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2016年の卒業式の贈る言葉

 学生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。成績の方はいかがでしたか?ご不満のある方は自分の胸に手を当てながら、一歩前に出て来てください。

 さて、今年は就職活動も大変でインターンやアルバイトで出席がなかった学生さんも多いので、大事なことをいくつかこの機会にまとめてお伝えしておきたいと思います。

 まず、これから社会人になる皆さんは、必ずこの資料に目を通しておいてください。ブラック企業対策プロジェクトが発行している「ブラック企業の見分け方」という冊子です。66ページもある長い資料ですが、しっかり読んでおいてください。あるいは、もう就職してしまったのでから意味がないと思う方もいらっしゃるでしょうから、その場合は「会社をどう休む、病院でなんて言う」をお勧めします。

 なぜなら、皆さんがこれから就職して仕事を始める企業の大半は、ブラック企業だからです。すいません、いきなり変なこと言っちゃって。

 先日、三月三日に誕生日ケーキを買いに、近所で評判のケーキ屋さんに行きました。甘い匂いにつられたアリのように、といっては失礼かもしれませんが、店の外まで大勢のお客さんが並んで、大変繁盛しています。それもそのはず、このお店のケーキは都心の有名店も霞むほどの美味しさで近隣では知らない人はいないほどの知る人ぞ知る名店なのです。なので、毎日こうして行列が絶えません。

 しばらくしてようやく店の中に入ると、一時は住宅でも流行していたいわゆる南仏風の建物の奥、レジの向こうの厨房がガラス張りになっていて、お揃いの白衣に身を包んだ大勢の人たちが一心不乱に働いているのが見えます。ケーキ屋さんのケーキって、手作業が多くてなかなか自動化できないみたいなんですね。だから、人気店の需要を捌くには、どうしても大勢の作業者が必要になります。そんな姿を見ていると、ちょっと嫌なことに思い当たって、ついギョッとしてしまいました。

 …まだ読んでる?ごめんねいきなりケーキの話になっちゃって。もう少し我慢して。

 で、このお店のケーキは、美味しいだけじゃなくて、値段が手頃なことでも知られています。確かに、あまり洋菓子に詳しくなくても、この味でこの値段はちょっとあり得ないだろう、ということだけはすぐにわかります。でも、お店にはこれだけ大勢の人たちが働いているのです。おかしいと思いませんか?ケーキを1つ作るのにも何人もの作業が必要なのですから、当然人件費がかかります。またお菓子なので材料費も必要です。どちらを削っても、質の悪い職人、質の悪い材料、いずれもケーキの味が悪くなる要因になり得ます。

 すると、お店の前に小さな看板が掲げられているのに気付きました(わざとらしい気付き方ですね)。アルバイトの募集です。そして掲載された時給に驚きました。なんと、これだけ多忙なお店で、確かに可愛らしい制服を着て甘い匂いに包まれて過ごせる職場ではありますが、時給は都の最低賃金程度なんですね。またパティシエも募集中でしたが、こちらも月給20万程度です。つまり、削っていたのは、職人や材料の質ではなく、職人を含めた従業員の賃金だったんです。

 不当に安価にものを販売することを、ダンピングといいます。例えば、市場を独占するために赤字覚悟で不当廉売するような行為はこのダンピングに該当し、独占禁止法で禁止されています。一見するとものが安く手に入るのだから消費者には嬉しいようにも思われますが、例えばある企業が不当にものを安く売ることで他のライバルが参入できなくした後で、市場を独占して一気に価格を吊り上げたらどうなるでしょう。これがケーキなら我慢すればいいかもしれませんが、例えばどうしても定期的に服薬する必要がある深刻な病気の特効薬だったらどうでしょうか。このように、ダンピングは健全な競争を破壊して不健康な状態の市場を作り出してしまうので禁止されている行為なのです。

 もちろん、ケーキ屋さんも不当に市場を支配して競合を蹴落とし、甘いものを求める近隣住民の欲望を一気に支配することが目的で人件費を下げているというわけではないと思います。もっと単純に、例えば、善意から、みんなに美味しいケーキを少しでも手軽な値段で食べてもらいたいと考えているかもしれません。ただ、経済においては本人の意図というのはあまり重要ではなく、そこに現れる否応無しに突きつけられる現実、過度な競争や軋轢を生むシステムそのものが問題になってくるのです。

 ふうん、ケーキ屋さんもアンタみたいに面倒くさい客が寄り付いて大変だね、と思いながら読んでいる卒業生の皆さん。これはケーキ屋さんだけに限った話ではありません。っていうか普通はそうだと思うけど、卒業の贈る言葉なんだから当然皆さんのこれからの進路に関係ある話です。上の方で思いっきりほのめかしてますけど、なぜなら皆さんが就職する職場もまた、ダンピングによって成り立っているからです。

 なんだってーとかいうアスキーアートは掲載しません。

 もちろん、ソフトウェア業界とケーキ屋さんには大小様々な違いがあります。仕事という面ではソフトウェア業界の方がまずいことの方が多いかもしれませんね。競争過多なのは同じでも、まず第一にあんまりお客さんが満足していないし、第二にこれっぽっちも美味くなくて、職人の給料と一緒に質も平気で削る世界ですから。思い出してください。皆さんが今の就職先に採用されたのは、その高いスキルで会社を飛躍的に発展させるからではなかったはずです。というか正直、技術の面で何らかの選抜を一切受けていない人の方が多いと思います。面接でコードを書いたり、Githubアカウントを送ったりもしていないでしょう。つまり、大半の場合は若くて(つまり給料が安くて)なんかこちらのいうこと聞きそう、くらいの理由で雇われているのが現状です。これが、上司や経営者が高い給料で贅沢するための措置であれば悪意が原因なのでまだマシなのですが、その上司や経営者も大した報酬もないまま働いているはずです。まあ、もちろん、それでも皆さんよりは稼いでいるかもしれないですけどね。

 悪意が原因ではなく、ただ値段を下げて相手に買ってもらうために人件費を削り、削れない場合は従業員の質を削って安く雇い、低価格でサービスや商品を提供する。これは二重のダンピングです。一つは、普通の意味でのダンピング。もう一つは、安く働く従業員である皆さんによる、労働力を不当に安く提供するダンピングです。え?オレたちが?いやいや、給料は目一杯もらってるし、下げる気なんかさらさらない上に、今の給料も同級生と比べても別に安くないよ?とおっしゃるかもしれません。

 でも、自分の収入が適正かどうかなんてあんまり考えたことないですよね?

 まず、預金額を考えてみます。あんまり溜め込んでも仕方がないので、預金はほどほどでもいいと思うのですが、でも全然ないというのはまずいです。給与の3ヶ月分くらいはないといざという時に困るはず。みなさんの給与は結構高い所で額面20万、税金や保険で手取りはその80%の16万円くらいでしょうか。60万円貯金するのには、毎月5万円コツコツ貯めて1年かかります。ボーナスの話は一旦脇に置きます。すると11万円で生活するわけですが、家賃と光熱費はどれくらいが適正でしょうか。都心で働くとして、もちろん都心に違いほど通勤は楽です。通勤が楽なら自分への投資、勉強会に出たり本を買って読んだりする時間を捻出しやすくなります。反面、まだまだまともな条件の物件は高いはずです。仮にドアからドアで通勤に1時間かかる部屋を7万円で借りたとします。残りの光熱費や生活費を4万円でやりくりするわけですが、きっと携帯電話とインターネットプロバイダの契約だけで1万円くらい吹っ飛んでいるので、1日に500円も使えない生活になるはずです。かなり厳しいですよね。こんな風に、働いても働いても豊かにならないことを、ワーキングプアと呼ぶ人もいます。

 どうしましょう。ええ、こういう時に真っ先に削るといいのは預金です。金利もないんだし、ここを削って生活をもう少しマシなものにしましょう。じゃあ、いくら削って、どんな生活にすればいいのでしょうか。

 みなさんは、将来、家を買ったり車を買う、あるいは子育てをしたいと思いますか?あるいは、贅沢な暮らしがしたいとか、毎年旅行に行きたいとか、そういった類の将来プランはあるでしょうか。まあ、漠然とでもいいので何かあるとして、ではその場合、給料がいくらくらい必要になりますか?

