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革マル派の思い出

96年に大学で革マル派の人たちに遭遇したときのことを思い出したので書いておく。基本的にあの人たちが自らのことをはっきり「革マル派」だと名乗るのは珍しいことだと思うので、そういう意味でも記録しておく価値はあるだろう。

といっても、そんなにややこしい話ではない。A4のレポート用紙にどこかで読んだ漢文の一部を改変した文章を書いて退学届を完成させ、事務局に提出した後、友人のアパッチ加山と大学生活最後の記念にキャンパスの坂の奥のベンチあたりでズブロッカを飲んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまった。状況からすると、どうやらベンチの前に仰向けに寝転がって飲んでいるうちに酔いつぶれていたようだ。なんだか寝苦しいので目を覚ますと、それほど特徴的でもない、なんというか地味な顔の見知らぬ男が馬乗りになってさかんに何か言っているのが見えた。なんだろう、さっぱりわからない。困ったものだ。しかし、いずれにせよ他人に馬乗りになってもらうのも愉快ではない。そこで、こちらも口を開いてみることにした。

「だ〜れだてめーは」

すると、銀縁眼鏡の奥で鈍く光る小さな目をした男が、誇らしげに答えた。

「革マルだ!」

ジャジャーン、と音がしたわけではないが、へっ、と辺りを見渡すと、10人くらいの男たちが取り囲んでいる。これは一体何なのだろう。日頃から、例えば酔っぱらって自治会の部屋に爪切りを貸せと詰めかけたりしてはいたが、今さら何か用件があるとも思えない。わからないことは聞いてみるのが一番だ。

「なんか用かね」

すると男は何やらあちらの方を指差しながら、「これをやったのはお前らか」と嫌みっぽい口調で答えた。質問に質問で返すとは腹立たしい。こちらも乗られっぱなしはやめて起き上がって、ついでにそちらに目をやった。

当時、キャンパスのあちこちに、いわゆる「立て看板」と呼ばれる、角張った書体の文字が並んだ大きな看板が立っていたのだが、今でもそんなのはあるのだろうか。学生時代、よくあれの偽物(「毎週水曜日は『血塗られた復讐の日』」とか)を作って並べて遊んだりしたものだ。さて、馬乗り男が指差した方には、2メートル以上はある大きな立て看板があったのだが、そいつはちょうどその真ん中あたりでまっぷたつにへし折られていた。

「お前らがやったのはわかっているんだぞ!」

うん、そうだね。思い出した。酔いつぶれる前、心地よく酔っぱらっていたのだが、ふと振り向くとそこにはひどく汚らしい看板があったので、たまたま持っていたギターを投げつけてぶっ壊しておいたのだった。こちらが立ち上がると、囲んでいた連中がさっと包囲の輪を狭めて近づき、逃げられないようにといわんばかりにさっと左右の腕を掴んで拡げて抑えた。みんな背が低くて体格もそんなによくない人たちだったのだが、逃げる気もなかったので大人しくしていた。まあ、壊しちゃったのは悪かったからね。悪かったよ。しかし、馬乗り男の口にしたセリフで気が変わった。

「お前らどこの組織の者だ?」「弁償しろ!」

自分たちの政治的な主張を伝える大事な看板が一方的な暴力によって無残に破壊された今、お前たちが心配するのは金のこと、組織と組織の力関係のことなのか。愚か者め。というわけで、答えた。

「いやなこった」

それからしばらく連中とああだこうだと話して、内容はよく覚えていないけれど、互いの主張や考え方の間の隔たりが大きすぎてどうにもらちがあかない。すると、騒いでいる連中の後ろに立ってちょっとばかり距離を置いている、ボクってこいつらとはちょーっと違うのよ、とても言いたげなそぶりの小太りの男がすっと前に出て来て言った。

「ふん、どうせ酔っぱらってなきゃデカいことも言えないんだろう?」

どうだろう。考えてみたが、酔っぱらっているのは確かだし、じゃあそうでないときに自分はどうするのか想像したとしても、そんな仮定の話など意味はないので、困ってしまった。仕方が無いので、「うーん、でもユーモアは失ってないぞ」と答えてみたのだが、それだと何だかこの小役人じみたニキビ面の男に媚びている気がしてきて、それに、そもそもお前だってこうして数人がかりで腕を抑えている相手にしかデカいこと言えないんだろう、と言い返せばそれまでなのだが、そんな脱構築ごっこをするためだけに生まれてきたのはこいつだけで十分だし、やっぱりこいつが一番腹立たしいから、腕を抑えていたやつらを突き飛ばし、そんなにご立派ともいえないその男の顔面をブン殴った。成人してから、自分のも他人のも含めて、顔を殴るなんて初めてなので、どうなるかと思ったが、特にどうということもなく、結局、どうせこれが大学生活最後の日なんだよね、うるせえ、もう帰って来るな、と軽妙なやり取りがあった後、普通に校門から出て家に帰った。

翌年から、革マル派の資金源として名高かった学祭も数年間中止となり、資金源と活動の名目を失った彼らは学校から徐々に姿を消していったようだが、詳しいことはわからない。

Posted by on 9月 21, 2011 in Fun, life

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