が入るようだ。

これを利用してtimestamp型のデータをtext型にキャストする関数を作成し、自動キャストのルールを作成してしまえばいい。

db_test=# CREATE FUNCTION timestamp2text(timestamp) RETURNS text AS
'SELECT textin(timestamp_out($1))' LANGUAGE sql IMMUTABLE STRICT;
CREATE FUNCTION
db_test=# CREATE CAST (timestamp AS text)
WITH FUNCTION timestamp2text(timestamp) AS IMPLICIT;
CREATE CAST

これで準備完了。では試してみよう。

db_test=# SELECT SUBSTR(datetime, 1, 4) FROM test_table;
 substr
--------
 2008
(1 row)

お見事。

ただし、インデックスの作成プランなど見直す箇所も多いだろうから、単純にこれでおしまいというわけではないけれども。

Popularity: 7% [?]

0
Posted on 23rd 2月 2009 by y

以前のエントリ「恫喝的マネジメント」の中で触れていたマイクロマネジメントがWikipediaにエントリがある言葉だと知った。当時はマネジメントについてこれまで経験したことはどうも間違っているのかもしれないと思い始めて、あれこれ勉強するようになった頃だから、それにしては内容は外していないと自画自賛したい。他に褒めてくれる人がいるわけではないし。

ただ、Wikipediaのエントリには触れられていないが、会社規模でマイクロマネジメントがまかり通っているケースもあり、マイクロマネジメント絡みの問題は決して管理者個人の資質の問題ではない。もっとも、その場合でも、単純に会社全体が軍隊的な制度で運営されているだけとは限らない。なんというか、管理の性格は複数の管理手法のネットワークで全体が形成されているものであって、個々のノードの性格が全体の反映であることはあっても決してそれがすべてではない。余計わかりにくいな。

いわゆる大量雇用を続ける企業にはマイクロマネジメントがまかり通っているケースが多い気がする。退職率が50%の一部上場企業、なんて実は探せば結構あるわけだが、そんな企業ではよほどのことがない限り誰もが最低限の選抜基準をクリアして採用され、そして徹底的に鍛えられて、半数以上が途中で力尽きて辞めている。鍛えるといっても業務スキルとかじゃなく、どちらかといえば精神破壊に近いことが行われる。教育の総仕上げに声が嗄れるまで公衆の面前で社是を絶叫させられたりする(「社員同士のぉ!思いやりをもってぇ!コミュニケーションをぉ!」とかいうシュールなセリフもあったりする)。

以前は、こういう環境に身を置いたことがないので、なぜこんなことがまかり通っているのか不思議に思っていた。だって、ちゃんとした採用プロセスで有能な人間を集めていくより明らかに無駄の多いプロセスにみえるし。

採用の敷居が低く、そしてマイクロマネジメントが唯一の教育である企業というのは、ようするに軍隊と同じような性質をもっている。採用は徴兵であり、徴兵は適任者を探すプロセスではなく頭数を揃える作業だ。創意工夫でのし上がっていく少数の変態を除いた他の連中の扱いは軍隊の伝統にもとづき「勤勉で有能なやつは司令官に、怠惰で有能ややつは現場の指揮官に、怠惰で無能なやつは前線の兵士にすればいい。ただし勤勉で無能なやつは射殺しろ」でなんとかなる。人間は資源であり資源に重要なのは必要なときに揃っていること、と割り切れば、軍隊が精巧な採用プロセスや思いやりのある人事考課を進めても効率が悪くなるだけだ。

軍隊という長い歴史を持つ組織のマネジメント手法が通用する企業があるのも別に不思議なことではない。社員の発揮するべき技能がコモディティと化してしまっていて(挨拶をきちんとする、遅刻しない、接客マニュアルに従う…)、数は必要だが交換可能な存在でしかない集団を率いる場合、このマネジメントは強力だ。