 いや、別にモニタに向かって叫んだり急いでメールを書いて送ってもらわなくてもいいです。清貧生活であれば別にいいですが、そうでなければ、どのプランであっても、ちょっと給与が足りないですよね?足りてるっていうなら、それはそれで別にいいんですよ。でも、そうでないなと思ったら、続きを読んでくださいな。

 基本的に、皆さんは、いくら働いてもあんまり豊かになれない条件で自分の労働を会社に提供しています。つまり、自分自身(の労働時間)をダンピングしているのです。だって、そうしないと職に就けないから。そう、知らず知らずのうちに、皆さんは求人市場における不当廉売行為に手を染めているのです。もちろん、他の大勢の人たちもそうです。ダンピング、というと聞こえは悪いですが、ワーキングプアになるような待遇を受け入れることは、やはり労働力の不当廉売なのです。自分の将来を売って今の生活に替えているだけなのですから。なので、どこかの時点で価格を適正にしないと、自分の方が倒れてしまいます。

 もちろん、急いで言い添えますが、皆さんの待遇は違法行為によって不当に低くなっているというわけでは全くありません。それは皆さんが強欲な亡者で労働市場を不当に占拠しているからでもなければ、経営者が血も涙もない鬼畜で奴隷を買いに行くついでに皆さんを雇ったからでもありません。そうではなく(例外はいるでしょうが)、上にも書いたように、関わっている人たちの善意や悪意は関係なく、ただ否応無しにそんなことになってしまう傾向があるということなのです。多分、昔は年功序列で経済も右肩上がりだったので、給料は将来どんどん上がるものとみなされていたから、若いうちに安月給でも問題はなかったのに、今はそういう状況じゃないくせに古い制度や慣習だけが残っているだけのことなのでしょう。もし本当に悪巧みをする連中がいて、そのせいで良くないことが起きているならまだ良かったのですが、そうではなく、ただ世の中の大半が不当に低い待遇で暮らしているだけだという事実こそが、この問題の根深さなのです。最低限、自分自身が生きていけるだけの分しか保障されていないので、例えば人口の再生産(子供を産んだり育てたりすることです)などは昔と比べて相当難しく、それは昨今の出生率の低下を見ても明らかです。大事なことなので繰り返しますが、これは、皆さんや雇用主が個人的に悪い人だからではなく、世の中がそういう傾向にあるということなので、うっかり社長の部屋に怒鳴り込んだりしないでください。

 そして、だからこそ、せめて悪い会社や上司に行き当たった場合に備えて、上のリンクの冊子を読んで自己防衛してください。

 でも、悪い話ばかりじゃいけないと思うので、こんな状況で皆さんはどうすればいいのか、まあ授業中にもお話ししたとは思うのですが、最後にもう一度繰り返しておきます。

 預金がそれなりにあっても、収入がそんなに高くなければあんまりお金を使うのはいいことではありません。第一、不安で使えないはずです。だから、できることなら、皆さんはまだ若いんだし、今は小銭を溜め込むより、そのお金を自分に投資してスキルを上げて、より高い給与で仕事が出来るようになるべきです。入ってくる当てがある時だけ、安心してお金を使えるからです。まともな生活には、多めの預金よりも多めの月収が効いてきます。だから、どんな人生プランがあったとしても、もしそれが何も使わず何も所有しない清貧暮らしであれば別ですが(それはそれでいいと思います)、当面の目標は、健康を維持しながら月収を上げること、給料を上げることにするべきです。

 では、皆さんの会社で給料を上げる方法は、何でしょうか。

 普通、ここは答えは「会社による」なんですが、皆さんの就職される会社は別です。なぜなら、スキルを必要とする業務にもかかわらずスキルの良し悪しで選考していないで皆さんを採用した会社に、ちゃんとしたキャリアプランが用意されている方が稀だからです。ごめんね、せっかく入った会社なんだから、皆さんもその会社を好きになりたいだろうけど、でもやっぱり、これは経営者が善人じゃないからとか悪人だからとかいう話ではなく、どうしようもない傾向なんですよ。だから、もっとぶっちゃけると、給料を(ごくわずかな場合を除き)上げる方法はありません。転職するしかないのです。というわけで、条件のいい会社に転職できる人間になることが皆さん共通の目下の最大の目的となります。

 そういう風に目標を設定すると、お金の使い方もおのずと決まってきます。自分のスキルを上げる時間を確保するためなら1万円家賃が高くても会社から近い場所に住むべきでしょう。通勤が楽な方が健康も維持しやすいはずです。そのお金で時間と体力を買ったことにして、勉強時間に投資してください。会社の業務を覚えることも勉強ですが、同僚がそのまま力尽きて倒れて寝ている間に、帰ってもう少し先まで学んでください。無茶を言う上司には上の資料を使って適当に対抗し、ちゃんと休憩しながらパフォーマンスを発揮出来るよう調整してください。飲みに行くのもいいですが、出来れば勉強会などでスキルの高い人たちの話を聞くために出かけるよう心がけてください。戦国武将のどうでもいい逸話を披露する上司の話はスルーしてその間に英単語の一つでも覚えましょう。ピープルウェアを読みましょう。C言語を覚えましょう。ミクロ経済学を学びましょう。

 「チョコレートを、食べなさい。あなたの脳を、洗いなさい。ダダ、ダダ、水を飲みなさい

 そして、学びながら、世の中は知れば知るほど結構面白いと気づいてください。もう知っている人はもう一度味わってください。そこまで心が広くないという、まるでぼくみたいな人には、「Living well is the best revenge」という、一説ではジョージ・バーバートのものと伝えられているものの、実際にはユダヤ教の口伝(タルムード)にある「Live well. It’s the best revenge」が由来という、不穏な感じがすごくいいので気に入っている言葉を贈りたいと思います。ぼくらの世代がそろそろ仕事を引退する頃には、最大の人数を誇る最悪の世代として悪名高いジェンレーションXが労働市場から次々に消え去るわけで、高スキルの人材は引く手数多になっているでしょう。その頃までコツコツ頑張っていればきっと大きく報われるんでしょうね。いいなあ。

最近の仕事と勉強について

先月は仕事に関係ない勉強としてTiTwilioを作ってみました。Titaniumのアプリに数行でIP通話機能を追加することができるようになりました。今月は、今のところAndroidのHolo themeをTitaniumで作ったアプリでカスタマイズする方法と、Node.ACSAppcelerator Cloud Service連携させる方法、それらを組み合わせてNode.ACS上にチャットサーバを立ててTwilioの通話アプリと共存させる方法を勉強しています。ちょっとしたLINEを作るみたいな感じですね。これまで縁がなくてその手のやつを実装したことはなかったので、ちょっとやってみます。それから、Elixirの本を買ったので通読してみようと思います。これも、簡単なウェブサーバとか実装してみると理解が深まりそうな気がしています。

こういうの、「40の手習い」っていうんでしたっけ?

どんだけ暇なんだ、という感じですが、仕事もしていないわけではありません。先日まではデジタルコンテンツの販売と管理の仕組みを実装していました。現在はとあるアプリの制作を進めています。先週はイベントなどであちこち出かけたので、今週からはじっくり腰を落ち着けてプロトタイプを作成中です。それから、今月は各所で講師やトレーニングの仕事が平均すると週に二度ほど入っています。月末までにはまた別のアプリの案件が何件か予定されています。つまり、普通の人と同じくらいか、少し足りない程度には働いています。朝は遅いですが、子供をお風呂に入れたり雨の日には幼稚園の送迎をしたりしながら、自分のペースで毎日それなりの時間ずっと仕事をしています。

「うん、それで?何が言いたいの?」って思いました?

