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サイト内メッセージのよくあるトラブル

コミュニティ系のウェブサイトを運営している人は似たような経験があるかもしれませんが、ウェブサービス内部で送信されるメッセージは肝心の送信先のユーザーに閲覧されないこともあり得るから、サイトの性格によっては急ぎの連絡としては全く信用ならないと知っておいた方がいいと思います。

今日、夕方からとあるイベントに顔を出す予定でした。そろそろ時間なので会場の情報をもう一度調べようとアクセスすると、あれ?マイページに参加予定のイベントとしてこれが登録されていない…

実は事前にこんなことがありました。イベントの参加登録の際に、申し込み画面で懇談会に参加する/しないを選択できるようになっていたのですが、ぼくが間違えて両方に参加するとしてしまっていたため、一人で二人分登録している状態になっていたのです。主催者の方がそれに気づいて、このサイトにログインすると閲覧できるメッセージ機能で6/6に連絡してくれていました。

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ほんと、すいませんでした。

というわけで、ぼくは安心して当日を迎えたわけですが、なんとその後にまたメッセージが入っていたのです。

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知らんがなーっ!ちなみに時間の表記はUTCなので、日本時間は+9時間です。6/20の8時って、ようするに今日の17時台ってことです。。。

最後、完全に負け惜しみのクレームまで書いてますが、いやあ、こういうのってサイト運営とかイベント運営とかしてると、結構やってしまいがちですよね。気をつけよう。まあ、その、どう見ても「情弱 vs. 情弱」のデスマッチって感じですね。

というわけで、今日の夕方はまるっと空いてしまいました。一人で部屋で盆踊りの練習でもしたいと思います。


update: 2013/06/21
もうどうなるものでもないのですが、この後少しやり取りがあって、以下の捨て台詞を残して全て諦めました。

To: イベント主催者
そうですか。こちらも特に悪意があってのことだとは思っていませんし、そもそも復旧出来ない状態となっていることなので、これ以上詮索するつもりもございません。

とはいえ、もしぼくが逆の立場だったら、つまり今回のように愚かにも二重登録してしまった間抜けなユーザーの後処理をしようとして、うっかり自分の方がドジを踏んでそのユーザーの登録を全てキャンセルしてしまったなどという場合には、そして復旧には相手側のアクションが必要ですぐに連絡したにも関わらず二週間もずっと音沙汰がないときは、きっとメールが届いていないとか、ここに登録したメールアドレスが使用頻度が低いやつだったとか、仕事柄通信事情が悪い場所に張り付くことが多いだとか、口に出せない悲しい理由があるだとか、とにかく何らかの事情があるんじゃないかと想像します。そんなとき、こちとら暇じゃねえんだクソ食らえと放置するのもひとつの手ではありますが、上記したような不手際を自分の方が為出来したときには、せめて、例えばこのメッセージの名前の欄をクリックしてFacebookページのリンクを見つけて、連絡の一つもしてみようかなと考えることもあり得ると思います。そのような単純な工夫が見られなかった点だけが、大変残念でございました。もっとも、これはぼくが年季の入ったウェブアプリケーション開発者として、一般の方々と比べて恐ろしくリテラシーが高いが故にそう考えるだけなのかもしれませんので、あくまで特殊なバイアスのかかったひとつの参考意見として聞き流して頂ければ結構でございます。

ぼくは東洋人らしく物事の縁というのもある程度は重要なものと考えていますので、せっかくお誘い頂いて恐縮ですが、グループへの参加についてはまた今度検討させてください。では。

ニート兄弟はニートのエリート

身近ではあるが近所ではない、某所に暮らすとある兄弟の話だ。まとめる気にもなれないから、つらつらと書いておく。

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・エピソード1

兄か弟か忘れた。就職して最初の研修(合宿)に、ママからもらったクマさんのぬいぐるみを持参。これから同僚となる女子社員に「なにこれ〜、おかしいよ〜」と笑われたのでキレて泣き叫んで無断帰宅、そのまま辞職。

・エピソード2

弟30歳。毎年、ママのお友達に年賀状を送る。手描きのガンダムのイラスト入りで。

・エピソード3

ニート兄弟で喧嘩して刃傷沙汰に。お兄ちゃんもそろそろ大きくなったし独立しましょ、とママが駅前のアパート6万5千円を借りてくれる。生活費は毎月30万支給。兄、当然働かず。でもパパのお金とママのブックオフのバイトではまかないきれず、泣く泣く20万に減額するママを罵倒、暴行。無職は続行。

・エピソード4

弟だったかな。ママのお友達とカラオケ。ニートがひたすらアニソンを歌うのをみんなに聴かせる。

・エピソード5

兄だったかな。殊勝にも求人に応募するも、慢性的な人手不足で有名な介護の現場で、7度も面接で落とされる。

・エピソード6

ネット、新聞もママが用意してくれた上に、求人広告もママが近所の家を巡って集めてきてくれる。自分の足で職安に行くことはない。

・エピソード7

パパとママは外国語教育で有名な某私大のテニスサークルで出会った。パパは某有名大学の教授。

・エピソード8

兄、20歳の頃に40歳の「彼女」を連れて登場。両親は認めず、しばらくして別れる。残念、もう先の見えてきたママの跡継ぎを見つけてきたかもしれないのにね。
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あちこちで語られるいわゆる「ニート」、実際のところは千差万別、いろいろな人がいるのだろうが、この兄弟のような、いわゆる真の腐った人間、エリートのニートも、ごく稀な例ではあるだろうが、確かに実在している。やることもなく一日中ネット三昧で、学もないし社会で手にした功績もないが、ただひたすら大上段に構えて、画面の向こうの「真実」の威光に光り輝きながら、今日もキーボードで威張っている。

