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杭州印象 その3

さてさて。この一連のエントリ「杭州印象」シリーズですが、タイトルは西湖のほとりで開催されていた野外演劇のタイトル「西湖印象」のパクリであることに気付いた方は、杭州に行ったことがあるか、ちょっと病的に勘のいい人だけだと思います。近くを通っただけで、その劇は観なかったんで、詳しいことはわかりません。

さて、杭州から260km以上も一気に移動する我々を運ぶローカル線ですが、乗ったのは地方都市に停車するだけの、日本でいうところの東海道本線を走る特急みたいなやつで、現地の区分では頭文字が「K」となっている便でした。特急といっても高速鉄道ではないので特別な料金はかからないため、なんというか庶民的な雰囲気です。中国の電車といえば、あちらでもチベット自治区の電車の汚さが報じられて、それが日本でも話題になっていたようですが、この路線ではそれほどでもなかったです。まあ、昔の日本もすごかったらしいですからね。大阪では、上品さでは阪急>JR>阪神というイメージがあるそうですが、それをネタにした逸話に、阪急電車の車内で母親が床に新聞を敷いて子供にウンチをさせて、新聞紙を包んで窓から投げるのを見た人が、さすが阪急は上品だ、他なら床に直接出してそのままにしていると感心した、なんてのがあるそうですが、それに比べたら禁煙だしまあかなりマシかな、なんてことを考えていました。いろいろ慣れないものだから、ちょっと疲れたけど、こういう旅もいいもんだな。なんていっぱしの旅行者ぶったりして。

もうすぐ到着だ、と通路の人混みをかき分けて進み、ドア付近に立っていたら、目の前の席でおばあさんが抱っこしていた乳児の尻からうんこが噴き出し、床と座席が茶色に染まって、おばあさんが外していた乳児のおむつで床を拭き、座席を覆う布カバーもざっと拭いてから丸めて座席と背もたれの間にグイグイ押し込む姿を目撃したところで、完全に精神崩壊しましたけどね。

この移動のときの写真が全然ないんですが、たぶん心の余裕が全部なくなってしまったからだと思います。そんなわけで、帰りは多少の金額の差くらいどうでもいいから、高速鉄道に乗ろうと心に誓ったのでした。もちろん、われわれが乗ったまさにその路線を走る新幹線が、一週間後に衝突事故を起こすなどとは、この時は思ってもみませんでした。

昼に杭州を出発し、江山市の駅に到着した頃にはもうあたりは暗くなりかけていました。雨はもう上がっていましたが、駅の地下通路が水浸しです。大陸的なワイルドさを満喫している我々を迎えてくれたのは、中国人の元同僚の幼なじみという陳さんでした。彼はまだ若いのに地元で設備だったか建築関連だったかの会社をやっているらしく、仕事であちこち車で移動しているので道路にも詳しいそうです。ガテン系らしく演歌が好きみたいで、車内にはたくさんCDがありましたが、どれをかけても演歌でした。後部座席のわれわれをよそに友達同士の二人が楽しそうにしゃべっています。しばらくして、元同僚がふと振り返り、自分たちの言葉はものすごい方言なので電車や杭州で話していたのとは全然違うんだと言いました。ぼくにはどっちも中国語にしか聞こえないのですが、彼にいわせると、ここら辺の訛は戦国時代の発音が残っているのだとのことです。よく意味がわからなかったのですが、そういうものなのでしょう。呉越同舟の故事とかも、こんな発音でやり合っていたんですね、きっと。

途中、ハイウェイから別のハイウェイに抜けるのに簡易舗装だけの狭い迂回路に入ったのですが、すんごい狭いのにすれ違いとか平気でバンバン進むので、全身に力が入ったまま抜けませんでした。道路以外は背の高い雑草が生い茂った赤土の原野で、変な色の沼とかもあり、なんとも心細いものです。どうやら無事に迂回路を通り抜けると、今度はいくつか民家の並ぶ村らしき場所に出ました。痩せこけた犬がうろうろしていて、いかにも村っぽかったです。結局、この車の移動も案の定、ちょっと迎えに来てくれと頼んでいた割にはかなり遠くまで進んで行くのですが、こういうのには慣れが必要だと自分に言い聞かせました。やがて車は幹線道路から外れ、ちょっとした郊外の住宅街を通り、どうやら本当に目的地に近づいてきたようです。すると元同僚が、これから彼女を呼ぶからと電話をかけ始めました。彼女の名前は「雪燕」というそうで、読み方はわかりませんが英語がちょっとわかると聞いたのでスノースワローさんと呼ぶことにしました。