実は、さっきからこんな見せびらかしみたいなことを書いている最中も、誰だってこんなのを読んでも面白いとは思わないだろうって自覚していました。なんていったら、じゃあなんでそんなもん書いてんだボケ、と思われましたよね?実際にはもっと高尚な事をお考えかもしれませんが、話の都合上、そういうことにしておいてください。

実はこれ、IT系の職場にプログラマとして就職していたり、これから就職しようというのに全然勉強しない人たちをdisるために書いているんです。時間がないとか、何をしていいかわからないとか、まあいろんな理由があると思いますが、全部まとめてdisりまくりたいんです。

勉強しなきゃいけない、その理由は別に説明しなくたってわかりますよね?きわめて少数の例外や大金持ちを除けば、いつまでも「えー、ループとかってちょっと苦手なんですよね」とかいってられないくらいのことは理解して頂けるでしょうし、いま扱っている技術は2年もしないうちにたいてい陳腐化して、まるでアイドルのように需要がなくなっていくとわかっているので、逆に今更どんな技術を身につけていいのかわからない、なんて小話みたいなことを考えている初学者だって珍しくはありません。コの世界がそれだけ追い立てられ続ける性質のものであることは、そんなに異論はないのではないかと思います。あ、もちろん技術は常に新しいネタが湧いて来るんじゃなくて、結構高い割合で温故知新なネタが吹き荒れる世界であることはわかっているつもりですよ。全ての新しい言語はLispの再実装か盗用ですからね、はい。

話が逸れました。

そう、で、勉強しない人たちが憎いんです。disりたくてたまらないんです。もちろん、「だってお前は自宅で働くフリーター(子持ちローン有り)だろ?時間の都合なんかいくらでもつくじゃないか」と反論される方もいらっしゃるかもしれません。はい、おっしゃる通りです。でも、そうでない勤め人時代だって、それはそれは本当にクソ忙しい職場でしたが、ちゃんとそれなりに時間を作っていました。例えば、今日は22時に上がりだ、早いなあ、なんて日にはいつもの時間である23時半になるまで喫茶店で本を読むか仕事と関係ないコードを書いていました。新しい言語を覚えるために、今日から職場で作る書き捨てのスクリプトは全部○○で書く、とか決めて勝手に修行したり、会社の倉庫に積まれたボロいマシンを引っ張り出して実験環境を作ったり、いろいろ涙ぐましいことをしていましたね。先日ようやくバッテリーの膨張にともなう故障で廃棄処分にしましたが、鞄にいつもUSキーボードに換装したhp miniを入れて、あわよくば帰りの電車でもプログラムが書けるように備えていたのもいい思い出です。これ、地元の駅で夜中にときどきhp miniにUbuntuを入れてずっとターミナルでコード書いてる人を見かけていたので真似をしたんですが、話しかけたこともないけど、彼は今頃元気にやってるんでしょうかね。

もちろん、会社がそういう活動を支援してくれる制度を用意してくれるととても素晴らしいのですが、どこもそんなに理解のある会社ばかりではないでしょうから、合法的に利用できる手段を考えるしかない場合もあります。例えば、夜中にwebinarがあるけど翌朝遅刻しちゃう、なんてときは、どうせ上司を説得しても無駄だから、ぼくは正々堂々と仮病で有給を半日使っていました。ちなみに毎晩遅くまで仕事してもフレックス制なんかなかった(やるやる詐欺で導入はされなかった)ので、体調維持のため遅刻したいときは全て有給でまかなっていましたから、退職時の有休消化率はほぼ100%、ほとんど残っていませんでした。まあ、子供の頃からプログラムが大好きで理系の大学を出て就職したLisp処理系の実装が趣味の商業非モテ、なんていうタイプじゃないぼくみたいな人間がこの業界でありつける職なんてロクでもないことがほとんどですから、支援なんか期待する方が間違いです。よっぽど甘やかされて育ったのなら知りませんが、職場と学校とは違うんですからね。

あ、もちろん、そういう職場環境を用意している人はそれだけで競争優位になりますから、どうぞ続けてください。大変素晴らしいことだと思います。「いやあ、でも制度とかなんとか用意したって、うちのスタッフは全然そういうの利用しないんだよねえ」とボヤいたり、「優遇して欲しいなら、まずそれなりの数字を出してからにしろってんだよ」と息巻く経営者の方もいらっしゃると思うのですが、そんな方々の言い分は、実は全くもって正しいです。正論です。あまりの正しさに光り輝いているので、もはや裸眼で直視することさえできません。なので、振り向いて、そうですね、もっと広い場所、そうそう、牧場とかに行くといいと思います。そこには馬とか牛とか羊なんかが飼育されているはずですが、飼育係の人に聞いてごらんなさい。誰だって動物を飼い葉桶まで連れて行くことはなんとか出来ますけど、そこから先、実際に食うかどうかはそいつ次第だねって教えてくれると思います。制度を用意しない経営者は、だから飼い葉桶を燃やして捨てる牧場主と同じです。ぞくぞくし過ぎてガッタガタ震えるくらい過激な経営方針ですね。

話が逸れました。

そう、勉強しない人たちが憎いっていう話でした。誤解しないでほしいんですが、別にマッチョ自慢したいわけじゃないんです。「最悪な戦場を生き延びたオレたち」的な自慢話がしたいわけではありません。いや、してもいいんだけど、それが本論じゃないんです。よくいうじゃないですか、モテないモテないっていってる人たちって、例えばモテない異性愛者の男性なら、それは確かにその人が冴えないボンクラで誰にも魅力が伝わらないってこともあるとは思いますが、それだけが原因なんじゃなくて、そもそもたいして女性が好きじゃないからなんだってことらしいんですよ。もし本当に心の底から女性が好きでとにかく優先順位の第1位が女性である人生を送っているなら、非モテだなんだってボサッとしてないで、死力を尽くして女性にモテようとするじゃないですか。ええと、具体的に何をするかはよくわからないんですが、なんかほら、まめまめしくかいがいしく女性に接して、己の小さなエゴは全て捨て去って女性のために行動し、思考し、大好きな女性に不快に思われないような身なりを常に心がけて、大好きな女性を楽しませるためにあらゆるスキルをどん欲に身につけて、大好きな女性のために必要な金銭を稼ぎ出して、みたいな感じですよたぶん。で、本当に女性が好きなら、そこまでやって当たり前だろ、っていわれたとき、非モテの人って反論できるんですかね?ぼくは、難しいと思います。いや、人間としてどうかと思うとか、そういうことは言い返せるかもしれません。でも、モテないのはお前のせいだ、っていう反論には全く太刀打ち出来ません。したくもないけど。

で。それでも、disりたいのは、実はこのモテ話と同じで、正確には「努力もしないで文句ばっか垂れて技術を向上させないプログラマ」っていう意味での「勉強しない人たち」なんです。どうしてIT系にはブラック企業がいっぱいなの?って聞かれたら、大きな声で、それはお前らのせいだよって言い返したいからなんです。ぼくだってたいしたプログラマじゃないしときどき自分でも頭悪いなあと逆の意味で感心しますが、それだってなんとかもがいてやってるわけじゃないですか。おっさんの手習い、下手の横好きで上等ですよ。なぜなら、ぼくはコの世界が大好きだし、出来ればずっとこういう仕事をしていたい、新しいことを覚えると楽しいし人様に見せびらかしておもしろ可笑しく生きていたい。そんな強い欲求があって、それはモテより金銭よりずっと強く、@otsuneをオフラインにしたら死ぬのと同じくらい重要な生の欲求に直結している事柄だからです。さっきグータラ経営者の悪口を書きましたが、実はそういう人たちの気持ちも理屈もわかります。ロクに学びもしない奴らに何をあてがっても無駄だっていうのは、間違いではないからです。IT系のブラック企業が存在するのは、別に怠惰なプログラマのせいってわけではありませんが、しかしそんなのが存続し続けるのには、飼い葉桶に顔を突っ込んでもエサを食べない自殺願望の家畜のように怠惰な勉強しないプログラマが加担しているってことは間違いないだろうってことです。

え?でも何をベンキョウしたらいいか、わからないですって?ほほう、どうやらわれわれはひとつの結論に近づいたようですね。つまり、いつかぼくが技術書をものして売るときまでに、みなさんはなんでもいいからノイローゼのように勉強しまくって、もう暴走し過ぎて内容なんか無視してひたすら技術書を買い込む(出来れば一人三冊くらい)という性癖を骨の奥まで叩き込んでおいてほしい、ということです。おわり。