クラウドファンディングがうまくいかない訳

ちょっとばかり賢ぶって書いてみる。

Kickstarterに代表されるクラウドファンディングだけれど、日本ではまだこれといって成功しているといえるようなサービスがない。「これといって成功している」というのがどんな基準なのかは、いろいろあるだろうけれど、主観的なことなので面倒だから脇に除けておく。といいつつちょっと触れると、eBayが日本ではぜーんぜん成功しなかったのは、ヤフオクの成功があったために日本のユーザーがすでにヤフオクに囲い込まれていて、買いたい人は商品がいっぱい集まってそうなヤフオクにアクセスし、売りたい人は買う人がいっぱいいそうなヤフオクにアクセスするという状態になっていたからだ。あのとっても強力なeBayでさえどうしようもなかったのだから、この種の囲い込みの強力さはとってもすごい。で、さっきの話に戻ると、「日本ではまだこれといって成功しているといえるようなサービスがない」というのは、例えばKickstarterが(しばらくはないだろうけど)日本市場に参入したとき、こりゃあかんと撤退を余儀なくされるほどの強力なプレーヤーはまだ登場していない、という意味だと思ってもらえばたぶん間違っていない。

で。このクラウドファンディングというのはとっても魅力的なサービスだ。何かやりたいことがあって、アイデアやそれを実現するためのスキルはあるけど資金がない、なんて人はたくさんいそうだし、お金の使い道としてそういう人たちに資金提供して何かしらの満足とちょっとしたグッズとかを得るのは面白いと思う。もちろん世の中の全員がそう思っているわけではないけれども(そんなことってありますかね?)、少なくはないはずだ。だからクラウドファンディングはいつもそこそこ話題となるネタになっている。

でも、話題にはなっていて、そこそこ面白そうな話でもあるのに、それでもまだ成功例がない。単純に考えると、厳しい言い方をすれば、それは現在のプレーヤーたちが無能な間抜けである証拠だ。だって、実際に海外で始まったKickstarterだって日本でももうかなりの知名度があるサービスになるほど成功しているのだから、クラウドファンディングというアイデア自体が間違っているとか成功しないものであるということはないはずだ。日本の市場は特殊だから、といった論法に逃げ込むなら、まあそれはそれで結構だけど。

そんで。不思議なことに、別に日本でクラウドファンディングのサービスを立ち上げて運営している人たちは、血液型がB型の人は2億円からしか出資できないとか、キャンセルしたユーザーを片っ端から告訴するとか、そういうバカなことをしているわけでもなく、別に知的に何か大きな欠陥があるわけでもなさそうなのだ。ではいったい、何が間違っているのだろう。ぼくはお気楽で平和と音楽が好きな愉快なブロガーでしかないので、無責任なことをあれこれと考えてみよう。

あんまり難しい話は無しで、このクラウドファンディングの登場人物を挙げてみる。運営者、出資して欲しい人、出資する人の三者だ。これは役割であって、個々人がどの役割を果たすのかはそれなりに流動的だろうけれど、まあ変わることはないはずだ。この中で、いちばん運営者にお金を出してくれそうなのは誰だろう。プロジェクトじゃなくて、運営者に、ってところがミソだ。ここで出資する人、と答えた人は罰ゲームとして今から頭部が擦り切れてなくなるまでヘッドスピンしてください。そんなわけはない。出資したい人は、プロジェクトやそのメンバーに出資することに魅力を感じている人であって、だから運営者は全力を挙げてそんな人たちを獲得し、サポートしていくべき大変貴重なお客様だ。お金を払って頂くのはそれだけありがたいことなのだから当然だ。この人たちのことはいくら厚遇しても足りないくらいだ。そうじゃない。このサービスのプレーヤーを見渡せば、お金を出してくれそうな人が誰なのかはすぐにはっきりする。出資して欲しい人だ。何かをしたい、という人からお金を取るのはサービスとして最も王道に近いものなのだから。

よくいわれることだが、例えばゴールドラッシュのサンフランシスコで本当に金脈を掘り当てて成功したのはごく一部で、わざわざ遠くからやって来てもそうなれる確率はわずかなものだったけれど、そこでツルハシやジーンズなどの道具を販売する方が確実に儲かったはずだ。世の中でいちばん売れているOSではないソフトウェアは、本数でいえばきっとExcelなんだろうけれど、これも道具であって、人は決してExcelを手に入れるためにお金を出すんじゃなくて、Excelで何かするために買っているはずだ。だからあんなに高価な商品がこれだけ売れているんだろうし、買う方だって頑張れば元を取れるのだから悩んだ末に結局納得して買っている。

だから、例えばこういうクラウドファンディングはどうだろう。何か出資して欲しいネタがある人は、予定する出資総額の数%を払う必要がある。出資された金額の中からそれを支払うのではなく、このサービスを利用開始するために事前に料金を収めなければいけない。料金は50,000円未満なら一定で3,000円、それ以上は一律5%、とかでもいい。返金ポリシーとかはちょっと置いておくけれど、気軽に払えなくもないくらいがちょうどいい。クラウドファンディングはツールであって、ツールを使うにはそれなりの料金がかかる。でも、やりたいことがあってそのためにお金を集めたい、それで夢を実現したい、あるいはちょっとくらい楽に暮らせるようになりたい、と本気で考えている人にとっては、これくらいの金額なら、たいした問題ではないはずだ。頑張って元を取るどころか、儲けだって期待できるんだから。一方で、サービスを運営する人は、出資する人をただボケッと待っていたり、出資して欲しい人に宣伝を任せて飲み歩いているわけにはいかないだろう。まず、最も貴重な存在である出資する人を集めることに全精力を注がないといけない。その上で出資までに必要なクリック数を減らしたり、出資したことを記念するページを用意してクレジットを与えたり可能な限りのサポートを提供することも求められる。それだけではない。実際に自分たちにお金を払う人たちのケアも重要だ。活動が滞ったプロジェクトには定期的に出資者へのアクションを求め、現状の問題について出資者と協力し合えるようなCRM的なものを用意するのもいいだろう。出資されているプロジェクトにとってはそういった活動は全て本筋から外れたものなのだから、それはクラウンドファンディングの運営側がサポートするべきだ。ツールを提供するのだから、ツールを使う人を支援するのは当たり前じゃないか。