スノースワローさんと合流したわれわれ一行は、さらに川縁の道を飛ばして、遂に中国人の元同僚の実家に到着しました。もうあたりはすっかり夜になっていました。この集落の入り口から先は道路が舗装されておらず、赤土の道が続いています。元同僚(面倒くさいのでプライバシーを考慮して「呉」さんということにします)のご実家は三階建ての中国風田舎家という感じで、一階は靴を脱がずにそのまま入れるガレージみたいな造りになっており、そこにテーブルがあってご両親が迎えてくださいました。実は旅行前に一緒に行く元同僚と、お土産は洋菓子とポケモングッズが鉄板だろうと話し合っていたのですが、どっちがどれを調達するかで連絡のミスがあり、おみやげは洋菓子だけになってしまったので申し訳なかったです。お母様が卵とライチを砂糖を溶いたお湯で茹でたものをお椀によそって出してくださったので頂きました。どんな味なのか想像するのが難しいかもしれませんが、上に書いた通りです。ライチは杭州やここら辺ではポピュラーな果物らしく、そういえば杭州の道ばたでも蓮の実とライチの実が売られていました。一通り挨拶を済ませ、いつの間にか後ろに立っていた近所のおじさんとも打ち解け、じゃあみんなで食事に出かけようと相成りました。

街灯も無いので外は真っ暗で、雨が降ったばかりなので雲が厚く星は見えませんでしたが、杭州と違って空気が澄んでとても気分がいいところです。さて、移動しようとなったところで、車に全員が乗れないね、ということになりました。案内されて我々日本人二人が先に乗ったのですが、出発してみたら呉さんのご両親がいないので尋ねると歩いて行ったと聞いて、赤土のぬかるんだ道を歩かせるなんて申し訳ないと恐縮してしまいました。それにしても中国って儒教の影響はどこに行ってしまったんでしょうかね。食事の際、何かのきっかけで中国と日本のタバコの話題になって、お父様にも差し上げようと呉さんに何本か手渡したら、それをポイッと投げて渡していたので、思わずコラッと叫んでしまいました。呉さんによればそれは別に普通のことだとのことですが、文化の違いはあれどそりゃないだろうと反論したら、清朝の時代にそのような儒教的な習慣はなくなったのだといわれて、そこでまたカンカンですよ。ちょっと待った、親に無礼するのを他人のせいにしてはいけないよ、っていうか女真族の習慣なのこれ?絶対違うよね?まあチャイナドレスは女真族の衣装らしいんだけどさ。

さて、話を戻して、我々が向かったのは呉さんのご実家の集落の入り口にある店で、なんでもそこの女主人は呉さんの同級生だとか。食材が並んでいて、そこで食べたいものを選ぶと料理してくれるというので、高野豆腐や肉を頼んでしばらく待つことにしました。このお店は村の複合娯楽施設を兼ねているらしく、ビリヤード台や卓球台があり、さらには昼間は裏手にあるプールで泳ぐこともできます。

みんな楽しそう

さて、料理の方ですが、西湖のほとりの高級なお店で食べたより何倍も美味しかった!ゼロは何倍してもゼロですが、やっぱり気取ったところよりもこんな感じのレイドバックしたところの方がずっと気分もいいです。実際、料理も高野豆腐しかり、イノシシ肉の炒め物しかり、カエルの姿そのまま焼きとか、とにかくなんでも美味しいのです。ビールもこの近所で作られているものを飲んだのですが、薄いので何杯でも飲める感じです。

ピースすんな!

