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右派もウハウハですな

今日メルマガで配信されたル・モンド・ディプロマティークの記事より:

こうした話もまた今に始まったことではない。1960年代の終わりのアメリカも同様だった。楽観論と野心と平等を軸とし、みなの生活が底上げされるという希望に満ちたルーズヴェルト式の左派のポピュリズムは、国際競争にさらされるなかで下流転落の不安が広がるにつれて、右派の「ポピュリズム」へと変質した。右派の糧となったのは、現在の社会的地位を維持できず、自分たちより惨めな連中に追いつかれてしまうのではないか、という多くの庶民の不安感だった。富裕層と貧困層、資本家と労働者の間にではなく、月給取りと「福祉受給者」、白人と人種マイノリティ、まじめに働く者とズルをする者の間へと、共和党が経済的分断線の引き直しに成功した発端は、この時代にさかのぼる。

社会不安は右派の糧にもなるのか。

本来この分断線は「月給取り<=>福祉受給者」じゃなくて、例えば「ワーキングプア<=>不労所得で暮らせる大金持ち」みたいなものだったはずだ。下流だ下流だといわれる人たちが右傾化するときに攻撃する相手は、自分たちの労働にロクな賃金を払わず、自分たちはトップ同士の懇談会でインサイダー情報を交換し合って手元の資産を増やし続ける偉い人たちではなく、自分たちより恵まれていないはずの人たちだったりすることが多いのは、滑稽ではあるが悲惨な現実でもある。でも、攻撃相手がこのようにすり替わる理由は、わからないでもない。

「他人の労働のおかげで暮らすことを故意に選んだ人々、自分はあらゆるものをもらってよいが、自分自身は誰にも何の義理もないと考えている人々、何もしないくせに、あらゆるものをすぐさま欲しがる人々、生計を立てるために苦労するかわりに歴史の中に閉じこもって、フランスが自分たちに対して負っていて、いまだに清算していないという幻の負債を追い求める人々、努力と労働を通じて社会に溶け込もうとするよりも、記憶をむやみに燃え上がらせて、誰にもそんな義理はないはずの償いを求めようとする人々、フランスを愛さない人々、フランスに何も与えようとしないくせに、フランスにすべてを求める人々、私は彼らに向けて言う。この国土にとどまるには及ばない、と」

2006年6月22日のサルコジの演説だ。「美しい国、日本」とかいう話と、ちょっと気味が悪いくらい似ている。ここで攻撃されているのは、いわゆる左派とそれが支持している(と右派が主張する)人たちだ。決して「他人の労働のおかげで」ヨットに揺られてバカンスを過ごす「ことを故意に選んだ」サルコジ自身のことではない。でも、紛らわしくて、ややもするとうっかり見落としてしまいそうになる。

Posted by on 6月 28, 2007 in life

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