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『ハッカーと画家』とPG論法

ポール・グレアムの「ハッカーと画家」読書会に参加した。もちろんこの本は以前読んだことがあったのだけれど、いつも「イエーPG!もっといってやれ!」 くらいのことしか考えないで目を通すだけだったので、これを機会にちゃんと考えながら読み直そうと思ったのだ。

読み進む内に気づいたのは、PGの論法というのは力強い説得力とド素人でもなかなかやらないような論理の大穴が対等に並んだ不思議な空間で、要するにあれはテキストの上であこがれのスティーヴ・ジョブズになろうとする試みなのかもしれないということだ。PGの語ることはビジョンだから、検証するのは別の人の仕事なのだろう。理不尽でありながら妙に納得できる、いじめられっ子の国の王様としてのPG。例えば、彼の語る歴史や経済の話はひどく粗雑で、具体的な数値も出てこなければ何か確たる理論の上に展開されているものでもない。当然、そんな適当なノリだけの代物の上に築かれる確かな思想的基盤などあるわけがないので、ひとたびPGが悪のりして話題をそっち方面に進ませると、読者が知ることができるのは、せいぜいいじめられっ子がプログラミングの世界から外を覗くとどんな風に見えるのかという断片的な情報にすぎない。抜群に優れたプログラマ、つまりハッカーは常識にとらわれない発想をすると彼は述べる。ハッカーはときには世の常識に反することを口走るかもしれない。世の常識に抗い、どこまでも信念を貫こうとするガリレオ・ガリレイに己の理想を投影するPG。しかし、それはそれで正しいのだが、例えば胆石になったらハッカー的発想で常識に挑んで新たな治療法を確立しようと意気込む医者より腹腔鏡下胆嚢摘出術のような堅実な治療方針を考えてくれる医者の方がありがたいのも事実だ。つまり、ハッカーが活躍する場は汎神論的にあまねくこの世の隅々に広がっているものではない。PGが話題にするとスベるのは、このパターンにだいたい当てはまる。

そういった欠点はときに目立ちすぎるほどではあるが、PGの魅力はおそらく別のところにあるので、本書はだからといって無視していいほどつまらない本では決してない。ただ、魅力的な語り口でついうっかり「PG論法」にとらわれてしまうと、うっかり真に受けて明日から会社で書くコードを全部Common Lispにしてしまうかもしれないので注意が必要というだけのことだ。それに、彼はビジョナリーではあるが、他人の金をジャブジャブ注ぎ込んでギャンブルするような不埒な輩ではない。Yコンビネーターで彼は己の勘を頼りに自分の金で博打をうっている(リスクが低くても投資は博打だという意味で)のだ。

そういった通奏低音のようなものは、PGの文章の下にいくつかの層を成している。世の中には常識にとらわれない発想の主が必要で、それを担うのは常識では評価されにくい人材、PGのいうところのハッカーであり、その手の人材を正しく評価して利益を最大化できるのはベンチャー企業だけで、Yコンビネーターはそんなお前らを大金持ちにする機会がやってくるのをずっと待ってるから、中学生で自殺なんかするなじゃないぞ。うん、そうだよPG、あんたのいう通りかもしれない。あんたが高校生でサッカーやり始めたらリア充になってヲタ人生の生き地獄から脱出できたってどっかで書いてたことは意図的に忘れて、いじめられっ子のみんなにPGの福音をひろめて自分の子供にはクラスのマニアックなやつを大事にするよう伝えるよ。

茶化しているようにみえるとしたらそれは誤解なので言い添えておくが、PGの書くこと全般に通じる、このような暴風の中で立ちすくむヲタ少年の魂の叫びみたいなのはおおいに評価されるべきだし、マッチョ主義がはびこるIT業界こそ実はPGによる意識革命を切に必要としている世界なのだ。だって見るがいい。口べたで鈍臭い部下のプログラマにいつも偉そうに詰め寄る上司の姿を。休み時間の教室で、グランドの隅で、体育館の裏で、あんなことばかりしていた人たちをみんなだって見たことがあるはずだ。当時はそれはいじめられっ子といじめっ子と呼ばれていたが、いじめっ子たちは大人になってもいじめられっ子を顎でコキ使う習慣を手放さず、会社でもそんなことを続けている。理想的な社会では、学校でいじめられていた人が大人になってその賢さでのし上がって偉くなっているはずなのだが、どこにも放映されない陳腐な人生というドラマでは、というか実際のところは、いじめっ子はいじめられっ子を探すのが天才的にうまいので、そんな会社には入っていないのだ。だから、PGの福音をIT業界にあまねく行き渡らせ、クラウドからほとばしる雷の閃光で元いじめっ子の上司が焼尽され、選ばれた3万個のUNIXアカウントだけが生き残る裁きの日まで、われわれはPGの祈りに似たエッセイを読み続けるのだ。

Posted by on 7月 17, 2012 in Books

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