このお店の女主人も途中から加わって、とても楽しい食事になりました。彼女の名前は「小燕」なので、ここはミス・リトルスワローのお店ということにしました。foursquareに登録してメイヤーにもなっているので、もし行く機会があったらリトルスワローさんによろしくお伝えください。ちょっとスケートの選手っぽい人なのですぐにわかると思います。陳さんは料理の好みが違うとかなんとか贅沢をいっていましたが、ぼくにはどれもみんな美味しいので感動しました。特に二日目に食べた、現地では「神の豆腐」と呼ばれている料理が気に入りました。なんかの草を練り込んだ豆腐みたいなやつです。

中国では「乾杯!」の音頭の後は飲み物を一気に飲み干すという習慣があるそうなので、うっかり乾杯してしまうとちょっと困ったことになります。が、さすがに燕、燕と揃ったので、スワローズに乾杯!はやっておかないといけないと思いました。あと、一緒に行った元同僚の名前が略して「ハギ」なのですが、「ヤギ」と「ハギ」はそれぞれ「now」と「then」にあたる言葉だそうで、まあようするに中国のロバート・プラントみたいなものですね。

楽しい食事も終わり、呉さんのご両親にも別れを告げ、今夜の宿に向かいました。そこはカラオケボックス兼ホテルで、なんでも陳さんの会社の人たちがいるらしく、普段はカラオケどころか人付き合いもあまりしない根暗なプログラマである我々も、これも日中友好だと付き合うことにしました。さあ日本の歌をうたえ、という期待が充満する中、マジでぜんぜん知らないというのはなんとも緊張感にあふれた場でしたが、呉さんがなんかすっごく地味な顔の女性二人組の歌を熱唱してからはあんまり期待されてない感じになってきて助かりました。面白かったのが、あちらのポップミュージックには、これは福建省の、これは四川省の、といった、各地方の心の演歌というのがあるそうで、ぼくには違いはぜんぜんわかりませんでしたが、それぞれがゆかりの地の演歌を熱唱する様は感動的ですらありました。それから、タッチパネルかと思いきやマウスでクリックする方式のカラオケの機械をいじっていると、少なからず中国以外の国の曲も見つかるのですが、どうもあまり馴染みの無い曲ばっかりだな、なんて思っていると、ふと気がついてしまいました。そうです、中国は検閲があるから、国内で流してはいけない曲がたくさんあるのです。つまり、ここで選べる外国の曲というのは、中国が国家的に認めた人畜無害な作品であり、ミニットメンの用語でいうところの「マーシュ」、商業主義的音楽、そう、資本主義にどっぷりな体制側公認の音楽なのです。そうでないものだけが、真に反抗的な曲か、マジで売れてない曲といえるのです。

やがて夜も更けて、そろそろ部屋で休もうということになり、カラオケボックスから移動しました。が、ドアを開けると、部屋全体はなかなか小綺麗で広くて悪くないのですが、空調のところから水がボトボト落ちていて、床に3つくらいバケツが並んでいるのは頂けません。呉さんも陳さんもさすがに怒ってフロントと何やら言い合っています。その隙に、我々日本人たちはさっそく部屋に備え付けのPCをいじってあちこちに試しにアクセスしてみました。

以前、とある極右のおっさんがやっていた、オンラインゲームに中国で雇ったバイトに現地からアクセスさせて、ゲーム内で収集したアイテムを他のユーザに現金で売って稼ぐ阿漕な商売の現場にお邪魔したことがあるのですが、そのときは確か名前解決で全然違うIPアドレスを返すDNSの詐称が行われていた記憶があります。でも、今は名前解決さえさせない方式に変わったみたいですね。

そうこうするうちに、結局別のホテルに行くことになり、そちらは水も漏れることもなく、くたびれ果てた我々はよくわからないうちにすっかり熟睡していたのでありました。

続く

次回予告:「また来た世界遺産」「解脱する」「マオの家へ」「マオいねーじゃん」

Posted by on 8月 14, 2011 in Fun, life

Comments

  • […] んがこれだけの距離をほぼ毎週移動しているというのは驚異としかいいようがありません。その3で書いたようにローカル線の旅は精神的にも肉体的にも大きな試練になるのはわかったの […]

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