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2016年の卒業式の贈る言葉

 学生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。成績の方はいかがでしたか?ご不満のある方は自分の胸に手を当てながら、一歩前に出て来てください。

 さて、今年は就職活動も大変でインターンやアルバイトで出席がなかった学生さんも多いので、大事なことをいくつかこの機会にまとめてお伝えしておきたいと思います。

 まず、これから社会人になる皆さんは、必ずこの資料に目を通しておいてください。ブラック企業対策プロジェクトが発行している「ブラック企業の見分け方」という冊子です。66ページもある長い資料ですが、しっかり読んでおいてください。あるいは、もう就職してしまったのでから意味がないと思う方もいらっしゃるでしょうから、その場合は「会社をどう休む、病院でなんて言う」をお勧めします。

 なぜなら、皆さんがこれから就職して仕事を始める企業の大半は、ブラック企業だからです。すいません、いきなり変なこと言っちゃって。

 先日、三月三日に誕生日ケーキを買いに、近所で評判のケーキ屋さんに行きました。甘い匂いにつられたアリのように、といっては失礼かもしれませんが、店の外まで大勢のお客さんが並んで、大変繁盛しています。それもそのはず、このお店のケーキは都心の有名店も霞むほどの美味しさで近隣では知らない人はいないほどの知る人ぞ知る名店なのです。なので、毎日こうして行列が絶えません。

 しばらくしてようやく店の中に入ると、一時は住宅でも流行していたいわゆる南仏風の建物の奥、レジの向こうの厨房がガラス張りになっていて、お揃いの白衣に身を包んだ大勢の人たちが一心不乱に働いているのが見えます。ケーキ屋さんのケーキって、手作業が多くてなかなか自動化できないみたいなんですね。だから、人気店の需要を捌くには、どうしても大勢の作業者が必要になります。そんな姿を見ていると、ちょっと嫌なことに思い当たって、ついギョッとしてしまいました。

 …まだ読んでる?ごめんねいきなりケーキの話になっちゃって。もう少し我慢して。

 で、このお店のケーキは、美味しいだけじゃなくて、値段が手頃なことでも知られています。確かに、あまり洋菓子に詳しくなくても、この味でこの値段はちょっとあり得ないだろう、ということだけはすぐにわかります。でも、お店にはこれだけ大勢の人たちが働いているのです。おかしいと思いませんか?ケーキを1つ作るのにも何人もの作業が必要なのですから、当然人件費がかかります。またお菓子なので材料費も必要です。どちらを削っても、質の悪い職人、質の悪い材料、いずれもケーキの味が悪くなる要因になり得ます。

 すると、お店の前に小さな看板が掲げられているのに気付きました(わざとらしい気付き方ですね)。アルバイトの募集です。そして掲載された時給に驚きました。なんと、これだけ多忙なお店で、確かに可愛らしい制服を着て甘い匂いに包まれて過ごせる職場ではありますが、時給は都の最低賃金程度なんですね。またパティシエも募集中でしたが、こちらも月給20万程度です。つまり、削っていたのは、職人や材料の質ではなく、職人を含めた従業員の賃金だったんです。

 不当に安価にものを販売することを、ダンピングといいます。例えば、市場を独占するために赤字覚悟で不当廉売するような行為はこのダンピングに該当し、独占禁止法で禁止されています。一見するとものが安く手に入るのだから消費者には嬉しいようにも思われますが、例えばある企業が不当にものを安く売ることで他のライバルが参入できなくした後で、市場を独占して一気に価格を吊り上げたらどうなるでしょう。これがケーキなら我慢すればいいかもしれませんが、例えばどうしても定期的に服薬する必要がある深刻な病気の特効薬だったらどうでしょうか。このように、ダンピングは健全な競争を破壊して不健康な状態の市場を作り出してしまうので禁止されている行為なのです。

 もちろん、ケーキ屋さんも不当に市場を支配して競合を蹴落とし、甘いものを求める近隣住民の欲望を一気に支配することが目的で人件費を下げているというわけではないと思います。もっと単純に、例えば、善意から、みんなに美味しいケーキを少しでも手軽な値段で食べてもらいたいと考えているかもしれません。ただ、経済においては本人の意図というのはあまり重要ではなく、そこに現れる否応無しに突きつけられる現実、過度な競争や軋轢を生むシステムそのものが問題になってくるのです。

 ふうん、ケーキ屋さんもアンタみたいに面倒くさい客が寄り付いて大変だね、と思いながら読んでいる卒業生の皆さん。これはケーキ屋さんだけに限った話ではありません。っていうか普通はそうだと思うけど、卒業の贈る言葉なんだから当然皆さんのこれからの進路に関係ある話です。上の方で思いっきりほのめかしてますけど、なぜなら皆さんが就職する職場もまた、ダンピングによって成り立っているからです。

