T

感覚的にはそうなのだろうが

素朴な疑問。個人的には減反とか意図的に牛乳の生産量を抑えさせる政策には賛成できないのだが、庄内米のサイトに書かれていたこんな文句について、気になった数字があったのでちょっと調べてみた。

その質問に答える前に、なぜお米があまるようになったのかについて、考えてみましょう。今から50数年前に、日本がアメリカなどの大国に無謀な戦争を挑み、そして負けたことは、みなさんも知っていますね。戦争には兵士としてたくさんの人が農村からもかりだされ、そして多くの人が死んでしまったため、戦後、お米や農産物を作る労働力が極端に減ってしまい、日本人が食べる分のお米を作ることさえ、できない時代があったのです。その時期には、アメリカをはじめとする外国から、小麦や大豆などを輸入し、何とかしのいできたのです。しかしお米の生産技術が進歩し、ベビーブームなどで人口も確実に増えていき、いつしか( 昭和40年代なかばころ)必要な量を上回るお米を生産することができるようになったのです。

独立行政法人統計センターの政府統計によれば、昭和25年(1950年)の農林水産業に従事する人口はおよそ2,500万人(「職業(大分類),男女別15歳以上就業者数」)。しかし、以降その人数はどんどん減っている。上の引用にある昭和40年は西暦1965年だから、確実に減っているのがわかる。

就業者数(男) 就業者数(女)
1950 17292280 8504271
1955 16057926 8062118
1960 14320691 7394336
1965 11777325 6053420
1970 10085070 5348820
1975 7290080 3577805
1980 6049324 2877457
1985 5360005 2456322
1990 4342391 1947884
1995 3807145 1645547
2000 3149337 1350166

つまり、上の引用にある、農村の労働力不足が1940年代から続き1965年に解消されたというのは事実ではない。

もちろん、引用文にあるように、機械化や効率化、品種改良などによる生産力の大幅な向上がこの期間にあったために収穫量が飛躍的に伸びたというのはあり得ることだ。

第二次世界大戦による日本人の死者と行方不明者はWikipediaの資料では軍人、民間人合わせて270万人。1939年時点の人口と比較すればこれは3.78%にあたるとのこと。仮に、あり得ない仮定として亡くなったのが全員15歳以上の農林水産業従事者であったとしても、1950年から1965年までの減少率29%には到底及ばない。そして、人口そのものが増え続けていたことを考えると、戦争による農林水産業従事者の減少率は戦後の方が遥かに急激だったことがわかる。

計測は大事だ。

心理的な数字、という言い方があるのかどうかは知らないが、戦時中に周囲でどんどん人が亡くなって、あれこれ支障が出て困ったという感覚を知っている人には、心理的な数字として戦争の影響を語ってしまう気持ちももちろん理解はできる。

Posted by on 2月 14, 2009 in News

コメントを残す