ところが、いくつかあるクラウドファンディングの料金や制度をみてみると、プロジェクトを企画して登録する人は別に料金を払うことはないし、出資者はプロジェクトだけではなくサービスの運営者にもお金を取られてしまう。出資者へのサポートも貧弱で、プロジェクトもケアされていない。これが各プレーヤーの望んだことではないのは明らかだ。ひょっとしたら、現在まだクラウドファンディグの成功例が日本にないのは、この辺がうまく出来ていないからなんじゃなかどうか、といのがこの文章の趣旨だ。

まとめると、クラウドファンディングにお金を払うべきなのは、プロジェクトを登録する人であって、出資者じゃない、ということだ。出資者のお金は可能な限り全額プロジェクトに流れるべきで、クラウドファンディングにとってプロジェクトを登録してくれるのはパートナー、この両者のお客様は出資者なのだ。これをベースに考えていけば、結構まだまだいけるんじゃないかと思う。

というわけで、呑気で陽気で気のいいブロガーとして、別にクラウドファンディングのサービスを立ち上げる予定はこれっぽっちもないのだけれど、もし自分だったらこうするのにな、ということを書いてみた。もちろんこれはぼくが考えたことなので、同じサービスを始めるのであれば、ぼくに顧問料として売り上げの15%ばかり上納してくれるだけでなんでも相談に乗りますですよ。

真に受けないこと

「フリーランス向け嫌な仕事の断り方・交渉の仕方」という秀逸なエントリを読んだ。あと二ヶ月でフリーランス生活も満二年を迎えるが、身につまされる話だった。

内容に異議はないが、実体験から付け加えるとしたら、担当者の意図せざる噓に引っ掻き回されないことが大事だ。フリーランス生活の最初の頃にはこの手のことでおおいに悩んだものだが、考え方を変えてからは気楽に対処できるようになった。それにこのところずっと変な目に遭うことはなくなってきているので、大変ありがたい。

例えば、発注元の体制が変更になったりして、いわゆる「上からの意向で」突然契約が変更になったりすることはよくある。ウェブやアプリはいつも儲かるとは限らないし、利益が出なければ発注元としては基礎的な開発が済んでディレクションなどの実績も手に入ったのだから、あとは開発先を単価の安いところに切り替える方が得だというのは経営的な視点から必ずしも間違いとはいえない(ソフトウェア開発としては間違いだと思うが)。ただそれだけのことだ。

そして、そんなとき、ビジネスなので窓口になって板挟みになった担当者が気の優しい人なら、新しい契約関係の書類を差し出しつつ「いや、この変更で急に八木さんに仕事を回さなくなるとかそういうことはないんで」なんて言ってくれたりする。ありがたいことだ。しかし、その言葉には噓はないが、実際にはいくらその人が善良なること白い布のごとき御仁であっても、上の方針に逆らってまで何かすることなどできないのが勤め人の定めなので、結果的には何も出来ないしその言葉は噓になる。これが一番困るし恐ろしいケースだ。

噓をつかれるのは、それだけなら信義の問題であり、まあうれしくはないが別にそんなにダメージはない。逆に信義を通して「あんな会社辞めてやりましたよ!」とかいわれてもこちらとしても責任はもてない。しかし、フリーランスはサラリーマンではないので長期的な契約が解除されたりすると次の仕事をちゃんと確保しないといけなくなるので、下手に「お優しい担当者」を信用して案件を待っていたりすると、これは致命傷になるのは間違いないのだ。実は22歳くらいの頃、当時の仕事はソフトウェア開発ではないのだが、その手のことに巻き込まれてうっかり担当者を信じたお陰で酷い目に遭った。

そこで学んだ教訓は、交渉では相手の話すことを真に受けてはいけないよ、という単純な事実だ。人間は基本的にお優しい生き物なので、面と向かった相手には耳に心地いいことを話したがる。たぶん、そうでないと自分の耳が嫌がるからだ。だけど、相手が目の前にいなければ、世界中の飢えた子供たちを見殺しにして食事を残したり、不公正な裁判を平気で無視して是認したり、石原慎太郎に投票したるする。特別な悪人じゃなくたって、あなただってそうだろうし、ぼくだって部分的にはそうだ。それが人間の生き方というものだ。猫を飼うことやバスに乗ることに反対しても賛同者はなかなか得られないように、付き合う相手を厳正に善人ばかりから選ぼうとしてもなかなか生きてはいかれないのがこの世の定め。そこら辺はなるべくいい加減に考えた方がいい。ただしおのれの身を守ることはお忘れなく。

はてな、レベル高いな

リファラ辿ってたら、はてなブックマークに辿り着いた。

ええと、「試しに使ってみる」と「今すぐインストールする」しか選択肢がないんですけど、これを使いたくない場合はどうすればいいの?

どうしようもないですね。まあ、他の操作は許さん!という潔さはいいと思います。

革マル派の思い出

96年に大学で革マル派の人たちに遭遇したときのことを思い出したので書いておく。基本的にあの人たちが自らのことをはっきり「革マル派」だと名乗るのは珍しいことだと思うので、そういう意味でも記録しておく価値はあるだろう。

といっても、そんなにややこしい話ではない。A4のレポート用紙にどこかで読んだ漢文の一部を改変した文章を書いて退学届を完成させ、事務局に提出した後、友人のアパッチ加山と大学生活最後の記念にキャンパスの坂の奥のベンチあたりでズブロッカを飲んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまった。状況からすると、どうやらベンチの前に仰向けに寝転がって飲んでいるうちに酔いつぶれていたようだ。なんだか寝苦しいので目を覚ますと、それほど特徴的でもない、なんというか地味な顔の見知らぬ男が馬乗りになってさかんに何か言っているのが見えた。なんだろう、さっぱりわからない。困ったものだ。しかし、いずれにせよ他人に馬乗りになってもらうのも愉快ではない。そこで、こちらも口を開いてみることにした。