 なんだってーとかいうアスキーアートは掲載しません。

 もちろん、ソフトウェア業界とケーキ屋さんには大小様々な違いがあります。仕事という面ではソフトウェア業界の方がまずいことの方が多いかもしれませんね。競争過多なのは同じでも、まず第一にあんまりお客さんが満足していないし、第二にこれっぽっちも美味くなくて、職人の給料と一緒に質も平気で削る世界ですから。思い出してください。皆さんが今の就職先に採用されたのは、その高いスキルで会社を飛躍的に発展させるからではなかったはずです。というか正直、技術の面で何らかの選抜を一切受けていない人の方が多いと思います。面接でコードを書いたり、Githubアカウントを送ったりもしていないでしょう。つまり、大半の場合は若くて(つまり給料が安くて)なんかこちらのいうこと聞きそう、くらいの理由で雇われているのが現状です。これが、上司や経営者が高い給料で贅沢するための措置であれば悪意が原因なのでまだマシなのですが、その上司や経営者も大した報酬もないまま働いているはずです。まあ、もちろん、それでも皆さんよりは稼いでいるかもしれないですけどね。

 悪意が原因ではなく、ただ値段を下げて相手に買ってもらうために人件費を削り、削れない場合は従業員の質を削って安く雇い、低価格でサービスや商品を提供する。これは二重のダンピングです。一つは、普通の意味でのダンピング。もう一つは、安く働く従業員である皆さんによる、労働力を不当に安く提供するダンピングです。え?オレたちが?いやいや、給料は目一杯もらってるし、下げる気なんかさらさらない上に、今の給料も同級生と比べても別に安くないよ?とおっしゃるかもしれません。

 でも、自分の収入が適正かどうかなんてあんまり考えたことないですよね?

 まず、預金額を考えてみます。あんまり溜め込んでも仕方がないので、預金はほどほどでもいいと思うのですが、でも全然ないというのはまずいです。給与の3ヶ月分くらいはないといざという時に困るはず。みなさんの給与は結構高い所で額面20万、税金や保険で手取りはその80%の16万円くらいでしょうか。60万円貯金するのには、毎月5万円コツコツ貯めて1年かかります。ボーナスの話は一旦脇に置きます。すると11万円で生活するわけですが、家賃と光熱費はどれくらいが適正でしょうか。都心で働くとして、もちろん都心に違いほど通勤は楽です。通勤が楽なら自分への投資、勉強会に出たり本を買って読んだりする時間を捻出しやすくなります。反面、まだまだまともな条件の物件は高いはずです。仮にドアからドアで通勤に1時間かかる部屋を7万円で借りたとします。残りの光熱費や生活費を4万円でやりくりするわけですが、きっと携帯電話とインターネットプロバイダの契約だけで1万円くらい吹っ飛んでいるので、1日に500円も使えない生活になるはずです。かなり厳しいですよね。こんな風に、働いても働いても豊かにならないことを、ワーキングプアと呼ぶ人もいます。

 どうしましょう。ええ、こういう時に真っ先に削るといいのは預金です。金利もないんだし、ここを削って生活をもう少しマシなものにしましょう。じゃあ、いくら削って、どんな生活にすればいいのでしょうか。

 みなさんは、将来、家を買ったり車を買う、あるいは子育てをしたいと思いますか?あるいは、贅沢な暮らしがしたいとか、毎年旅行に行きたいとか、そういった類の将来プランはあるでしょうか。まあ、漠然とでもいいので何かあるとして、ではその場合、給料がいくらくらい必要になりますか?

 いや、別にモニタに向かって叫んだり急いでメールを書いて送ってもらわなくてもいいです。清貧生活であれば別にいいですが、そうでなければ、どのプランであっても、ちょっと給与が足りないですよね?足りてるっていうなら、それはそれで別にいいんですよ。でも、そうでないなと思ったら、続きを読んでくださいな。

 基本的に、皆さんは、いくら働いてもあんまり豊かになれない条件で自分の労働を会社に提供しています。つまり、自分自身(の労働時間)をダンピングしているのです。だって、そうしないと職に就けないから。そう、知らず知らずのうちに、皆さんは求人市場における不当廉売行為に手を染めているのです。もちろん、他の大勢の人たちもそうです。ダンピング、というと聞こえは悪いですが、ワーキングプアになるような待遇を受け入れることは、やはり労働力の不当廉売なのです。自分の将来を売って今の生活に替えているだけなのですから。なので、どこかの時点で価格を適正にしないと、自分の方が倒れてしまいます。