専門学校の卒業式の祝辞

みなさん

今日は卒業式でしたね。おめでとうございます。
あいにく仕事で出席することはできませんでしたが、天気も良く、久しぶりに顔を合わせる人たちも居たでしょうから、きっと楽しい式になったと思います。後期からの短い期間でしたが、とても面白い経験をさせて頂きました。ありがとうございました。人に教えるというのは自分でも学んでみるいい機会であり、ついでにちょっとくらいはお金ももらえるので悪い話ではありません。

さて、これからみなさんが社会人として仕事をするようになると、学校や親が厳しいなんて思っていた過去の自分を蹴りたくなるくらい大変なことがたくさんあると思います。特にIT業界はその点では悪名高い存在です。みなさんの上司やお客様の大半は、みなさんの人間的成長や気高い自尊心、未知の可能性といった素晴らしいであろう面についてはおそらくほとんど何の関心もありません。会社という組織では、失敗は厳しく咎められる一方で、成功は体よく無視されるのはまだマシな方で、油断すると誰かに手柄を横取りされることも珍しくはありません。ほらね、おそらく学校やご家庭では、皆さんはもう少し優しく、失敗にも寛容に扱ってもらえたはずです。

でも心配することはありません。そんなものは人生のごく一部です。この世が面白くないと思えたり、これから先にもロクなことはないと感じられたら、それは自分の観測範囲が狭いからで、世の中にはまだ自分には見えていないところの方がずっと多いという事実を思い出してください。ちなみに、これは世間では想像力と呼ばれています。例えば、何も知らなかったときには冴えないリーマンとしか思えなかったような人が、実は尊敬すべき人間であることにある日突然気づいたり、逆にすごくイケてると思っていた人たちが実際にはどーしよーもないただのクズだとわかってしまうような体験がこれから先に何度もみなさんを待ち構えています。そうした瞬間に、今まで大きな問題であるかのように見えた事柄が、実は間抜けな水たまり程度のトラップでしかないことがわかることだってあるかもしれません。そんなタイミングを逃さないように、何度も繰り返して自分自身に定期的にアップグレード用パッチを適用し続けることを、世間では成長と呼んでいます。

いいプログラマーになるのには10年かかるように、たった半年足らずでは何も完璧に教えることなど出来やしませんが、少なくともそういった意味での成長や想像力を巡らせるためのヒントになりそうなことは、授業を通して少しくらいは伝えてきたつもりです。ぼくは正直なところみなさんがどこに就職するとかいう話には全く興味がありません。そんなことより、どんなことに関心を持って、どんなことに挑戦して、どんなことに反抗しているのかの方がよっぽど興味深いと思っています。だから、これから先、みなさんがいろいろなことを吸収しながら、世界中にアンテナを張り巡らせて、明るく楽しく局地戦を展開していく愉快で陽気で歌が大好きなゲリラ部隊のように逞しく生きていくことだけを期待しています。

貧者転がしビジネスが街にやってきた

恐ろしいな、と思ったので自戒を込めて。

世の中には、ネズミ講みたいな商売がたくさんあります。アフィリエイトとかネットワークビジネスとか、いろいろな呼び名がありますが、いずれもただの昔ながらの詐欺商売です。ずっと前からロクでもないものと相場が決まっているのですから、ドードーのように今頃絶滅していても不思議ではないのですが、どういうわけかなくなる気配すらありません。それどころか、都心の喫茶店にでも立ち寄れば、さわやかなスーツ姿の若者が、学生みたいな普通の格好をした別の若者(たち)に熱心に経済やら株やら天下国家のことやら話して聞かせているので落ち着いて本も読めないことも珍しくはありません。「正しい投資をしないやつはひどい機会損失をしている」「君たちだけには特別にこんな話をしているんだ」みたいなことを昼間っから素面のくせに大げさに言い立てているので、「ふーん、あんたがそんなにお偉いってんなら、そしてそのご同輩たちのことをそんなに特別に目をかけているっていうなら、さっさとご自宅の超高級マンションに超高級車で連れて行ってあげればいいじゃないですか。さぞかし儲かっていらっしゃるんでしょうし。いったいなんでこんなところで一杯500円のコーヒーで何時間も粘ってらっしゃるんですか?」と思いながらも、いちいち他人事に顔を突っ込んだりはせず、自身のスルー力を試されることになります。

マイケル・ムーア監督の出世作『ロジャー&ミー』は、大手自動車会社が生産拠点を海外に移し国内の工場を次々と閉鎖していく中で急速に荒廃していく企業城下町の惨状を描くドキュメンタリーでしたが、そこで強制退去の憂き目にあったり自給自足生活を始めたりする人たちの姿に混じって、アムウェイが進出していく様子もあってドキッとさせられました。マルチ商法に引っかかるのは、お金に困っている人たちです。いくら綺麗事を並べても、それには変わりはありません。いわゆる下流食いビジネスというやつは、ひとの弱みにつけこんで、そこから抜け出すための手を貸すからと言葉巧みに貧しい人たちに近づき、なけなしの金を寄越せと迫るものです。そこで実際にお金を手にすることができるのは、実際には世間の収入格差と比べても不当に少ないごく一部のモラルなきサイコパスです。

しかし、こういうひどい輩を他人事としてこうして嘲っているのも、実はお気楽な態度である可能性はあります。

我が身を振り返ってみても、例えばこの1年ほどの間、たまたま縁があってときどき講演や専門学校での講義というかたちでプログラミングについて誰かに教える機会があります。はっきりいってこんなことやっても少しも儲からないのですが、結構楽しんでやっています。知識は共有してこそ価値のあるものであり、それにある程度の技術を身につけてしまうと、うっかりするとそれに胡座をかいてしまうかもしれず、数年もすればあらゆる表層的な技術知識は次々と陳腐化していくこのイヤーンな世界で、ぼくみたいな半端なエンジニアにとってそんな怠惰は致命的なので、知ったつもりのことをもっと深くまで追求するきっかけを常に持っていたいという意識もあります。それから、この世界で仕事するようになってもう結構な年数になりますが、いまだに鬱病と痔はプログラマの宿痾であり、多くの若い人たちが最初は好きでやって来たこの世界で傷ついて落ちこぼれていく姿をあちこちで見ているので、せめてそんな目に遭わないよう手助けできることがあればという気持ちもあります。さらには、関わってきた方々の中には、本当に使命感をもって仕事されている方も少なからずいるので、そういった方々の期待に応えたいというのも、まあ思い上がりはさておき、間違いなくあります。

しかし、恐ろしいことに、プログラミングの講習という世界では、探せば探すほど、コンピューターサイエンスとも関係なければ、実際のソフトウェア開発の現場で蓄積される知見とも関係がなく、トークとはったりで誤摩化しただけのひどいケースがたくさん見つかるのも事実です。初心者向けと称するものこそ、その内容には細心の注意を払うべきだと思いますが、未経験者歓迎という講座の大半は未経験者歓迎と求人票に書かれているIT系の職場と同じで、現実にはほとんどがひどい有様です。もちろん、素晴らしい講座もあるにはあるのですが、そもそも初心者というのは定義からしてそんな善し悪しの見分けがつかない人のことをいうのですから、事態は余計に深刻です。ようするに、簡単には仕事も手に入らないこのご時世に、手に職をつけるためにこういった講座を受けようとしている人たちを、下流食いビジネスの輩は「3週間で認定コースを受験できます」「これだけで初心者でもアプリが開発できます」みたいな宣伝文句で待ち構えているのです。この手の人たちには血の臭いを嗅いだサメほどにしか良心がないので、どんな嘘でも平気でついてきます。せめて自分はそういうことはしないよう心がけようとしていますが、残念な人たちにより業界自体が食い荒らされていることには強い危機感を覚えます。