「だ〜れだてめーは」

すると、銀縁眼鏡の奥で鈍く光る小さな目をした男が、誇らしげに答えた。

「革マルだ!」

ジャジャーン、と音がしたわけではないが、へっ、と辺りを見渡すと、10人くらいの男たちが取り囲んでいる。これは一体何なのだろう。日頃から、例えば酔っぱらって自治会の部屋に爪切りを貸せと詰めかけたりしてはいたが、今さら何か用件があるとも思えない。わからないことは聞いてみるのが一番だ。

「なんか用かね」

すると男は何やらあちらの方を指差しながら、「これをやったのはお前らか」と嫌みっぽい口調で答えた。質問に質問で返すとは腹立たしい。こちらも乗られっぱなしはやめて起き上がって、ついでにそちらに目をやった。

当時、キャンパスのあちこちに、いわゆる「立て看板」と呼ばれる、角張った書体の文字が並んだ大きな看板が立っていたのだが、今でもそんなのはあるのだろうか。学生時代、よくあれの偽物(「毎週水曜日は『血塗られた復讐の日』」とか)を作って並べて遊んだりしたものだ。さて、馬乗り男が指差した方には、2メートル以上はある大きな立て看板があったのだが、そいつはちょうどその真ん中あたりでまっぷたつにへし折られていた。

「お前らがやったのはわかっているんだぞ!」

うん、そうだね。思い出した。酔いつぶれる前、心地よく酔っぱらっていたのだが、ふと振り向くとそこにはひどく汚らしい看板があったので、たまたま持っていたギターを投げつけてぶっ壊しておいたのだった。こちらが立ち上がると、囲んでいた連中がさっと包囲の輪を狭めて近づき、逃げられないようにといわんばかりにさっと左右の腕を掴んで拡げて抑えた。みんな背が低くて体格もそんなによくない人たちだったのだが、逃げる気もなかったので大人しくしていた。まあ、壊しちゃったのは悪かったからね。悪かったよ。しかし、馬乗り男の口にしたセリフで気が変わった。

「お前らどこの組織の者だ?」「弁償しろ!」

自分たちの政治的な主張を伝える大事な看板が一方的な暴力によって無残に破壊された今、お前たちが心配するのは金のこと、組織と組織の力関係のことなのか。愚か者め。というわけで、答えた。

「いやなこった」

それからしばらく連中とああだこうだと話して、内容はよく覚えていないけれど、互いの主張や考え方の間の隔たりが大きすぎてどうにもらちがあかない。すると、騒いでいる連中の後ろに立ってちょっとばかり距離を置いている、ボクってこいつらとはちょーっと違うのよ、とても言いたげなそぶりの小太りの男がすっと前に出て来て言った。

「ふん、どうせ酔っぱらってなきゃデカいことも言えないんだろう?」

どうだろう。考えてみたが、酔っぱらっているのは確かだし、じゃあそうでないときに自分はどうするのか想像したとしても、そんな仮定の話など意味はないので、困ってしまった。仕方が無いので、「うーん、でもユーモアは失ってないぞ」と答えてみたのだが、それだと何だかこの小役人じみたニキビ面の男に媚びている気がしてきて、それに、そもそもお前だってこうして数人がかりで腕を抑えている相手にしかデカいこと言えないんだろう、と言い返せばそれまでなのだが、そんな脱構築ごっこをするためだけに生まれてきたのはこいつだけで十分だし、やっぱりこいつが一番腹立たしいから、腕を抑えていたやつらを突き飛ばし、そんなにご立派ともいえないその男の顔面をブン殴った。成人してから、自分のも他人のも含めて、顔を殴るなんて初めてなので、どうなるかと思ったが、特にどうということもなく、結局、どうせこれが大学生活最後の日なんだよね、うるせえ、もう帰って来るな、と軽妙なやり取りがあった後、普通に校門から出て家に帰った。

翌年から、革マル派の資金源として名高かった学祭も数年間中止となり、資金源と活動の名目を失った彼らは学校から徐々に姿を消していったようだが、詳しいことはわからない。

杭州印象 その6

中国の田舎は、本当にいい気分で過ごせました。思うに、杭州で感じた都会の忙しなさ、人々の間のギスギスした空気は、まだみんなが工業化社会に慣れていないので、ちょっとストレスで参っちゃってるせいなんじゃないでしょうか。その点、田舎はのんびりして気楽でいいです。ミス・リトルスワロー(娘さんがとっても可愛らしい)や陳さんたちに別れを告げ、江山市の駅から再び杭州を目指して移動しました。また駅までの長い道のりを車で送ってもらって、陳さんにはいくら感謝しても足りません。日本の風俗に行ってみたいと話していたので、大陸を代表するドM野郎としてSMクラブとかを紹介したいと思います。嘘です。何か大陸からやって来た客人をもてなすのに相応しいマニアックでこれぞニッポン、完全に狂ってる、という性風俗があれば教えてください。ついでに案内役もやってくれると助かります。費用は自腹でどうぞ。

それにしても、杭州から江山市まで呉さんがこれだけの距離をほぼ毎週移動しているというのは驚異としかいいようがありません。その3で書いたようにローカル線の旅は精神的にも肉体的にも大きな試練になるのはわかったので、今度は中国の誇る高速鉄道に乗って帰ることにしました。車両は日本の新幹線や特急とほとんど変わらない様子で、乗り心地もだいたい同じです。ポッキーを大量に持っていたのでぽりぽり食べていたらこちらをチラチラ見ているので隣の女の子にどうぞと勧めたらひどく不快な顔で拒否されたり(ふざけんなよぽりぽりしてんじゃねえぞ、ってチラチラ見てたんですねきっと)、途中で乗ってきたおばちゃんが携帯電話で話す声がものすごく大きかったりはしましたが、全般的に快適な移動でした。

その一週間後には、追突して線路から落っこちたりしていましたが。

まあ、どれだけの手を尽くしても我々を殺害するのはそう簡単ではないのだよ。わっはっは。被害者の皆様のご冥福をお祈り致します。

杭州に到着し、バスでホテルに向かおうとしたら雨が降り始めました。上海の方はとっくに降っていたので、旅行中にほとんど雨らしい雨に降られなかったのは幸運でした。が、バスが到着しているのになかなかドアを開けてくれません。様子をみるとどうやら何か小役人の約束事みたいな理由があって規定に従い開けないようなのですが、もうバス停に到着しているのだし、そこには屋根がなくみんな困っているのだから、さっさと乗客を乗せればいいのに、なぜかドアを開けようとしません。もちろん待っている人たちは激怒して車体をバンバン叩いたりしています。そんなこんなで、ホテルに着いた頃にはすっかりくたびれてしまいました。

