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マイクロマネジメントの定義

以前のエントリ「恫喝的マネジメント」の中で触れていたマイクロマネジメントがWikipediaにエントリがある言葉だと知った。当時はマネジメントについてこれまで経験したことはどうも間違っているのかもしれないと思い始めて、あれこれ勉強するようになった頃だから、それにしては内容は外していないと自画自賛したい。他に褒めてくれる人がいるわけではないし。

ただ、Wikipediaのエントリには触れられていないが、会社規模でマイクロマネジメントがまかり通っているケースもあり、マイクロマネジメント絡みの問題は決して管理者個人の資質の問題ではない。もっとも、その場合でも、単純に会社全体が軍隊的な制度で運営されているだけとは限らない。なんというか、管理の性格は複数の管理手法のネットワークで全体が形成されているものであって、個々のノードの性格が全体の反映であることはあっても決してそれがすべてではない。余計わかりにくいな。

いわゆる大量雇用を続ける企業にはマイクロマネジメントがまかり通っているケースが多い気がする。退職率が50%の一部上場企業、なんて実は探せば結構あるわけだが、そんな企業ではよほどのことがない限り誰もが最低限の選抜基準をクリアして採用され、そして徹底的に鍛えられて、半数以上が途中で力尽きて辞めている。鍛えるといっても業務スキルとかじゃなく、どちらかといえば精神破壊に近いことが行われる。教育の総仕上げに声が嗄れるまで公衆の面前で社是を絶叫させられたりする(「社員同士のぉ!思いやりをもってぇ!コミュニケーションをぉ!」とかいうシュールなセリフもあったりする)。

以前は、こういう環境に身を置いたことがないので、なぜこんなことがまかり通っているのか不思議に思っていた。だって、ちゃんとした採用プロセスで有能な人間を集めていくより明らかに無駄の多いプロセスにみえるし。

採用の敷居が低く、そしてマイクロマネジメントが唯一の教育である企業というのは、ようするに軍隊と同じような性質をもっている。採用は徴兵であり、徴兵は適任者を探すプロセスではなく頭数を揃える作業だ。創意工夫でのし上がっていく少数の変態を除いた他の連中の扱いは軍隊の伝統にもとづき「勤勉で有能なやつは司令官に、怠惰で有能ややつは現場の指揮官に、怠惰で無能なやつは前線の兵士にすればいい。ただし勤勉で無能なやつは射殺しろ」でなんとかなる。人間は資源であり資源に重要なのは必要なときに揃っていること、と割り切れば、軍隊が精巧な採用プロセスや思いやりのある人事考課を進めても効率が悪くなるだけだ。

軍隊という長い歴史を持つ組織のマネジメント手法が通用する企業があるのも別に不思議なことではない。社員の発揮するべき技能がコモディティと化してしまっていて(挨拶をきちんとする、遅刻しない、接客マニュアルに従う…)、数は必要だが交換可能な存在でしかない集団を率いる場合、このマネジメントは強力だ。

とはいえ、人間というのは間抜けなことをしても総体としてはさほど馬鹿なわけではないので、会社全体がマイクロマネジメントの花火が飛び散る状態であれば、単純に金銭的目標を達成すれば辞めてしまうくらいの分別はある。でも、上で書いたように会社のマネジメントは一枚岩的なものではなくて、複数の管理手法が絡み合って全体をなすようなところもあり、たとえば週末にバーベキューに出かけたり部署やチームのレベルで仲間意識を強めてガス抜きが行われたり、自分が叩かれたら立場上もっと弱い人を叩いて憂さ晴らししたりして、マイクロマネジメントが横行する職場環境でさまざまな調整弁が活躍していることがある。そうなると、軍隊的管理はさらに生き延びやすくなる。

さて、延々と書きながら特に結論は用意していないのだが、以前「恫喝的マネジメント」というエントリを書いたとき、ここで管理されている人の仕事はコモディティと化したようなものではないという前提で論を進めていた。まあ、自分自身のことなわけだが、これは実は今でも変わっていない。もし、ソフトウェア開発会社に勤務するプログラマで、自分はひどい労働環境にいると感じているなら、仕事で企業に提供している技能がコモディティ化してしまった陳腐な手技でしかないのかどうか検討し、そうでなければ「お前なんか雇ってくれる企業なんかいねえよ」などという脅しに負けずに転職するか起業する他に手段はない。マイクロマネジメントは病気であり、おのれを振り返って状況を改めるようなゆとりを管理者自身にさえ許さないものだからだ。

Posted by on 2月 23, 2009 in Work

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