結局のところ、受講者は自分で自分を守るしかないわけですが、講座の内容の善し悪しなど初心者が簡単に推し量ることは出来ないでしょう。おそらく、いい指標になるのは、難しいことを簡単に出来るようになると宣伝している場合、達成できることとそれにかかる手間の差が大きければ大きいほど、そこにはたくさんの嘘が詰まっているということです。もちろん、初心者にとってExcelでピポットテーブルを使ってクロス集計するのとObjective-Cである程度の規模のプログラムを組むことの難易度の違いは見当もつかないでしょうから、そこは自分で判断するべきではありません。今時のプログラミング言語やプラットフォームについてなら、どの環境でもそれなりのユーザー同士のコミュニティというものがあります。その手のコミュニティではたいてい折に触れて勉強会を実施していたりしますので、大きな決断をする前に、一度自分で顔を出してみるといいでしょう。手前味噌で恐縮ですが、Titanium Mobileならユーザー会のサイトで勉強会の告知があります。そういった場所で、例えば「○○という有料の講座があって、そこでは3週間の講義だけでスマートフォン向けのゲーム開発者になれると謳っています。本当にそんなことが可能なのでしょうか?」と質問してみるのもいいかもしれません。あるいは、行き詰まるところまででも自習するべきです。有償の製品を購入しなければどうしようもないものを避けたとしても選択肢はたくさんあります。またたいていの製品には無償で利用できるトライアル期間があります。そういった努力の上で質問しているのであれば、それにきちんと答えないコミュニティは付き合ってもあまりいいことはないでしょうから、別の道に進む方が合理的です。プログラミング言語やプラットフォームを選ぶのは、結果はどうあれ、そのコミュニティを選ぶのと同じことなのです。そうでなければ、どっちにしろいい開発者にはなれないでしょう。

新米妊婦とその配偶者へのアドバイス

そろそろまとめとくか。とくに今回経験したことから意外だった点とかをピックアップ。

(1)胎児の様子はビデオに残せる

病院でエコー写真をもらってくるのはよくある話なのだが、病院によってはVHSビデオテープを持ち込めばビデオ映像をもらえるところもある。いまどきビデオテープを探すのも大変かもしれないが、それだけの価値はある。

ただし、エコーで撮影した画像を3D写真に加工したやつはちょっと不気味なのであんまりおすすめできない。

(2)骨まで愛して

エコーで撮影された映像には胎児の骸骨が映ることがある。かみさんはギャーと叫んで笑っていたが、確かに笑えるくらい不気味な髑髏画像になる。それはそれでかわいいので、お楽しみに。

(3)病院の嫌な客

たまに見かけるのが、妊婦の付添でやってきた親や配偶者が、自分の娘や嫁に夢中になって、他の妊婦さんに席を譲ったりすることもなく、待合室にどっかと座りこんでいるケース。いろいろ心配事もあるんだろうけど、自分は元気なんだろうから、席くらい譲ればいいのに。

(4)胎児のサイズはわからない

胎児の体重は大腿骨の成長具合で推測して計測される。だから、だいたいの値になる。と、まあつまらないダジャレが言いたかったのではなく、推測値なので、出産直前になっても(推定)体重が増えずどうしようと悩むケースが結構あるようだ。うちの場合、2500グラム以下といわれてかみさんが相当落ち込んでいたのだが、結局産まれてみれば2900グラム以上あった。これは、エコーで撮影された大腿骨がそもそも動きまわっていたり、斜めから撮影されていたりして、ちゃんと長さや太さを測ることができないから生じる誤差が原因なので、途中経過で特に問題がないなら、あまり気に病む必要はないらしい。

(5)準備教室は意外と面白い

区で開催する準備教室とやらに参加してみた。入浴や着替えの実習を人形相手にやるわけだが、けっこうリアルな人形なのでいい練習になる。しかし、うちでは結局ここで習ったようなちゃんとした入浴方法はほとんど(たぶん数回しか)やっていない。風呂場でバスタブに腰かけて太ももの上に赤ん坊をひっくり返してシャワーでざぶざぶ洗ってもぜんぜん嫌がらないしむしろ気持ちいいみたいなのでずっとそうやっている。顔にお湯がかかってもへっちゃらだ。たぶん、おっかなびっくり入浴させると子供の方が何やら異様な雰囲気に気圧されてしまうのだろう。適当にちゃっちゃか洗ってやるとあっけらかんとしたものである。

(6)父子手帳というものがある

申請すれば保健所から父子手帳というのがもらえる。妊婦の様子や出産の様子を書き記したり、そのあたりの生活の心得なんかを読んだりするのに使う。

(7)おならぶー

どんなにオシャレなカップルも、妊婦のおならには耐えなければならない。というか、腸が圧迫されているので、妊婦はたとえアンジェリーナ・ジョリーであってもみんなうっかりぷーすかおならをするものである。これまでどんなに隙のない美女を演じていても、この運命からは逃れられない。どのみち、出産なんておならぷーどころの騒ぎじゃないので、ここら辺で人生を一度清算しておいた方がいい。

(8)事前の打ち合わせが重要

破水した妊婦を前に平然としていられる人間はそうそういないので、事前に入院時の用意は済ませておくのがベスト。それから、いくつかの事項については必ず妊婦と配偶者の双方のコンセンサスを得られるよう、協議しておく必要がある。たとえば、腰の揉み方。下手な揉み方ややる気のない揉み方ほど妊婦を激怒させるものはない。

出産時の妊婦は、自分がこの世で最も不公平かつ苦痛に満ちた扱いを受けていると考えるし、それもあながち間違いともいえない。そのため、日ごろの不満、現状への不満、将来への不満を何の躊躇もなく次から次へと叫び散らすことだって大いにあり得る。その際、付添人に出来ることといえば、少しでも(数千本の針の山から2本くらい短いのを抜く程度だが)苦痛を和らげるための努力として、妊婦の腰を揉むくらいしかない。その際、少しでも揉み方が気に入らなければ、阿修羅と化した妊婦にここぞとばかりに罵倒されることになる。正直いって、配偶者としては何の痛みも感じないし、せいぜい夜中に起きているとか、じっと座っていておしりが痛いとか、そんな程度の負担しかないわけだから、出産期間のすべての暴言については、事前の取り決めで後でなかったことにするよう約束しておくことをすすめる。そして、腰の揉み方については、やはり事前の取り決めで必ずその方法を確認し、それに沿ってひたすら飽くことなく揉み続けること。ここでうっかり他のことに気を取られて揉み方がまずかったり、事前の取り決めをぼんやりして聞き流していたりすると後々まで非難されることになる。だが、その非難に応酬することなど、出産に立ち会ってしまった人には決して出来ない。特に、相手が苦しんでいる中で食べられなかった病院食をかわりに平らげたりしていた人ならば。

とにかく、出産時にしてもらいたいこと、してはいけないことは事前に確認し、この期間中のあらゆる暴言については出産後になかったことにするという取り決めを結んでおくことが重要だ。正気と理性のなくなった相手を許すことは、そんなに難しくはない。

(9)面会謝絶!

出産直後に見舞いに来るのは非礼も甚だしい。出産を終えた元妊婦だって、尻の毛まで逆立つほどいきみかえっていたばかりで、他人を迎えて挨拶なんぞしたくはないはずだ。化粧もせず髪はぼうぼう、疲労の極みで作り笑顔も満足にできやしない。やっと出てきた我が子を、病原菌だらけの外の世界からやって来た連中のおぞましい手で撫で回されるなど冗談じゃない気分なのだ。だから、せめて数日は最小限の見舞いしか受け付けないよう、配偶者も注意すること。

(10)30歳にもなれば誰だって

子供の成長は人それぞれである。何か月で寝返りをうつ、何か月で歯が生える、など平均的な指標はあるのだが、当然ながらそれは個体差があり、多少早かろうが遅かろうが本人の才能に大きな影響があるというデータはない。どうせ30歳くらいまでにはハイハイくらいできるようになるので、この時期の成長の早さに関する心配のほとんどは無駄である。もちろん、病気その他については真剣に心配する必要があるが、ハイハイもせず突然つかまり立ちするようになるうちの赤ん坊のように、人間にはそれぞれの成長過程というものがあり、それが他と多少違うからといってギャーギャー騒ぐのは愚かというものだ。だから、この手の話題にはいつも「まあ、30歳くらいまでにはなんとかなるでしょ」と返事することにしている。