最後の夜はパッとうまいもんでも食いたいね、ということでホテル近くの四川料理レストランに入りました。

うまそー

しかし四川料理はどれも辛いですね。辛いピータンなんて初めて食べました。写真の料理は、この中に魚が入っているんですが、四川料理では有名なやつみたいです。見た目よりもあっさりしていてとてもおいしいです。また、ここは店員さんが親切で、とても感じが良かったのも印象的でした。

翌朝、すっかり気に入ったファーストフード店でカフェテリア形式の朝食を摂って、いよいよ最終日の体制を整えました。バスの移動にはもうこりごりなので、タクシーを使おうということで全員の意見(二人ですが)は一致していました。そこで呉さんにお願いして、今日の午前中いっぱいタクシーを借り切ってもらえるよう交渉してもらうことにしました。杭州は地下鉄もまだ工事中で竣工しておらず、バスは混むので、移動はタクシーを使う方が便利です。タクシーの初乗り運賃が20元と日本よりずっと安いので、気軽に利用できます。しかしそれは杭州の人たちにとっても同じことなので、なかなかタクシーが捕まりません。また、空車を見つけても方向が違うなどの理由で乗せてくれないことが結構あります。というか、西湖を観光したときはほとんど乗せてもらえませんでした。そんなわけで、タクシー側に有利な交渉になってしまうのではないかという懸念はありましたが、予算は300元で交渉してもらうことにしました。すると結局200元でOKということになり、飛行機の時間を気にせず最終日は杭州では名の知られた土産物屋の並ぶ通りでゆっくり買い物することができました。

「人民のために」

もちろん、お目当ては中国共産党グッズです。毛沢東の実家もそうですが、この手の土産物屋でもマオはすっかり観光資源になっていました。他にも表紙に歴代コミュニストたちがずらりと並ぶノートやマオTシャツなどを買い込み、ついでに杭州といえば大変有名なお茶もゲットして、大変満足しました。

つづく

次回予告:杭州最終出口、ロウソクと科学

杭州印象 その5

思いがけない運動で汗ダラダラでしたが、中国の娯楽の健全さには驚きました。だって、登山とか普通は思いつかないじゃないですか。つきますか?あんた野口さん?というわけで、中国の青年たちはとても健全だと喜ばしい報告を上奏するため、一行は毛沢東の実家に行くことになりました。嘘です。近くに毛沢東の実家があるよ、といわれて喜び勇んで行こう行こうとなっただけです。

すぐ近くにあったよ

いらっしゃ〜い

これがマオの実家だそうです。なんでも、彼は代々この辺に住んでた人の末裔で、家の中にはすんごい遠い祖先からの家系図とかが掲示されています。まあ、途中がみんな「某」「某」なんで、嘘くさいことこの上ないですが、うちのかみさんだって大名家の出身ですが家系図は途中からなんか急に藤原家とか源氏とか混ざってくるんで、そういうもんじゃないですか。それにしても、下手に歴史が長いと捏造も大変なのでマオん家の方が少なくとも労力はかかってそうです。

マオ一覧

なんか工事中らしくて警備の人もいないし、そもそもマオ本人がどこにもいないじゃありませんか。なんだよ、マオ不在かよ、せっかく日本からANA転がして来たのによぉ、なんて思っていたら、中庭に入ったところでマオ登場です。

ゴールデンマオ

なんというか、マオは観光資源なんだからもっと大事にしてほしいですよね。先祖代々の位牌が、それこそいつの時代の誰だよこいつ絶対先祖じゃねえよってレベルの人からずっと飾ってあるんですが、さすがに疲れたのかときどきメンテ中みたいな扱いをされてるのもあって、そのへんの詰めの甘さが後の文化大革命へと繋がったんじゃないかと思います。

放置プレイ中の位牌たち

あと、やっぱり全盛期の肖像画とかがちょっと金日成っぽくて昭和初期のセンスのなさを感じました。周恩来の方がなんか格好いいよね、と思わせるのも、マオのポイントを下げていると思います。

息子、いいもん食ってんなあ

この施設は入場料とかもなくて、ちょっとした観光にはお勧めです。でもぼくが行ったときは工事中で、なんか池をつぶして改装してるあたりがすっげえ魚臭くていいのかコレと思いましたけど。

江郎山の観光をすっかり堪能したわれわれ一行は、そろそろ本気で空腹になったので、またリトルスワローのお店に向かいました。それにしてもみんな卓球が腹立たしいほど上手です。「我上手卓球比福原愛!」と叫んでも全く通じません。打つ瞬間に「サーッ!」と叫んでも、最初は変な顔をされますが、すぐに通用しなくなりました。

で、できる!

リトルスワローのお店はいつ行っても暢気な雰囲気がいいですね。中国についていろいろご意見のある方もいらっしゃると思いますが、田舎に行けばほんとに素晴らしいところですよ。なんというか、こんな風にレイドバックした感じで村の生活とかやってみたいじゃないですか。ぼくには田舎と呼べるところがないので、余計にそう思うんでしょうが。

続く

次回予告:「杭州最終出口」「タクシーさん、あなた一日おいくら?」「マオは観光資源」

杭州印象 その3

さてさて。この一連のエントリ「杭州印象」シリーズですが、タイトルは西湖のほとりで開催されていた野外演劇のタイトル「西湖印象」のパクリであることに気付いた方は、杭州に行ったことがあるか、ちょっと病的に勘のいい人だけだと思います。近くを通っただけで、その劇は観なかったんで、詳しいことはわかりません。