とはいえ、人間というのは間抜けなことをしても総体としてはさほど馬鹿なわけではないので、会社全体がマイクロマネジメントの花火が飛び散る状態であれば、単純に金銭的目標を達成すれば辞めてしまうくらいの分別はある。でも、上で書いたように会社のマネジメントは一枚岩的なものではなくて、複数の管理手法が絡み合って全体をなすようなところもあり、たとえば週末にバーベキューに出かけたり部署やチームのレベルで仲間意識を強めてガス抜きが行われたり、自分が叩かれたら立場上もっと弱い人を叩いて憂さ晴らししたりして、マイクロマネジメントが横行する職場環境でさまざまな調整弁が活躍していることがある。そうなると、軍隊的管理はさらに生き延びやすくなる。

さて、延々と書きながら特に結論は用意していないのだが、以前「恫喝的マネジメント」というエントリを書いたとき、ここで管理されている人の仕事はコモディティと化したようなものではないという前提で論を進めていた。まあ、自分自身のことなわけだが、これは実は今でも変わっていない。もし、ソフトウェア開発会社に勤務するプログラマで、自分はひどい労働環境にいると感じているなら、仕事で企業に提供している技能がコモディティ化してしまった陳腐な手技でしかないのかどうか検討し、そうでなければ「お前なんか雇ってくれる企業なんかいねえよ」などという脅しに負けずに転職するか起業する他に手段はない。マイクロマネジメントは病気であり、おのれを振り返って状況を改めるようなゆとりを管理者自身にさえ許さないものだからだ。

Popularity: 6% [?]

0
Posted on 20th 2月 2009 by y

どこもつながっていない現象を無理やりつなぐ例

今回は大麻所持ということで直接的に誰かを傷つけたという性質の犯罪ではないですが、これがもし傷害や恐喝だった場合にはどうでしょうか。被害者の方がテレビや街中で加害者の楽曲を聞くたびに嫌な思いを感じることもあるでしょうから、そういった方の気持ちを考るとやはり全面的に楽曲の提供が止まってしまっても仕方ないでしょう。

仕方がないという根拠が全く説明されていない。大麻と暴力犯罪とのつながりはどこの宇宙からやってきた話なのだろう。ずいぶんと突飛な意見にみえる。なぜここで暴力事件だったらこうなるから、大麻もしょうがない、という論の進め方になるのか。ギャグなのだろうか。

また、大麻はより強力な薬物を求めて薬物依存にまっしぐらに進む第一歩となりうる危険なものであることから、違法薬物が暴力団などの資金源になっていることや、薬物依存により引き起こされる凶悪な犯罪の被害に遭われた方などにとっては「大麻所持」の事実だけでも多大な嫌悪感を引き起こすかもしれません。そこまで考えれば今回の事例でも全面的な出荷停止となったことはやむを得ないとも思います。

「大麻はより強力な薬物を求めて薬物依存にまっしぐらに進む第一歩となりうる危険なものである」というのは、典型的なゲートウェイ理論である。大麻がよりハードなドラッグへの入り口となる、という考え方だ。

大麻情報誌として有名なHigh Timesを読むことがより強力な読書への入り口にはならないというOnion.comの秀逸な記事がある。基本的に、ゲートウェイ理論というものにのは、相関関係と因果関係とを意図的か無知によるものかはわからないが混同しているという根本的な欠陥がある。これを利用した有名なギャグに、チャーチ・オブ・フライング・スパゲティ・モンスターの「地球温暖化と海賊の減少」というこれまた秀逸なネタがある。地球の平均気温の上昇と海賊の減少には相関関係はある。因果関係があるかどうかを無視すれば、海賊の減少こそが地球温暖化の原因であるという愉快なグラフができあがる。

大麻に手を出すことの社会的背景とか、よりハードな麻薬に手を出してしまう人を取り巻く状況とかを一切無視すると、ゲートウェイ理論は非常にわかりやすい理論的説明の姿になることができる。なぜなら、それは因果関係を無視して相関関係しか見ないグラフのようなものだからだ。だから、ギャグとしてはなかなか面白い。

