T

アスペルガー症候群の社会復帰プラン(2)

ジョージ・バーナード・ショーは「ピグマリオン」以外にもこの手の問題について示唆的な作品を遺している。「人と超人」の劇中に登場する「革命家のための黄金律」には、

あなたがしてほしいと思うことを、他人に同じようにしてあげてはいけません。趣味は人それぞれ違うから。

という金言がある。自分の言動がいかに相手にとって腹立たしいのかを説明されると、ついつい、だって自分が同じことされても別に腹も立たないよ、と考えてしまいがちだが、趣味も考え方も違う人間同士のコミュニケーションではそのような言い訳は通用しない。特に会話の場合、実際に重要なのは「何を言ったか」ではないのだ。

前のエントリでも述べたように、「悪意がないこと」と「悪意がないことを相手に示すこと」はほぼ同じであり、両方が揃わないのは悪意があるのに等しい態度になる。例えば、悩み事を打ち明けられた際に、その解決方法をベラベラとしゃべり出すのは、悪意がないことを相手に示すためのステップが欠けていることになる。もちろん、しゃべっている側にとっては、解決方法を示そうとすること自体が相手のことを思いやっているのであり、すなわち悪意がないことを示していると考えてしまいがちだが、それは相手側の感情に自分の悪意のなさをアピールする方法としては「何を言ったか」に依存しているため不十分なのだ。そして、もし自分だったら、解決方法をバリバリ提示される方がよっぽど心温まる気がすると思っていても、相手もまたそうなのだと勘違いするのは上の金言に従えば必ずしも正しいとはいえない。

だが、困ったことに、そんな風にまだるっこしいやり取りを欲している当の相手には、あなたに対する共感や思いやりなどこれっぽっちもないのもまた事実だ。いや、正確にいえば、あなたと同じ流儀の共感や思いやりを持ち合わせていない。こうして、最初はただのボタンの掛け違い程度だったコミュニケーションのズレが加速していくことになるわけだが、あとは、ではどっちのタイプの方が多数派であるのかという問題になる。というのも、社会人たるもの多数派のコミュニケーション能力を身につけてこそ立派な人になれるからだ。

Posted by on 3月 9, 2011 in life

コメントを残す