さて、杭州から260km以上も一気に移動する我々を運ぶローカル線ですが、乗ったのは地方都市に停車するだけの、日本でいうところの東海道本線を走る特急みたいなやつで、現地の区分では頭文字が「K」となっている便でした。特急といっても高速鉄道ではないので特別な料金はかからないため、なんというか庶民的な雰囲気です。中国の電車といえば、あちらでもチベット自治区の電車の汚さが報じられて、それが日本でも話題になっていたようですが、この路線ではそれほどでもなかったです。まあ、昔の日本もすごかったらしいですからね。大阪では、上品さでは阪急>JR>阪神というイメージがあるそうですが、それをネタにした逸話に、阪急電車の車内で母親が床に新聞を敷いて子供にウンチをさせて、新聞紙を包んで窓から投げるのを見た人が、さすが阪急は上品だ、他なら床に直接出してそのままにしていると感心した、なんてのがあるそうですが、それに比べたら禁煙だしまあかなりマシかな、なんてことを考えていました。いろいろ慣れないものだから、ちょっと疲れたけど、こういう旅もいいもんだな。なんていっぱしの旅行者ぶったりして。

もうすぐ到着だ、と通路の人混みをかき分けて進み、ドア付近に立っていたら、目の前の席でおばあさんが抱っこしていた乳児の尻からうんこが噴き出し、床と座席が茶色に染まって、おばあさんが外していた乳児のおむつで床を拭き、座席を覆う布カバーもざっと拭いてから丸めて座席と背もたれの間にグイグイ押し込む姿を目撃したところで、完全に精神崩壊しましたけどね。

この移動のときの写真が全然ないんですが、たぶん心の余裕が全部なくなってしまったからだと思います。そんなわけで、帰りは多少の金額の差くらいどうでもいいから、高速鉄道に乗ろうと心に誓ったのでした。もちろん、われわれが乗ったまさにその路線を走る新幹線が、一週間後に衝突事故を起こすなどとは、この時は思ってもみませんでした。

昼に杭州を出発し、江山市の駅に到着した頃にはもうあたりは暗くなりかけていました。雨はもう上がっていましたが、駅の地下通路が水浸しです。大陸的なワイルドさを満喫している我々を迎えてくれたのは、中国人の元同僚の幼なじみという陳さんでした。彼はまだ若いのに地元で設備だったか建築関連だったかの会社をやっているらしく、仕事であちこち車で移動しているので道路にも詳しいそうです。ガテン系らしく演歌が好きみたいで、車内にはたくさんCDがありましたが、どれをかけても演歌でした。後部座席のわれわれをよそに友達同士の二人が楽しそうにしゃべっています。しばらくして、元同僚がふと振り返り、自分たちの言葉はものすごい方言なので電車や杭州で話していたのとは全然違うんだと言いました。ぼくにはどっちも中国語にしか聞こえないのですが、彼にいわせると、ここら辺の訛は戦国時代の発音が残っているのだとのことです。よく意味がわからなかったのですが、そういうものなのでしょう。呉越同舟の故事とかも、こんな発音でやり合っていたんですね、きっと。

途中、ハイウェイから別のハイウェイに抜けるのに簡易舗装だけの狭い迂回路に入ったのですが、すんごい狭いのにすれ違いとか平気でバンバン進むので、全身に力が入ったまま抜けませんでした。道路以外は背の高い雑草が生い茂った赤土の原野で、変な色の沼とかもあり、なんとも心細いものです。どうやら無事に迂回路を通り抜けると、今度はいくつか民家の並ぶ村らしき場所に出ました。痩せこけた犬がうろうろしていて、いかにも村っぽかったです。結局、この車の移動も案の定、ちょっと迎えに来てくれと頼んでいた割にはかなり遠くまで進んで行くのですが、こういうのには慣れが必要だと自分に言い聞かせました。やがて車は幹線道路から外れ、ちょっとした郊外の住宅街を通り、どうやら本当に目的地に近づいてきたようです。すると元同僚が、これから彼女を呼ぶからと電話をかけ始めました。彼女の名前は「雪燕」というそうで、読み方はわかりませんが英語がちょっとわかると聞いたのでスノースワローさんと呼ぶことにしました。

スノースワローさんと合流したわれわれ一行は、さらに川縁の道を飛ばして、遂に中国人の元同僚の実家に到着しました。もうあたりはすっかり夜になっていました。この集落の入り口から先は道路が舗装されておらず、赤土の道が続いています。元同僚(面倒くさいのでプライバシーを考慮して「呉」さんということにします)のご実家は三階建ての中国風田舎家という感じで、一階は靴を脱がずにそのまま入れるガレージみたいな造りになっており、そこにテーブルがあってご両親が迎えてくださいました。実は旅行前に一緒に行く元同僚と、お土産は洋菓子とポケモングッズが鉄板だろうと話し合っていたのですが、どっちがどれを調達するかで連絡のミスがあり、おみやげは洋菓子だけになってしまったので申し訳なかったです。お母様が卵とライチを砂糖を溶いたお湯で茹でたものをお椀によそって出してくださったので頂きました。どんな味なのか想像するのが難しいかもしれませんが、上に書いた通りです。ライチは杭州やここら辺ではポピュラーな果物らしく、そういえば杭州の道ばたでも蓮の実とライチの実が売られていました。一通り挨拶を済ませ、いつの間にか後ろに立っていた近所のおじさんとも打ち解け、じゃあみんなで食事に出かけようと相成りました。

街灯も無いので外は真っ暗で、雨が降ったばかりなので雲が厚く星は見えませんでしたが、杭州と違って空気が澄んでとても気分がいいところです。さて、移動しようとなったところで、車に全員が乗れないね、ということになりました。案内されて我々日本人二人が先に乗ったのですが、出発してみたら呉さんのご両親がいないので尋ねると歩いて行ったと聞いて、赤土のぬかるんだ道を歩かせるなんて申し訳ないと恐縮してしまいました。それにしても中国って儒教の影響はどこに行ってしまったんでしょうかね。食事の際、何かのきっかけで中国と日本のタバコの話題になって、お父様にも差し上げようと呉さんに何本か手渡したら、それをポイッと投げて渡していたので、思わずコラッと叫んでしまいました。呉さんによればそれは別に普通のことだとのことですが、文化の違いはあれどそりゃないだろうと反論したら、清朝の時代にそのような儒教的な習慣はなくなったのだといわれて、そこでまたカンカンですよ。ちょっと待った、親に無礼するのを他人のせいにしてはいけないよ、っていうか女真族の習慣なのこれ?絶対違うよね?まあチャイナドレスは女真族の衣装らしいんだけどさ。

