T

優しいことばを使おう

先日、母の墓参りと法事に寺に行ってきた。法事というのは、まず一通り挨拶を済ませてから、お坊さんがよく通るテノールでお経を詠唱し、参列者はその間に故人との親等が近い順に焼香する(線香の粉みたいな香りのいいものを火にくべる)。このタイミングで、いったんお坊さんによるブレークがあり、続いて彼のリードで今度はオーディエンスも一緒になって般若心経やその他の文言を唱えてフィナーレに至るのがだいたいの式次第で、真言宗智山派では少なくともアンコールはない。

今年の法事も無事終わり、墓参りをして、線香や花などを手向けてきたのだが、その間、ずっと気になっていたことがあった。般若心経をお坊さんとシンガロングしようとしても、余程慣れた人でないといまいち歌詞がわからない。ましてや、サンスクリット語らしい呪文みたいな言葉なんてどうやって覚えていいのかもわからない。そこで、われわれのようなライトなブディストのために寺の方でよみがなつきのお経ハンドブックみたいな冊子を用意してくれている。なんとなしにパラパラめくりながら眺めていると、「十善戒」という、真言宗の偉い僧侶が広めたよりよく生きるための10のルールというのを見つけた。どこかパレスチナあたりが起源の宗教のやつにかなりかぶっているが、江戸時代の人だし、たぶんパクリではないのだろう。十の戒めが全て「不」の字で始まる三文字で並んでいる。真言宗ではこの教えはとても大事なものであるらしく、寺の本堂の壁にも十善戒が一言解説と一緒に掲示されていた。「不殺生(ふせっしょう)、故意に生き物を殺しません」「不偸盗(ふちゅうとう)、与えられていないものを取りません」「不邪淫(ふじゃいん)みだらな性的関係を持ちません」と順に読み進めるうちに、ある一行に目を奪われた。真言宗の教えとして、現代語に直すとこのようなモットーが称揚されている。曰く:

「乱暴な言葉を使いません。」

これには正直、心を打たれた。私の職業はソフトウェア開発者である。この職業に就いている者の大半がそのコミュニケーション技術は税理士の次くらい、つまりほぼ皆無といっていいほとであり、愛想を振りまく人間的器量のひとつも持ち合わせていない。そのため毎日が辛く暗い少年時代に、日がな一日ずっと真っ黒なターミナルの画面に全てを忘れて没入し、奇怪な文字列を打ち込み続けることでいつしか友達がいなくても大丈夫になったような連中だ。それが、インターネットの時代の到来とともに、突如としてコミュニケーションが楽しい友人たちとのおしゃれで素敵な会話から、TCP/IPによるネットワークを駆け巡るパケットに取って代わったため、望んでもいなかったのに、ターミナルの画面から先に広大な荒れ地を見いだすことになってしまったのである。そこには秩序があり、無秩序があった。だがその無秩序でさえ、ある種の秩序を見いだすことは可能だった。やがて、そんな新世界にも、人間たちがあふれかえるようになった。そして、まだ旧世界の秩序の感覚しか持ち合わせない哀れな新参者たちが、迷える羊の小集団のように相互リンク、相互フォロー、レスに次ぐレスといった旧態依然たるルールで不格好なネット生活を営み始めた。プログラマたちがそれを知ったとき、ディスプレイに映り込む死んだ魚のような目がカッと見開き、書いたプログラムが動くか動かないかで白黒が完全に決まる純然たる二項対立的評価軸に慣らされた新世界の秩序と、短く効率的なコードの有用性を知り尽くしているがために身に付いた身も蓋もない単刀直入な突っ込みによる会話で入植者たちのオンボロ小屋に殴り込みをかけたのは、恨みの感情からではない。このルールは数十年前から公示されており(おそらくアルファ・ケンタウリにある出張所で)、ルールを知らないと泣き言を垂れたからといって交通違反の罰則は軽減されるべきではないのだ。

ネットにおける先住民たちと入植者たちの軋轢は日々深まっていった。旧世界の秩序を持ち込む入植者たちに対して、モヒカン族に代表される先住民たちは、いまやその圧倒的な物量の差により自分たちの敗北が時間の問題であることを悟りながらも、せめて2038年まではと絶望的な局地戦を繰り広げている。われわれの手元にはストレートな物言いと技術的な知識という、革命を起こすには微笑ましいほどの無力な武器しかない。そんな悲しい物語こそが、われわれの使う言葉の乱暴さの背景なのだ。乱暴な言葉遣いなどというものが出来ることなどたかが知れている。かつて無限の可能性を垣間見せてくれたネットの世界も、もうすぐ優しい言葉遣いで飼い馴らされた連中によって制圧されようとしている。だが、もはやそれを眺めているくらいしか打つ手もないのだ。

さて、真言宗の話に戻る。私が感動したのは、真言宗がケチくさい小市民的ルールを提唱して従順な人間の調教に心理的圧力でもって加担していることではない。「口を開けば言葉は裏切る」とはよくいわれるが、真言宗はそれを戒めのかたちでわれわれに提示しているのだ。そう、例の「不」で始まる三文字の頭韻が奏でるのは抑圧のテーマではなく、本当は解放の歌だったのである。バカにされると傷ついちゃうー、とかいう奴らのことなんか気にするな。真言宗はそう教えている。すなわち、十善戒いわく:

不悪口(ふあっく)

乱暴な言葉を使いません

ふあっく!ふあっく!

Posted by on 2月 21, 2011 in Death, life

コメントを残す