企業における差別

ここギコを読みながら思い出したのだが。

先日、社内ミーティングで、会社の主力製品のコーディング作業にプロパーの社員だけでは手が足りないため、現在業務委託で社内に常駐してもらっているメンバーから誰を追加でアサインするかが議題になった。開発のマネージャたちが集まり、コーディング担当者の力量や経験を加味しながら誰が適任か議論していたのだが、だいたい3人くらいに候補が絞られてきた頃、出席者のひとりであるXXマネージャが突然「Aさんはダメですよ、リスクが高いです」と言い出した。あまり技術的な知識がなく、特にPHPのウェブアプリケーションについてはほとんど経験がない人で、開発に絡んでもいないだけに、なぜそんな頭ごなしに否定するのか驚いた他の出席者が理由を聞くと、いたって簡単、そのAさんが中国人だからなのだそうな。曰く、中国は著作権についての意識が日本とは違うから、ソースコードを持ち出されるリスクが高くて云々。一同ギョッとしていると、XXマネージャは今度は「そういえばBさんって結婚してますよね?」と質問して、「だったら滅多なことはしないという抑止力も働くか…」とひとりごちていた。

ごくありふれたミーティングが、国籍または人種による差別、結婚の有無による差別の現場となった瞬間である。

同類と思われるのも嫌なので、XXマネージャにそのことをたしなめると、もちろんそういう意見が差別といわれてしまうかもしれないことは知っているという。しかし、ビジネスの厳しい世界では現実的な対処が必要であり、決して差別を助長したりするつもりはないとかなんとかごちょごちょつぶやいてひとりごちていた。基本的に他人の話を聞かない人なのだ。

で、まあ、言い訳としては、そりゃそうだろう。この手の差別というのは、露骨な他人への嫌悪感の表明としてよりは、現実社会の問題をかんがみると致し方がないリアリスティックな対応なんだよ、仕方がないんだよ、という世間知として、「野暮は承知で」表明されることの方が多いかもしれないくらいだ。あるいは、ときには他人への気遣い(「左翼の宣伝に騙されてあの劣等な連中に付き合わされてるキミはかわいそうな人だよ」)として、またあるときには科学的な知識の一端として語られることもあるかもしれない。

だが、バカがおのれのバカを認めてもバカがなおらないように、差別を差別と認めても、差別がその心から消えるわけではない。もし仮に、いやこれはあくまで仮にだが、致し方なくしてしまっている差別というものがあるとして、それが間違った知識の上に成り立った単なる偏見でしかなかったら、それでも致し方なくしてしまっている差別といえるだろうか。

なんでも政治的に正しいのがいいのかというと、まあそうでもないんだろうが、しかし世間知やおせっかいな気遣い、似非科学でわれわれが判断を誤らなければならない理由はどこにもない。ソースコードの持ち出しリスクはどこの現場にもきっと常に一定して存在しているのだが、では社内の中国人のメンバーがもし持ち出しをするとしたら、それは彼が中国人であることに原因があるのだろうか。彼女が結婚していないことにその原因があるのか。本当にそうか?管理者のはしくれとしていわせてもらえば、そんなのは管理者の言い訳をおのれの差別的意識で塗り替えただけの戯言でしかない。じゃあ聞くが、中国の地方出身者である彼がコンビニでバイトしたとして、その金を仕送りにしたら彼の家族は裕福な暮らしが出来るかどうか、あなたは知っているだろうか。今の仕事がなくなった時、彼は国に帰ってすぐに仕事にありつけるのかどうか知っているのだろうか。彼の日本でもらっている給料が、中国で同じような仕事をしたときにもらえる給料と比べてどれだけ違うというのか。じゃあ中国についてそんなに詳しいってんなら、ワルシャワの物価がどれくらいか、ベッドルームが1つのアパートの家賃がどれだけ高いのか知っているだろうか。ちょっとくらい金持ちがいっぱい住んでる国で生まれ育ったくらいで、相手のことをほとんど何も知らないくせに、どっかの負け犬経営者がおのれの無能と向き合うのが嫌で言いふらした宣伝に乗せられて、他の国のことを見下して知ったようなことばっかりいってんじゃねえぞおっさん。

と、いいたいことはたくさんあるのだが、でも結局自分はXXマネージャの親でも親戚でもなんでもないし、彼がそんな世界観を抱いて周囲を見渡して脂ぎった雑念で魂の芯まで汚れきっていたとしても、はっきりいって手助けする義務も義理もないのでどうでもいいのだが、先に書いたように自分も同じような人間のクズだと思われたくなかったので、会議では思わず声を荒げてしまった。

夏休み最後の日は親も大変

今の小学校では、夏休みの宿題、たとえば算数とか漢字のドリルなどは、親が採点するようになっている。厚紙に印刷されたカードにドリルをやった日付と点数を記入する欄があり、そちらに親が点数を書いて提出するのだ。

20年くらい前は、採点するのは教員の仕事だったはずだ。ずいぶんと世の中も変わったものである。

こうなると、8月31日までめいっぱい遊んでいた子供を持つ親は大変である。夜遅くまでなんとか宿題を終わらせても、その後でこのたまりにたまった宿題を採点をしてやらないといけないのだ。うちの場合、なんだかんだと採点できるようになったのが夜遅かったので、結局夜中の2時までマルやバツをつけるはめになった。

確かに30人もの生徒の宿題を採点するのも大変だろうが、仕事なのだから可能なスケジュールを引っ張って作業すればいいことだし、これがいったいなぜ親の仕事になっているのかよくわからない。ゆとり教育とはよくいったものである。

ブログを書く人、書かない人、書けない人たち

スタンリー・フィッシュのブログがニューヨークタイムズ(ヌータイ、と略すとスポーツ紙テイストになる)のサイトで公開されているので、ときどきふーんと流し読みする。別に感想とかはないんだけれども、スタンリー・フィッシュといえば、それはもう筆者のような世代にとっては断然テリー・イーグルトンなわけで、彼のサイトはないものか探してみたが、Wikipediaからリンクされている大学のサイトくらいしか見つからなかった。今はマンチェスター大学で教えているとのこと。どうやら本人はあまりこういうパソコンとかは好きではないらしい。自伝『ゲートキーパー―イーグルトン半生を語る』で多作が悩みであると語るだけに、書いたら書いたできっと面白いものが読めるだろうが、研究者という彼の立場を考えると、そんな書き物より研究ともっとまとまった著作に時間を費やしてもらう方がありがたい。

フィッシュと並ぶイーグルトンの敵(二項対立イエーッ)、リチャード・ローティも特にそういうのはやっていないみたい。

著名な哲学者のブログってどんなのがあるんだろう、と調べてみて、二人目にデリダをググッて「あれそういえばもう死んじゃってたっけ」と気づく。リオタールもクワインも亡くなってるのね。トマス・ネーゲルも書いてないみたいだし、スラヴォイ・ジジェクもない(リンク先はドキュメンタリーのトレーラー)。結局見つかったのは

ジュリア・クリステヴァ(うーん別に見たくはないなあ)。

無知

うちの前に福祉園という障害者施設があって、作業をしたり、ヘルパーの人と散歩したりする人たちの姿を毎日見ている。ときどき、嬉しいときに大声で叫んだりする人もいて、息子も最初は驚いたりしていたようだが、今ではすっかり慣れたようだ。バザーのときには、かみさんがクッキーなんかを買ってきてくれたりする。

ところが、ああいうところで売っているものを食べるのなんか嫌だという人も世の中にはいたりする。誰かがヤク中のオッサンみたいにだらだら涎を垂らして鼻くそでもほじりながらパンを焼いたりしていると思っているのだろうか。実際には、監督者の下でみんなが与えられた仕事をきれいな作業場でやっていたりするのだが、見たことがないから知らないのだろう。あるいは、いわゆる健常者が3秒以内なら落としたものでも平気で使っているようなひどいお菓子工場を知っているから、健常者のやることだから施設の人たちだってみんなやってるに違いないと思っているのかもしれない。それはそれで悪くはない考え方だ。

最近うちの近所でも老人施設の訪問が始まっているらしいが、障害者施設も近所の幼稚園や小学校と交流して、子供らに体験学習させているのはとてもいいことだと思う。なぜなら、お母さん連中の中には(お父さん連中の意見を聞く機会がなかなかないのでそれしかわからないが)、うちの近所の障害者施設のことをとても怖がっている人もいるようだから。

かみさんが要望を出していたが、まだ受け入れられていない。老人施設にしても、小学校に和室があるのでそこをサークルの茶室にしているだけで、実態はとても交流とは呼べないものだ。こちらもかみさんが意見書を出していた。