さて、話を戻して、我々が向かったのは呉さんのご実家の集落の入り口にある店で、なんでもそこの女主人は呉さんの同級生だとか。食材が並んでいて、そこで食べたいものを選ぶと料理してくれるというので、高野豆腐や肉を頼んでしばらく待つことにしました。このお店は村の複合娯楽施設を兼ねているらしく、ビリヤード台や卓球台があり、さらには昼間は裏手にあるプールで泳ぐこともできます。

みんな楽しそう

さて、料理の方ですが、西湖のほとりの高級なお店で食べたより何倍も美味しかった!ゼロは何倍してもゼロですが、やっぱり気取ったところよりもこんな感じのレイドバックしたところの方がずっと気分もいいです。実際、料理も高野豆腐しかり、イノシシ肉の炒め物しかり、カエルの姿そのまま焼きとか、とにかくなんでも美味しいのです。ビールもこの近所で作られているものを飲んだのですが、薄いので何杯でも飲める感じです。

ピースすんな!

このお店の女主人も途中から加わって、とても楽しい食事になりました。彼女の名前は「小燕」なので、ここはミス・リトルスワローのお店ということにしました。foursquareに登録してメイヤーにもなっているので、もし行く機会があったらリトルスワローさんによろしくお伝えください。ちょっとスケートの選手っぽい人なのですぐにわかると思います。陳さんは料理の好みが違うとかなんとか贅沢をいっていましたが、ぼくにはどれもみんな美味しいので感動しました。特に二日目に食べた、現地では「神の豆腐」と呼ばれている料理が気に入りました。なんかの草を練り込んだ豆腐みたいなやつです。

中国では「乾杯!」の音頭の後は飲み物を一気に飲み干すという習慣があるそうなので、うっかり乾杯してしまうとちょっと困ったことになります。が、さすがに燕、燕と揃ったので、スワローズに乾杯!はやっておかないといけないと思いました。あと、一緒に行った元同僚の名前が略して「ハギ」なのですが、「ヤギ」と「ハギ」はそれぞれ「now」と「then」にあたる言葉だそうで、まあようするに中国のロバート・プラントみたいなものですね。

楽しい食事も終わり、呉さんのご両親にも別れを告げ、今夜の宿に向かいました。そこはカラオケボックス兼ホテルで、なんでも陳さんの会社の人たちがいるらしく、普段はカラオケどころか人付き合いもあまりしない根暗なプログラマである我々も、これも日中友好だと付き合うことにしました。さあ日本の歌をうたえ、という期待が充満する中、マジでぜんぜん知らないというのはなんとも緊張感にあふれた場でしたが、呉さんがなんかすっごく地味な顔の女性二人組の歌を熱唱してからはあんまり期待されてない感じになってきて助かりました。面白かったのが、あちらのポップミュージックには、これは福建省の、これは四川省の、といった、各地方の心の演歌というのがあるそうで、ぼくには違いはぜんぜんわかりませんでしたが、それぞれがゆかりの地の演歌を熱唱する様は感動的ですらありました。それから、タッチパネルかと思いきやマウスでクリックする方式のカラオケの機械をいじっていると、少なからず中国以外の国の曲も見つかるのですが、どうもあまり馴染みの無い曲ばっかりだな、なんて思っていると、ふと気がついてしまいました。そうです、中国は検閲があるから、国内で流してはいけない曲がたくさんあるのです。つまり、ここで選べる外国の曲というのは、中国が国家的に認めた人畜無害な作品であり、ミニットメンの用語でいうところの「マーシュ」、商業主義的音楽、そう、資本主義にどっぷりな体制側公認の音楽なのです。そうでないものだけが、真に反抗的な曲か、マジで売れてない曲といえるのです。

やがて夜も更けて、そろそろ部屋で休もうということになり、カラオケボックスから移動しました。が、ドアを開けると、部屋全体はなかなか小綺麗で広くて悪くないのですが、空調のところから水がボトボト落ちていて、床に3つくらいバケツが並んでいるのは頂けません。呉さんも陳さんもさすがに怒ってフロントと何やら言い合っています。その隙に、我々日本人たちはさっそく部屋に備え付けのPCをいじってあちこちに試しにアクセスしてみました。

以前、とある極右のおっさんがやっていた、オンラインゲームに中国で雇ったバイトに現地からアクセスさせて、ゲーム内で収集したアイテムを他のユーザに現金で売って稼ぐ阿漕な商売の現場にお邪魔したことがあるのですが、そのときは確か名前解決で全然違うIPアドレスを返すDNSの詐称が行われていた記憶があります。でも、今は名前解決さえさせない方式に変わったみたいですね。

そうこうするうちに、結局別のホテルに行くことになり、そちらは水も漏れることもなく、くたびれ果てた我々はよくわからないうちにすっかり熟睡していたのでありました。

続く

次回予告:「また来た世界遺産」「解脱する」「マオの家へ」「マオいねーじゃん」

杭州印象 その1

前職の同僚と、同じ職場にいて中国に帰ってしまった元同僚のところに遊びにいこうと、ちょっと中国に行ってきました。杭州といえば、いえば、いえば、いえば。誰も知りませんよね。ぼくも知りませんでした。とりあえず行ってみたら、町中に西湖という世界遺産に選ばれちゃった湖があり、白居易や王羲之、蘇東坡といった文人たちゆかりの庵とか橋とかがありました。ふむ。Wikipediaでみたら13世紀には中国最大の都市だったそうで、これは北から逃げてきた宋の都が置かれたことによるのでしょう。緯度は台湾と沖縄の中間くらいなので、雰囲気としては南国、世代的には映画でいうと「愛人 ラ・マン」みたいな感じです。