 もちろん、急いで言い添えますが、皆さんの待遇は違法行為によって不当に低くなっているというわけでは全くありません。それは皆さんが強欲な亡者で労働市場を不当に占拠しているからでもなければ、経営者が血も涙もない鬼畜で奴隷を買いに行くついでに皆さんを雇ったからでもありません。そうではなく(例外はいるでしょうが)、上にも書いたように、関わっている人たちの善意や悪意は関係なく、ただ否応無しにそんなことになってしまう傾向があるということなのです。多分、昔は年功序列で経済も右肩上がりだったので、給料は将来どんどん上がるものとみなされていたから、若いうちに安月給でも問題はなかったのに、今はそういう状況じゃないくせに古い制度や慣習だけが残っているだけのことなのでしょう。もし本当に悪巧みをする連中がいて、そのせいで良くないことが起きているならまだ良かったのですが、そうではなく、ただ世の中の大半が不当に低い待遇で暮らしているだけだという事実こそが、この問題の根深さなのです。最低限、自分自身が生きていけるだけの分しか保障されていないので、例えば人口の再生産(子供を産んだり育てたりすることです)などは昔と比べて相当難しく、それは昨今の出生率の低下を見ても明らかです。大事なことなので繰り返しますが、これは、皆さんや雇用主が個人的に悪い人だからではなく、世の中がそういう傾向にあるということなので、うっかり社長の部屋に怒鳴り込んだりしないでください。

 そして、だからこそ、せめて悪い会社や上司に行き当たった場合に備えて、上のリンクの冊子を読んで自己防衛してください。

 でも、悪い話ばかりじゃいけないと思うので、こんな状況で皆さんはどうすればいいのか、まあ授業中にもお話ししたとは思うのですが、最後にもう一度繰り返しておきます。

 預金がそれなりにあっても、収入がそんなに高くなければあんまりお金を使うのはいいことではありません。第一、不安で使えないはずです。だから、できることなら、皆さんはまだ若いんだし、今は小銭を溜め込むより、そのお金を自分に投資してスキルを上げて、より高い給与で仕事が出来るようになるべきです。入ってくる当てがある時だけ、安心してお金を使えるからです。まともな生活には、多めの預金よりも多めの月収が効いてきます。だから、どんな人生プランがあったとしても、もしそれが何も使わず何も所有しない清貧暮らしであれば別ですが(それはそれでいいと思います)、当面の目標は、健康を維持しながら月収を上げること、給料を上げることにするべきです。

 では、皆さんの会社で給料を上げる方法は、何でしょうか。

 普通、ここは答えは「会社による」なんですが、皆さんの就職される会社は別です。なぜなら、スキルを必要とする業務にもかかわらずスキルの良し悪しで選考していないで皆さんを採用した会社に、ちゃんとしたキャリアプランが用意されている方が稀だからです。ごめんね、せっかく入った会社なんだから、皆さんもその会社を好きになりたいだろうけど、でもやっぱり、これは経営者が善人じゃないからとか悪人だからとかいう話ではなく、どうしようもない傾向なんですよ。だから、もっとぶっちゃけると、給料を(ごくわずかな場合を除き)上げる方法はありません。転職するしかないのです。というわけで、条件のいい会社に転職できる人間になることが皆さん共通の目下の最大の目的となります。

 そういう風に目標を設定すると、お金の使い方もおのずと決まってきます。自分のスキルを上げる時間を確保するためなら1万円家賃が高くても会社から近い場所に住むべきでしょう。通勤が楽な方が健康も維持しやすいはずです。そのお金で時間と体力を買ったことにして、勉強時間に投資してください。会社の業務を覚えることも勉強ですが、同僚がそのまま力尽きて倒れて寝ている間に、帰ってもう少し先まで学んでください。無茶を言う上司には上の資料を使って適当に対抗し、ちゃんと休憩しながらパフォーマンスを発揮出来るよう調整してください。飲みに行くのもいいですが、出来れば勉強会などでスキルの高い人たちの話を聞くために出かけるよう心がけてください。戦国武将のどうでもいい逸話を披露する上司の話はスルーしてその間に英単語の一つでも覚えましょう。ピープルウェアを読みましょう。C言語を覚えましょう。ミクロ経済学を学びましょう。

 「チョコレートを、食べなさい。あなたの脳を、洗いなさい。ダダ、ダダ、水を飲みなさい

 そして、学びながら、世の中は知れば知るほど結構面白いと気づいてください。もう知っている人はもう一度味わってください。そこまで心が広くないという、まるでぼくみたいな人には、「Living well is the best revenge」という、一説ではジョージ・バーバートのものと伝えられているものの、実際にはユダヤ教の口伝(タルムード)にある「Live well. It’s the best revenge」が由来という、不穏な感じがすごくいいので気に入っている言葉を贈りたいと思います。ぼくらの世代がそろそろ仕事を引退する頃には、最大の人数を誇る最悪の世代として悪名高いジェンレーションXが労働市場から次々に消え去るわけで、高スキルの人材は引く手数多になっているでしょう。その頃までコツコツ頑張っていればきっと大きく報われるんでしょうね。いいなあ。

Posted by on 3月 7, 2016 in Education

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