恐怖感というのは、それが実際に身の危険に関わる反応(高いビルから下を見下ろすと体がすくむ、歩道のない道路の脇を歩いて車が近づいてきたら立ち止まるなど)でない限りは、基本的に無知や蒙昧からくるものだ。これは差別にも共通するのだが、むやみに何かを怖がる人やあからさまな差別をする人は、その対象についての知識が極端に不足していることが多い。同性愛者を忌み嫌う人が持っている同性愛者についての知識は、テレビに出てくる不気味ないわゆるニューハーフくらいが関の山で、それどころか、同性愛者と小児性愛者を混同しているなど、お話しにならないほど実態とかけ離れたイメージしか持っていない。

もちろん、知らないこと自体は単なる生活の中での小さな過失でしかないのだが、どんな過失も長年続けていればブタ箱行きだ。

また、人間はおのれに都合のいい情報を積極的に収集するという、生活知というか、快適な生活のための無様な習性というようなものが備わっていて、無知や差別という自己省察を避けるためには嘘ばかりの情報を互いに交換し合って、障害者施設の食べ物は汚いだの、幼児にイタズラをする変態の同性愛者が大勢いるだの、そんな裏付けのない情報を溜め込んで恐怖に打ち震えるふりをして、形骸化してしまった精神生活をなんとか住める程度に保っている。つまり、飛び交っている情報の量は多いのだが、まるで話者と話者しかいないみたいに、お互いの出している情報はもはや別の次元の価値しかないものになっていて、そこで交わされているはずの会話の話題となっている存在の実態についての考察はもうどこにも入り込む余地がない。

ところで、互いの話を聞かないことについては知的な連中にしても同じことで、互いに論戦している右翼は左翼の本など読まず(表紙と帯と献辞と前書きの一部は除く)、左翼は右翼の本なんかバカをより深く知るための資料としてしか読まない、といったら、これも実態とかけ離れた妄言なんだろうか。

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Listen, little men!

 標題はライヒの本から(ところで、Amazonの立ち読みサービスをちゃんと見たのは初めてだったが、なかなか)。

 日曜日に子供と遊ぼうとしたら、あんまりいい顔をしない。ボールを投げてやっても、すぐにふてくされてゴロゴロ転がるし、なにをやっても駄目だ。挙げ句の果てには、「お友達に電話して、誰かいたらその子と遊びに行こうかな」などと言っている。

 いろいろ話を聞いたりしたが、理由はいたって簡単だった。母親曰く、「お父ちゃんは体が大きいから怖い」のが理由だそうな。息子は背が120cm足らずで、こちらが190cm。無理もない、という見方も出来るが、それを言われても困るというところでもある。お前はこれからもある程度なら背も伸びていくのだろうが、こちらはせいぜい老化現象でいくらか縮むくらいしか歩み寄りは期待出来ない。自分の力で解決することが出来ないのは大変もどかしく、苛立たしいものである。

 結局、子供もなんだか居辛そうに通信教育のおもちゃをいじっているし、そんな様子を見て子供の母親(妻ともいう)は不安で一杯の犬みたいな顔になってしまい(注:犬は基本的にかわいい動物だから、これは別に一方的な悪口や悪意的描写ではないよな)爪を噛んでいるので、こんな崩壊家庭的な雰囲気に耐えかね、Bloggerに変なJavascriptを追加するのはやめて外に出て子供と遊ぶことにした。午後2時を少し回ったところで、そんなに寒くはなかった。この冬の東京にはまだ雪が降っていない。妻がいうには、寒天は冬に降雪が足りないと甘みが出ないらしい。今年の寒天栽培農家は大変だろう。ところで、寒天に甘みなんてあるんだろうか。それに、寒天栽培農家って本当にどこかにあるんだろうか。

 外に出ると、子供は屈託なく駆け回って楽しそうにする。自転車に乗るのもだいぶ上手になった。去年からもう補助輪なしで自転車に乗れる。今の自転車はデザインにひどい問題がある(星条旗柄の自転車だ。ウゲッ)ので、誕生日に新しいのを買ってやろうと思う。我が家のコンセプトに合っていない。

 道路工事の脇を抜けて小学校まで遊びにいくことにした。途中、バス通りの歩道で、以前近所の公園で息子と一緒に遊んだことがある女の子が、おじいさんと一緒に歩いているのを見かけた。息子と同じ学年で、確かマイちゃんという名前だった。去年の夏に、手に装着したプラスティックの板に吸盤で覆われたボールをくっつけてキャッチボールをするおもちゃを家族旅行で出かけた鎌倉の海岸で拾って、しばらく遊んでいたら壊れてしまったのだが、同じものを妻が100円ショップで見つけたので新しいのを買って公園でやってみた日に、どこからともなくふらりと公園に現れたマイちゃんも一緒に遊んだのだ。久しぶりに見かけたマイちゃんは、別にどこといって変わった様子もなく、その時は日曜らしい光景だな、としか思わなかったが、後でちょっと事情が違うことがわかった。

 小学校は日曜日には子供や親たちが自由に校庭を使えるようになっている。ボールやバット、テニスやバドミントンのラケットなんかも貸してもらえる。多分ボランティアか守衛さんなのだろうが、ビッグママみたいな風貌のおばあちゃんが管理していて、署名するだけで使える。見ると近所の子供たちも幾人か集まっていて、それぞれサッカーだのバスケットボールだの、好きな遊びに興じている。午前中には大人が野球をやっていたようだ。体育館では大人たちがバレーボールの練習中。いわゆるママさんバレーというやつだ。まだ体の動くママさん限定。子供と遊んでいるのであまりそちらの方は見られなかった。バレーボールは、(背の)高さという絶対的な差別が存在する厳しいスポーツなのだが、たくさんの人たちが愛好しているところを見ると、何かそれを超越した魅力があるのかもしれない。ネットを下げると閾値も下がるし。

 しばらく子供と校庭でボール遊び。楽しそうで何よりだ。野球の次はドッヂボールと言い出したが、二人でどうにかなるものではないので、ボール投げをする。どうもルールがおかしいので、子供の遊びによくあるような、なんというか、なぜか夢中になってしまうようなあの遊び独特のマジックがうまく出ない。

 すると、向こうから息子と同じような背丈の男の子がサッカーボールを蹴りながらやって来て、実際に同級生だったのだが、その子も誘って人数を増やしてみる。その子の後ろからマイちゃんも走って追いかけてきていたので、さらに人数を増やして2対2でどうにかドッヂボールっぽくなった。それからもう一人、いがぐり頭の活発そうな男の子がやって来たので、男の子3人チームと大人+マイちゃんチームに分かれることにした。さっきのおじいさんは見当たらなかった。

 息子以外の男の子たち2人は、マイちゃんのドッヂボールの腕前を熟知しているらしく、マイちゃんがボールを持つと1mくらいの距離まで近づいてあれこれ挑発してくる。実際、左利きのマイちゃんはボールを投げるときに、右足を出して、左足を出して、どっちが前にくるのか迷って、それから両足をそろえて、宙に押し出すようにボールを放り上げる。だから、それくらいの距離になる冒険しないと、当たる可能性がゼロなので勝負にならないのだ。息子はというと、チームメイトのそんな姿を見てから、ちょっと遅れて自分も近づいて、おずおずと、やがて大胆に挑発している。普段から石橋を叩いてお母ちゃんの顔色をうかがう、彼の性格がよく現れていると思う。誰もマイちゃんからボールを取ってすぐに当てるような野蛮な真似はしないのがいい。