特に旅の予定などはなく、行って雰囲気を味わうくらいしか計画していなかったので、事前に特に調べることもなく、行き当たりばったりに飛行機に乗りました。一時間くらい前に空港に着けば余裕だろうと成田に向かいましたが、出国カウンターに着いたらもうギリギリで、職員の方は列の順番を飛ばして対応してくれました。最近の旅行はせっかちですね。

ぐるぐる

これに乗って行きました。エンジンの真ん中の変な目くらましみたいな模様は何でしょうか。

よく考えたら、今まで乗った中で一番小さい機体だったと思います。両翼がプルプル震えるみたいに動くのが健気でいいですね。そういえば事前に某自動車メーカーの方と飲んだときに、こういういかにもボルトが緩みそうな揺れ方をする乗り物の設計や整備の話を伺っていたので面白かったです。

出発しました。天気もよくて素晴らしいです。成田からだと本州の太平洋側の海岸に沿って西に進み、瀬戸内海の上空から北九州をかすめて飛ぶので自分の位置がわかりやすくていいですね。

やがて飛行機は海を越えて上海に近づきます。すると、眼下に広がる海に何やら異変が!

なんか海が真っ赤です。ここって黄河じゃないし、いったい何の色なの?

よくわからないまま、飛行機は積乱雲を避けて旋回し、やがて杭州国際空港に到着しました。

杭州に到着して、出迎えてくれた元同僚と一緒にバスに乗り込みます。彼は免許の取得中だとかで、まだ自家用車で迎えにくることは出来ないなんて話していましたが、後にそれが功を奏したことがわかります。

バスでの移動はちょっとした冒険でした。とにかく杭州はみんな運転が荒く、名古屋や京都の車がみんな教習所みたいに思えてしまいます。日本とは左右反対になっているのですが、赤信号でも行ける場合は右折ならゴー、というのがルールみたいで、タクシーはもとより、公共のバスが突っ込んで行く様には感動を覚えました。

中国の交通といえば、やっぱり自転車です。杭州の街のあちこちに公共自転車スタンドがあり、一時間以内に返却すれば無料で乗り回すことができます(返すのはどのスタンドでも構いません)。パッと見たところでは小ぎれいな自転車でしたが、ときどき古かったり空気が甘かったりするのもあります。

中国の都市といえば、往来を大量の自転車が埋め尽くすような街を想像していましたが、今の中国を代表する乗り物は電気二輪車でした。これは、スクーターみたいな外観の、家庭の電源(220か210Vだったかな)で充電する乗り物で、スピードはだいたい30kmくらいは出ます。一番の特徴は、走っていても音が全くしないことです。後ろから近づいて来ても全然気付きません。そんなのが車道はもちろん、歩道もバンバン通ります。さすがにデパートの一階で走っているのを見たときは驚きましたが、適用される交通ルールは自転車と同じなので、これは慣れないとかなり脅威になります。無灯火の人も多いので夜になるとなおさら恐ろしいです。一応、せめてライトだけは点灯するよう法律が改正されるという話はあったそうですが、既に8,000万人も利用しているので適用は難しく、なかなか決まらないそうです。

法律といえば、日本の排ガス規制ってすばらしいですね。目白通りや山手通りを原チャリで出勤したりしているのに、杭州の排ガスのひどさには驚きました。本当に、あまりのことにむせて咳き込んだりすることもあったくらいです。

あちこちうろうろしましたが、街の人に話しかけても英語は全然通じないみたいでした。日本と同じくらいですかね。「Good Luck Garden」というところに着くと雨が降ってきて、急いで中に入ろうとしたら閉園になりました。

雨宿りにスターバックスに入ったら、価格は日本とほとんど同じでした。雨のおかげで少し大気汚染が紛らわされてよかったかもしれません。

最初の食事は西湖のほとりにある有名なレストランでした。何でも相当古い歴史のあるところらしく、周恩来が国賓をもてなす写真まであるような店でした。そんなに高級なものを食べたわけでもないので評価はできませんが、僕にはもっと普通の、そこら辺で売っているものの方がおいしかったです。オレンジジュースはペットボトルに入った市販品でしたが、これはよくあることみたいです。

西湖は世界遺産に登録されているだけあってなかなか幽玄な感じの眺めのいい湖です。周囲は石造りの歩道で囲まれていて、夜遅くまで散歩やベンチでいちゃいちゃする人たちがたくさんいました。でも手すりがないので、あんまりはしゃいでいるとすぐに落ちてしまいそうです。実際、現地で働く元同僚によれば水辺で大勢ではしゃいでいるうちに落ちてしまった人がいて、確か大学生だったそうですが、湖の底は泥なので足を取られてすぐに沈んでしまうため、結局その人は助からなかったとか。他の人たちは何をしていたんですかね。

そうこうするうちに、さっそく治安部隊に捕まって拘禁されてしまいました。というのは嘘で、これはホテルの窓の写真です。初日は郊外のホテルに泊まりました。中国では外国人が宿泊できるホテルが限られているようです。というと語弊があるのですが、外国人が宿泊する場合はパスポートを確認して当局に届け出る必要があるらしく、届け出が電子申請できる設備があるホテルならいいのですが、普通の小さな宿にはそんなものはありませんから、わざわざ役所に届け出る手間を考えると外国人の宿泊は断らざるを得ない事情があるみたいです。当然ながらその手の設備があるホテルは宿代も高いわけですが、今回は地元の人たちに代わりに予約してもらったお陰で、安く泊まることができました。

豚のように汗にまみれ息も絶え絶えな日本人と、うれしそうな中国人

翌日は元同僚の実家の方に遊びに行くことになりました。電車で移動だそうで、楽しみです。話によれば、彼は毎週、少なくとも月に何度かは帰っているそうなので、そんなに遠くもないのでしょう。

続く

次回予告:「これが本場中国のローカル線だ!」「ちょ、東京大阪間より遠いんですけど」「ライチはかあさんの味」