もちろん、大真面目に唱えるなら、それはただのバカである。因果関係の説明されない相関関係は冗談でしかない。たとえば、外国人による犯罪の急増を声高に唱える人たちの多くは、日本在住の外国人の増加と犯罪件数の増加という相関関係を見ているが、その因果関係として、たとえば貧困であったり合法的な経済搾取といった問題との関係は見ようとしない。あたかも犯罪に手を染めるのが一種の「外国人性」であるかのように語る。ゆえに信用できない。

暴力団の資金源になるから、という理由は至極真っ当であり、それこそ問題だと思うのだが、そういった意味では資金源になるものは他にいくらでもあり、また資金源にしないためには合法化するという手も十分効果的であることを考えると、説得力は弱まる。

別に経済が全てというわけではないが、この不景気でレコード会社も余計な手間を抱え込みたくないから出荷停止もやむを得ない、なら話はわかる。たいした売上にも貢献していないから誰も彼を庇わない、という理屈もよくわかる。上の引用元のようなことを書いて平気な人間が実際にいるわけだから、そりゃレコード会社もテレビやラジオも面倒くさいだろう。

Popularity: 5% [?]

0
Posted on 18th 2月 2009 by y

これはナイーブすぎるだろ。

同調性を測る実験とは、たとえば次のようなものである。明らかに長さの異なる三つの線分と、そのうちの一本と明らかに長さが同じであるような一つの線分とを見せて、その線分と同じ長さのものを三つの線分の中から選んでもらう。このとき、7人同時に見せて順番に答えてもらうのだが、実は被験者以外の6人はサクラで、間違った答えを言うことになっている。最後に順番のまわってきた被験者は周りの意見に同調せず正しい答えを述べられるか?それともサクラの意見に同調して間違った答えを選択してしまうか?この実験で同調行動を示したアメリカ人の割合は37%。一方、日本人のそれは25%であった。その後いくつかの追試が行われたが、「日本人はアメリカ人に比べて高い同調性を示す」という結果は一度も得られていないとのことである。

これは、線分の長さについて「絶対数としては少数の」周囲の集団が明らかに変なことを言い出した、というシチュエーションでしかない。そういうときは、おのれに危害が及ぶようなケースでなければ、おかしいというようにしつけられてきた人も多いだろうし、日本に暮らす人ならそれくらいスレていても不思議じゃない。

これで協調性に関する認知心理学的な実証実験になると思ったら、それはナイーブすぎる。

Popularity: 3% [?]

0
Posted on 18th 2月 2009 by y

まめぞうが検診に。

巨大児だと思いこんでいたのだが、9か月で体重9kgは普通サイズだとのこと。身長も69cmでやや小さめらしい。よく動くようになってから体重が減っていた。

言葉も話さず特に親の真似事もしないので、発達は遅めだと思っていたが、そうでもないようで、ここに載っているポイントは全部クリアしていた。上の子が早いのでよくわかっていなかったようだ。

ほれみたことか、とまめぞう。

090123_124801

最近うんこがくっさいぞ。

Popularity: 3% [?]

2
Posted on 16th 2月 2009 by y

わざとわかっていない振りをしている可能性も否定はできないが。毎日新聞のまとめたベネッセの調査は物事の本質をとらえていないので悪質である。

夫婦:夫への愛情、出産1年後には低下 ベネッセ調査

 妊娠中は妻の7割が夫への愛情を実感しているのに、出産や育児を経験した1年後には4割に減少していることが、ベネッセ次世代育成研究所(東京)の調査で分かった。夫が忙しすぎて家庭を顧みないと妻の愛情が低下し、育児をきっかけに夫婦の間に溝ができかねない現状がデータで裏付けられた。

