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この冬の読書記録(1)神聖喜劇

この冬の読書記録その1。

“神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)” (大西 巨人)

『神聖喜劇』の題名

確かバーナード・ショーの書いていたことだったと思うが、喜劇の構造に「ある共通の価値観を持つ集団」の中に放り込まれた「精神的な異邦人」という典型がある。アイルランド人であるショーがイングランドの貴族社会の人々の偽善を皮肉に描く作品を残したように、あるいは後に不当にも犯罪的性的倒錯者として獄死する投獄されるオスカー・ワイルドが周囲の文化的偽善を小馬鹿にしたブラックユーモアに満ちた警句を数多残したように、自分以外の人間たちが当然と思い込む事柄に疑問を感じるのは喜劇の始まりとなる(ときに終わりが悲劇となるにしても)ことも確かにあるらしい。

一枚岩として行動する人間を作り出すためにある軍隊の教練に、何かといえばすぐに長大な恣意を巡らせて、文字通り逡巡する哲学者的人間を放り込めば、噛み合ない両者の行き違いが滑稽さを醸し出すのも当然であろう。ショーであれば、それを「人と超人」のような愉快な喜劇としてまとめあげるのかもしれないが、大西巨人の本作では徴兵とその先に待ち受けている戦場の暗い影が常にどこかに見え隠れする新兵教育の対馬が舞台となっていることもあり、確実に喜劇としての物語構造を有しながら、その喜劇的なやり取りが時に尋常ならざる荘厳さ、人間性をもって迫ってくる。ほぼ確実なる死を前に、知識人としての使命であると認識していた反戦運動に破れ、まだ青臭い虚無主義者として「この戦争で死ぬべき」自己を実際に死の予感に満ち満ちた軍隊に置くことによって、これまでそこにありながらあえて意識にものぼらなかった自分自身のいわば生への意志と和解していく。そんな意味合いにおいて、本作の題名は神聖であり喜劇である。ダンテの『神曲』における何やらと強引に結びつけた解釈も可能かもしれないが、どちらかといえば上のようなことを連想させられた。

『引用、繰り返し』

小説としての『神聖喜劇』の目立った特徴は、まずなんといっても異様なまでの引用の多さだ。何せ、古今東西、非常に数多くの文学、詩文、報道、社会思想書などなどが主人公の連想として次から次へと登場する。その量たるや、お恥ずかしいことにほとほと困って正直なところいくつかの漢文などはストーリーの先を読みたいあまりさらりと流してしまったほどである。しかしながら、読書に淫するいじけた似非知識人の衒いが悪臭ぷんぷんたる、などということは全くなく、逆にうまそうな料理のたくさん載っている本を読んで腹が減るように、さらなる読書へと誘うようなものでもなくはない。

また、元は新聞雑誌への連載であったという性格もあってか、先に書かれたのと一字一句違わない主人公の心理描写が複数回登場するのもひとつの特徴だろう。原稿用紙にして5千枚弱という大作なので必要に駆られてのことだったのかもしれないが、繰り返しによりストーリーにアクセントや新たな緊張感が醸し出されるという効果もあり、また、本作のアウトラインである「異常なほどの記憶力を有する主人公が、たとえ『ごまめの歯ぎしり』を自覚しつつも、その能力でもって超形式主義的な軍隊組織に立ち向かう」に照らし合わせると、一字一句違わない心理描写の繰り返しがまさにこの主人公の能力や心理そのものを滑稽なまでに忠実に描写しているかのようで面白い。

『再び喜劇』

滑稽なまでに、とつい先ほど書いたわけだが、この異常なまでに忠実な描写による滑稽さは、例えば第二部の性描写にもあてはまる。これはあくまで邪推なのだが、出版物たるもの、やはり売れないことにはどうしようもない。売れる本といえば、即物的な考え方かもしれないが、やはりエロである。性の描写を巧みに織り込むことはベストセラーにおいて欠かせないテクニックであり、それでこそ売る側もハッピー、買う側もハッピー、仲介業者もハッピー、となるわけだ。著者自身、それを知らないわけではなかろう。思い入れの深い作品であれば、売れてもらわなければならぬと思うこともないわけでもないだろう。わざわざ巻末の解説に瀬戸内寂聴を配して構成される、主人公が徴兵される直前に広島の料理屋「安芸」の未亡人との情事が語られる第二部は、本作全体の中で性についての記述の大半が押し込まれた一冊となっている。しかし喜び勇んで本書を手に取る読者が目にするのは、「男の無骨な指先の下で彼女の白い柔肌が打ち震えるのであった」といった貧乏臭いベッドシーンではなく、そのかわり、異常な記憶力とこれまでに読んできた文学作品がすぐに連想の中に延々と現れる妙な体質の男が、研究者のように己の行為を観察しつつ思い起こす、どぎついだけに余計またその律儀な描写が滑稽な、そんな場面の連続である。なんというか、一種の清々しさを覚える。

『長くなったのでまとめると』

前にも書いたが、ヘンリー・ミラーいわく、ドストエフスキーの作品の内、いくつかは老後のために読まずに残しておくべきなのだそうだ。本作も、そんなくらいの価値のある長編に数えられても何の不思議もない。読み終わって、ああまたせっかくの良書を既読の作品リストに入れてしまった、という快楽主義者なら誰もが知っている満足と後悔の混じり合った感覚を味わった。

Posted by on 2月 15, 2009 in Books

Comments

  • K より:

    ワイルドは獄死してないぞ。

  • y より:

    後で死んだんだっけ?

  • K より:

    獄中で心も体もうちひしがれ、そのあとパリでヘロヘロになって死んだということらしい。

  • シアターΧ より:

    前略 大西巨人『神聖喜劇』を演劇化した日大芸術学部の公演を60分版で上演します。
    昨年、この大作を演劇として視角化した学生達が、シアターΧでふたたびこの大作に挑戦します。
    詳細は下記の通りです。(シアターΧは花田清輝にこだわり続けています。本作品は『花田清輝的、きよてる演劇詩の舞台』春祭り2010のフィナーレバラエティとして上演します。)

    2010年3月28日(日)

    花田清輝×大西巨人
    「軍隊・地獄めぐり」の神聖喜劇
    花田清輝×大西巨人 容赦なき小説 容赦なき批評。
    【鼎談】 小沢信男(作家)+木下昌明(映画批評)+大西赤人(作家)
    【パフォーマンス】 『神聖喜劇』原作 大西巨人、脚本 川光俊哉、出演 日本大学芸術学部演劇学科有志

    花田清輝(1909~1974年)
     文芸評論家、小説家、劇作家。戦時中に書き、戦後一年目に刊行した『復興期の精神』は戦後の評論界に衝撃を与えた。主な評論『錯乱の論理』(47)『アヴァンギャルド芸術』(54)『さちゅりこん』(56)『近代の超克』(59)など。小説には『鳥獣戯話』(62)『小説平家』(67)『室町小説集』(73)など。戯曲には処女戯曲の『泥棒論語』(59)『爆裂弾記』(63)『ものみな歌でおわる』(64)など、『首が飛んでも ─眉間尺』(74)が遺作。2004年から『泥棒論語』を継続上演中。

    公演日程 2010年3月28日(日)14:00 ※開場時間は30分前

    チケット 一般:1,000円 高校生:500円 (全席自由)
    [チケット取扱/問い合わせ] シアターΧ 03-5624-1181  http://www.theaterx.jp/まで

    どうぞ、ご覧ください。

  • y より:

    ごめーん、今日まで投稿があったの気付かなかった!

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