 ところで、4人の子供たちのうち、息子を除いた3人が左利きだった。地獄のジミ・ヘンドリックスもびっくりだ。

 子供たちが飽きてきたところで、いがぐり君のお父さんがやって来て、大人二人を加えてサッカーをすることに。息子を除いた男の子たちはサッカーが好きで地域のチームでもやっている様子。チーム編成はサッカー小僧たちといがぐり君のお父さん、うちの親子とマイちゃんになる。大人はゴールキーパー専門。圧倒的に不利な編成だ。しかし、いざゲームが始まってみると意外にも素人チームが健闘する。技術では勝てないので、後ろからとにかく褒めまくっていると、だんだん試合のようなものになってくる。うちの息子は喘息ですぐに息があがってしまうが、疲れただのもうやめようだのと泣き言を並べながらもなんだかんだとちゃんと相手についていく。ときどきズルをした父が相手のシュートを奪い、諦めて立ち止まっている地点が絶妙な息子にパスすると、一気にチャンスになってしまう。ゴール前で足がもつれて強いシュートは打てない詰めの甘さが息子の個性ではあるが。一方、マイちゃんはゴールのそばでキーパーにぶら下がったりして甘えているが、気が向くとボールを持っているプレイヤーに突進して、意地悪をしてボールを取り上げるかのように粘り強く足を出して、技術では圧倒的に上回る相手のドリブルを不思議な力で食い止める。予想がつかないディフェンスと、泣き言を並べながら攻撃する不可解なオフェンスに、明らかに戸惑うサッカー小僧たち。結局ゲームは1対0でサッカー小僧たちの勝ちになったが、みんな面白かったと口々にサッカーを讃えていた。

 次は野球ということで、子供たちがベースやらバットやらを借りてきて即席の野球場を整備する。宇宙から見たらまあ野球場に見えなくもないような位置に4つのベースが置かれ、さっきと同じチーム編成で試合が始まる。サッカー小僧たちは野球をやらせても上手で、特にいがぐり君のバッティングは他の子たちと比べて(いがぐり)頭ひとつ秀でている。お父さん軍団の巧みな空気の読みと手抜きにより、なかなか白熱した試合展開になった。野球好きの息子はずっとピッチャーをやっていた。技術的には、1年生でちゃんと狙ったところの近辺に投げられるのだから立派なものだ。敢えて欠点を挙げるとすれば、打たれてくるとどんどん意欲が低下するのが問題だろう。打たれ弱いピッチャーにはいくつかパターンがあって、打たれるとカッカして冷静さを失い、どんどん投げ急いで火だるまになるまで打たれ続けるタイプと、打たれると意気消沈して集中力を失いこれまでの努力を台無しにするタイプに大別されるが、息子は後者に近い。統計的には、長打と四死球はピッチャーの責任で、その他は単なる運に過ぎないので、ピッチャーは自分の責任だけを果たしていれば後は何も気にする必要はない。そういう意味で、連続被安打のプロ野球記録保持者にして40歳の現役投手、吉田修司は本物のプロだ。

 しかしマイちゃんのプレースタイルはもっと独特である。なんといっても、投げられたボールの全てを振る。どこに投げられようがおかまいなし。そんな小さなことには一切とらわれない。初球から積極的に振れ、だの、どんなボールにも食らいついていけ、だの旧態依然とした指導方法を信奉する人たちも、この姿を見れば別の言い訳を考えざるを得ないだろう。ピッチャーのいがぐり君もそんなにコントロールがいいわけではないので、必然的に三振の山になる。マイちゃんの問題は、まあその超越的な選球眼なのだが、一方で素晴らしいのは、その超越的なメンタル面の強さである。三振くらいでは一切動揺せず、周囲の「また三振だ」という(特にチームメイトで主力選手でもあるうちの息子の)ガッカリ感にも何の痛痒も感じないで、しかもときどきバットにボールが当たると全力で一塁ベースまで走って見事ヒットになり、とても嬉しそうにしている。ある意味で、精神的にこれ以上プロ向きな選手もいないだろう。もっとも、超然さのあまり勝負への執着がなさ過ぎて、鼻歌をうたいながらときどきどこかに消えてしまうのが気がかりではあるが。

 試合は一進一退の攻防が続いたが、逆転された直後に相手チームの子が投げたボールが息子の顔に当たり、息子が泣き出してしまったところで時間切れとなってしまった。たかだかゴムボールなので怪我をしたくても出来るようなものではないが、まあ当たった本人としては例の意気消沈と合わせてショックだったのだろう。当ててしまった子もかわいそうなのでさっさと泣き止んでほしかったが、人間いったん泣き出すとそう簡単に止まるものでもないので、いくら説得しても泣き止みそうにない。後日にでも本人にちゃんとフォローしてもらおう。一方、超越的なマイちゃんはというと、試合も終わったので今度は敗戦投手の息子を慰めているその父の背中によじのぼって大はしゃぎしている。マイちゃんを乗せたまま後片付けをして、さて帰ろうという段になって、ふと、この後マイちゃんはどうするんだろう、そういえば一人で来ているのはマイちゃんだけなんじゃないか、と気づいた。いがぐり君はお父さんがいるし、もう一人のサッカー少年はあっちの方に兄弟やら友達やらがいてサッカーの後片付けをしている。困ったものだ。仕方がないので、おんぶしたまま奪った帽子をかぶっているマイちゃんを息子と一緒にひとまず学校の外に連れ出した。マイちゃんに帽子を取られないように、この中にはカレーが入ってるだの、中国全人民が隠れているだの、あれこれ説得しようとしたが駄目だった。

 喉が渇いたので3人でジュースを飲んだ。息子はホットのレモンティー、マイちゃんはコーラ、お父さんはもちろんビックル。

「マイちゃんはおうちに誰かいるの?」
「お母さんはね、8時にかえるって」
「…そっかぁ。カギはちゃんと持ってる?なくしてない?」
「うーんとね、あるよ!」

 先日、近所の公園に遊びに来ていたので、うちの近くに住んでいるのは見当がつく。方角も同じだからこのまま一緒に帰ろうか、などと考えていると、マイちゃんが「じゃあいこっか!」と歩き出した。大物だと感心した。

 息子は自転車なので常に先を進んでいる。待ってよぉ、とマイちゃんが追いかける。息子、ちゃんと待つ。

 うちの近所まで来ると、マイちゃんが息子の通学路から逸れて別の路地に入ろうとする。寄り道が多いと他の子のお母さんたちにまで目をつけられている息子は、学校帰りに決して通学路を逸れないよう妻にきつく申し渡されているので、心配顔で叫んだ。しかし、基本的に事なかれ主義の父は、まあ大丈夫とそのまま道を逸れ、息子は黙ってそれに従った。夕方になり、あたりが暗くなってきた。心配顔の息子をよそに、マイちゃんがかくれんぼを始める。隠れろというので、間に合わないので仕方なく電柱のふりをしたが、息子には見破られた。

 やがて近所の公園が見えてきた。夏にマイちゃんと息子と妻で遊んだ公園だ。きっとこの近くに住んでいるのだろう。

「おうちはこの近く?」
「うーん」
「そろそろ遅くなったから、おうちに帰ろうか」
「うーん」
「おうちはどこ?(息子と)一緒に送ってってあげるよ」
「教えてあげなーい」

 素晴らしい教育の成果である。顔見知りとはいえ、子供は簡単に自宅の場所など教えてはならない。親の留守中となればなおさらだ。とはいえ、このままでは困ってしまうのもまた事実だ。すると、マイちゃんが一件のアパートの階段をタタタと駆け上がり、われわれが目的地に到着したことがわかった。階段の上から帽子を投げようとして、やっぱりあげない、を繰り返すマイちゃん。帽子を取り返さなきゃ、帽子を取り返さなきゃ、とデヴィッド・リンチのパラパラ漫画に出る子供みたいに同じことを不安そうに何度も繰り返し叫び、駆け回る息子。

 帰宅後、妻にマイちゃんのことを話すと、やはり心配だから今度から気にかけておくとのこと。他人の家だし、事情もあるから、いちいちおせっかいなことはしなくてもいいが、やはり子供が日曜の夕方まで学校にひとりでいるというのは心配だ。だったら、おうちの人が遅くなるときは、ちゃんと連絡してからうちに来て妻と一緒に編み物したりとか、あとなんだっけ、ゲルマニアみたいな名前のやつ、ああそうそうシルバニア。ああいうのとかで遊んでもいいし。そういう点では、苦労人の妻なら要領は心得たものだし、子供の扱いでは間違うことはないだろう。夕食に出かけたとき、自転車で近くを通ったのでマイちゃんの家の場所を教えておいた。

 遊んでいる間中、ずっと「お父ちゃん」と呼ばれていたので、父はいつでも歓迎である。

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