馬鹿じゃなかろうか。

まず、出産後に妻が夫に対して萎え萎えになるのは、世界的に共通の問題であり、オキシトシンとプロラクチンがどんどん分泌されるこの時期、妻はまず母なのであってオトコどころの話ではないのだ。

このプロラクチンの働きだが、「授乳期の母に性欲なし」とはよくいったもので、「プロラクチンは母乳を生産するホルモン、オキシトシンは母乳を絞り出すホルモンです」であり、その作用で性欲はすっからかんになる。

この現象は男性でも容易に体験できる。いわゆる「賢者モード」と呼ばれているのがそれで、プロラクチンは射精後の倦怠感の原因となるホルモンなのだ。そんなモードに突入したときに、突然チアリーダーのコスプレで迫られても、失笑するしかない男性は多いだろう。

さて、そんな状態の妻にとって、夫が魅力的に思えるかどうかは、完全に理性の問題となってしまう。つまり、連れ合いを魅力的と感じるかどうかは、人間とは面白いもので、多分に性的欲求とかかわってくるものだから、そもそも賢者となってしまっている人間にとっては、魅力などという小さな問題に拘泥する理由などありはしないのだ。

この調査結果のまとめには、そんな点がまったくもって含まれていない。言語道断である。

当然ながら、妻が産後であっても男性にはこれっぽっちもプロラクチンなど分泌されず(ひょっとしたら赤ん坊と遊んでいたら少しは出るのかもしれない)、日増しに周囲の女性が3割4割は当たり前に魅力アップすることもある。二岡を非難、排斥するやかましい人たちは、彼にとってはモナを前にしてまるで16試合ノーヒットの際中に甘い変化球が来たように思われても不思議ではないという事実を少しも考慮していない上に、上記の人間的生理現象を理解していない点でまったくもって愚かである。そんな連中が、ベネッセまたは毎日新聞のような馬鹿げたことを書き連ねて満足しているのかと思うと、平和を祈ってあたりかまわず道行く人たちにプロラクチンでも注射してやりたくなる。私は二岡を支持する。今年のバレンタインデーに一人で家にいた私のもとに想像を絶する美女がひょっこりやって来て、ビキニのリボンをもてあそんで見せながら自分自身をプレゼントとして提供して言うには、あんた奥さんに全財産もってかれてその後ずっと収入の半分くらいは納め続けてそれでもあたしに贅沢させられるってんなら、どうぞ丸ごと召し上がれ、というので彼女の秘孔を突いてプロラクチンを分泌させ、赤ん坊に堪能させてやったこともいうまでもない。

怒り心頭である。

Popularity: 7% [?]

2
Posted on 16th 2月 2009 by y

むかつくクライアントやどーしよーもないベンダにうんざりしている人は大勢いると思うのだが、社内メールでうっかり悪口を書いてしまって、それが当のクライアントやベンダに誤って送信されてしまうケースは結構あると思う。というか、結構そういうのを受け取ることがある。それだけ悪口をいわれているのだという事実が問題なのかもしれないが、ソフトウェア開発で不具合や問題が起きるのはある程度は仕方がない(300億円で発注してくれたら対策します)。

ついさっき、こんなメールを受け取ったので、さっそく「重要」タグをつけて保存した。

○○さん

こちら了解です。いちおう××(うちの会社の略称らしい)にもいっときましょう。知ってるとは思うけど、やつらたまにポカするんで…

明らかに社内メールの誤配信である。月曜日には不思議な魔力を備わっているようで、どこから突っ込んでいいのかわからないシュールなメールに朝からドキドキだ。だって、こっちがポカするって内容のメールがまさにそのポカとやらでこちらに送られてるんだもの。

この手のミスは社内文化としてクライアントやベンダの悪口をいわないというルールで対応する他はどうしようもないと思う。メールなんて送ってしまえばたいていもうどうしようもないし、宛先は間違えやすいものなのだ。関連ソリューションもないわけではないが、そこにお金をかけてもあまり意味はない。もちろん、機密情報が漏れてしまうことについて懸念するのは大事だが、それだって取引先との関係次第でなんとかなるのが大人の社会ってものだ。だから、社内メールだからといって安易に誰かの悪口を書くのは下品だし社内文化としてとがめられてしかるべきという社風を日頃から作っていくのが健全な対応方法だと思う。ミスしても相手側の好感度が上がるなら儲けもの。ビジネスからなれあいを取り去ったら、残るのはつまらない人生だけだ。

もちろん、先のメールにはあえて反応せず、続きがどうなるのか手ぐすね引いて待っている。今のところ先方の誰からも返信はない。もう気づかれてしまったのだろうか。悪口が書かれていなければ、担当の誰かにこっそり電話して誤配信について教えてあげていたのにね。

Popularity: 5% [?]

0
Posted on 15th 2月 2009 by y

“拷問者の影(新装版 新しい太陽の書1) (ハヤカワ文庫SF)” (ジーン・ウルフ)

写真入りでは紹介できないくらい、気恥ずかしくなる表紙で再発されたジーン・ウルフの長編。しかし、“デス博士の島その他の物語 (未来の文学)” (ジーン ウルフ, 伊藤 典夫, 柳下 毅一郎)に満足した人なら、中身は問題ないだろう。ちょっと安易な筋書きが見え隠れするのを我慢出来れば、の話だが。散文家、という言い方があるのかどうかは知らないが、凄まじく入り組んで不可解かつおぼろな手がかりしかない状況を描きながら、それがハンス・ヘニー・ヤーンの“十三の無気味な物語”のように、決して荒唐無稽とは思われないようにすることができるのは、希有な才能というべきだろう。

うーん、例えば。ある女がいて、彼女には過去の記憶がない。しかし、自分が処女じゃないと思っている。なぜなら、自分は傷つき疲れて眠る男の側で一晩中起きていて、それで満ち足りることが出来るから。男はその話を聞いて、納得する。こんな描写があるわけだが、この心理の文化的バックグランドが何なのか、理解するのは難しい。それでいて、これだけの内容でもって読者にこのような心理、考え方が人々の脳裏に想起している世界の存在を実感させる。そういう書き手なのである。

Popularity: 3% [?]

5
Posted on 15th 2月 2009 by y

この冬の読書記録その1。

“神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)” (大西 巨人)

『神聖喜劇』の題名

確かバーナード・ショーの書いていたことだったと思うが、喜劇の構造に「ある共通の価値観を持つ集団」の中に放り込まれた「精神的な異邦人」という典型がある。アイルランド人であるショーがイングランドの貴族社会の人々の偽善を皮肉に描く作品を残したように、あるいは後に不当にも犯罪的性的倒錯者として獄死する投獄されるオスカー・ワイルドが周囲の文化的偽善を小馬鹿にしたブラックユーモアに満ちた警句を数多残したように、自分以外の人間たちが当然と思い込む事柄に疑問を感じるのは喜劇の始まりとなる(ときに終わりが悲劇となるにしても)ことも確かにあるらしい。

一枚岩として行動する人間を作り出すためにある軍隊の教練に、何かといえばすぐに長大な恣意を巡らせて、文字通り逡巡する哲学者的人間を放り込めば、噛み合ない両者の行き違いが滑稽さを醸し出すのも当然であろう。ショーであれば、それを「人と超人」のような愉快な喜劇としてまとめあげるのかもしれないが、大西巨人の本作では徴兵とその先に待ち受けている戦場の暗い影が常にどこかに見え隠れする新兵教育の対馬が舞台となっていることもあり、確実に喜劇としての物語構造を有しながら、その喜劇的なやり取りが時に尋常ならざる荘厳さ、人間性をもって迫ってくる。ほぼ確実なる死を前に、知識人としての使命であると認識していた反戦運動に破れ、まだ青臭い虚無主義者として「この戦争で死ぬべき」自己を実際に死の予感に満ち満ちた軍隊に置くことによって、これまでそこにありながらあえて意識にものぼらなかった自分自身のいわば生への意志と和解していく。そんな意味合いにおいて、本作の題名は神聖であり喜劇である。ダンテの『神曲』における何やらと強引に結びつけた解釈も可能かもしれないが、どちらかといえば上のようなことを連想させられた。

『引用、繰り返し』

小説としての『神聖喜劇』の目立った特徴は、まずなんといっても異様なまでの引用の多さだ。何せ、古今東西、非常に数多くの文学、詩文、報道、社会思想書などなどが主人公の連想として次から次へと登場する。その量たるや、お恥ずかしいことにほとほと困って正直なところいくつかの漢文などはストーリーの先を読みたいあまりさらりと流してしまったほどである。しかしながら、読書に淫するいじけた似非知識人の衒いが悪臭ぷんぷんたる、などということは全くなく、逆にうまそうな料理のたくさん載っている本を読んで腹が減るように、さらなる読書へと誘うようなものでもなくはない。

また、元は新聞雑誌への連載であったという性格もあってか、先に書かれたのと一字一句違わない主人公の心理描写が複数回登場するのもひとつの特徴だろう。原稿用紙にして5千枚弱という大作なので必要に駆られてのことだったのかもしれないが、繰り返しによりストーリーにアクセントや新たな緊張感が醸し出されるという効果もあり、また、本作のアウトラインである「異常なほどの記憶力を有する主人公が、たとえ『ごまめの歯ぎしり』を自覚しつつも、その能力でもって超形式主義的な軍隊組織に立ち向かう」に照らし合わせると、一字一句違わない心理描写の繰り返しがまさにこの主人公の能力や心理そのものを滑稽なまでに忠実に描写しているかのようで面白い。

『再び喜劇』

滑稽なまでに、とつい先ほど書いたわけだが、この異常なまでに忠実な描写による滑稽さは、例えば第二部の性描写にもあてはまる。これはあくまで邪推なのだが、出版物たるもの、やはり売れないことにはどうしようもない。売れる本といえば、即物的な考え方かもしれないが、やはりエロである。性の描写を巧みに織り込むことはベストセラーにおいて欠かせないテクニックであり、それでこそ売る側もハッピー、買う側もハッピー、仲介業者もハッピー、となるわけだ。著者自身、それを知らないわけではなかろう。思い入れの深い作品であれば、売れてもらわなければならぬと思うこともないわけでもないだろう。わざわざ巻末の解説に瀬戸内寂聴を配して構成される、主人公が徴兵される直前に広島の料理屋「安芸」の未亡人との情事が語られる第二部は、本作全体の中で性についての記述の大半が押し込まれた一冊となっている。しかし喜び勇んで本書を手に取る読者が目にするのは、「男の無骨な指先の下で彼女の白い柔肌が打ち震えるのであった」といった貧乏臭いベッドシーンではなく、そのかわり、異常な記憶力とこれまでに読んできた文学作品がすぐに連想の中に延々と現れる妙な体質の男が、研究者のように己の行為を観察しつつ思い起こす、どぎついだけに余計またその律儀な描写が滑稽な、そんな場面の連続である。なんというか、一種の清々しさを覚える。

『長くなったのでまとめると』

前にも書いたが、ヘンリー・ミラーいわく、ドストエフスキーの作品の内、いくつかは老後のために読まずに残しておくべきなのだそうだ。本作も、そんなくらいの価値のある長編に数えられても何の不思議もない。読み終わって、ああまたせっかくの良書を既読の作品リストに入れてしまった、という快楽主義者なら誰もが知っている満足と後悔の混じり合った感覚を味わった。

Popularity: 4% [?]