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Rage Against エセ民間療法

 偶然にも二人の著名人がガンに罹患し、片方は亡くなりもう一人もすでに転移して悪化した状態だという。そして、どちらも医療を拒否し民間療法に頼るという間違いを犯した。

 うん、間違いとはっきり言い切ってしまって構わないし言い切るべきだ。

 事例はデータではない。ガンについてこれで治った、これが効いたという宣伝は必ずしもデータに依るものではない。本当なのか、他の要因はなかったのか、検討されている証拠もない。

 よく、科学は万能ではないとかいう人がいる。当たり前だ。誰もそんなことを前提になどしていない。科学への批判としてこれはそもそも理屈が成り立っていない。第一、そうでないと科学は進歩しない。

 でも、科学的手法というものはまた別の話だ。

 もちろん調査に誤りや手違いが起きることはある。当たり前だ。でも、調査そのものを慎重に設計して、十分にランダムなサンプルからデータを収集し、またそれらすべてを公開して、あらゆる方面から誰もが何度も検討することを可能にするという科学的手法そのものは、たとえ科学が万能でなくても、有効性がなくなるものではない。

 ここで少し自分語りをさせてもらいたい。いや、正確には母親のことだけれど。

 検診で母にガンが見つかり、しかもステージ4と診断されてから、世の中には民間療法の宣伝がずいぶんたくさんあることに気づいた。何気なく読んでいる新聞にも、毎日のように書籍や雑誌の見出しに見つかる。医者には行くな、抗がん剤は悪い、ダイエットでガンが治る、などなど。母はなんといっても占いとかが大好きな人だったので、もちろんちゃんとした情報にも当たっていたが、それらの変な情報もあれこれ追いかけていた。そして、有望そうなものがあれば医師にこれはどうだろう、あれはどうだろうと尋ねたりしていた。国立がんセンターの医師はインフォームドコンセントという面でもしっかりした人で、手術で取り除けない転移があること、それらを全部取ると結果生命も失うので、抗がん剤により縮小させて手術可能になったら取り除く方針であること、抗がん剤は強力な副作用もあるが、何よりどれが誰にどう効くのかは使ってみないとわからないこと、そのためにきちんと検診して効果を見極めながら治療する必要があること、などを丁寧に説明してくれたので、最初はショックだった母もた闘うか降参するかしかないことを理解し、闘うことを選択することができた。笑ってしまう人もいるかもしれないが、医師にあれやこれやの民間療法についてアドバイスを求めるのも、母にしてみれば立派な闘いだったのだ。医師はそんな母の変な質問にも、決して嘲るようなことはせず、ひとつひとつ丁寧にその矛盾や誤りを説明してくれた。一番完結な説明は、もしそれが効くと正しい手法で調査され、有意な差が認められているなら、もちろん我々は治療に採用します、というものだった。そりゃそうだよね、と母も納得していた。

 ぼくも納得した。そして、同時に強い憤りを覚えた。普段は気丈に振る舞っているが、実際には母がわなわな震えるほどの強い不安に毎日何度も苛まれているのは知っていた。それを押して週に何度も電車やタクシーで遠くの病院まで通いながら命をかけて闘っている人間に、善人面して嘘や過ちを信じさせようとあの手この手を使う連中がいる。そりゃ多少の気休めにはなるかもしれない。でも、もし誰かが心の弱さや無知からそんなものを本気で信じてしまい、積み上げられた知見から設計された医療を拒否するようになってしまったら、というかあの手の奴らの中には積極的にそういう方向に読者を誘導している輩もいるのだが、それはもう十分に殺人ではないか。生きたいという至極まっとうな欲求を貶めて金をむしり取る行為を正当化できる理由はひとつもない。そんな嘘の本で汚い金を稼いでいる出版社だって、その広告を載せているふざけた新聞だってみんな同罪だ。

 患者が納得しているならいいじゃないか、という意見に与することはできない。死というものはまたその足音を聞いたことのない者には単なる空想の産物でしかない。死に至る病を背負った人の不安なんて自分がそうなってみないとわかるわけがない。そんな状態の患者の判断を尊重するというのは、やっぱりおかしいじゃないかと思うからだ。それより何より、不安に苛まれている人が、正常な判断力を失って間違った方向に進んでしまうことを助長するあらゆる言説を支持するわけにはいかないのだ。

 ステージ4のガンが治る確率など微々たるもので、せっかく手術したって一桁台の生存率がやっと二桁になるくらいが関の山だ。だけど、母は確率もクソもない薄汚い連中の嘘ばかりの甘言に惑わされることなく、最後まで闘い、やがて治療の甲斐なくターミナルケアに移され、そこで短い生涯を終えた。ひょっとしたら、インチキ代替医療を宣伝する連中はそれ見たことかと言い立てるかもしれない。図々しい奴らだから。けれど、息子として一言いわせてもらいたいのだが、母は少なくともあいつらの勧める気休めとやらには勝ったし、今でもそれが大いに誇らしい。

 上の方で民間医療に頼ってしまった二人を、間違っていると書いたけれど、それは両人を断罪したいからでは決してない。死への恐怖は人から正常な判断力を奪い、また世の中には支えが必要なそんな状態の人たちを食い物にする鬼畜がいて、そいつらを駆逐するには、やっぱりそういうのは間違っていると常に言い立てることが必要だからだ。なので、困っている人たち、本当に助けが必要な人たちの、生きたいという願いを悪意からでも善意からでも邪魔する連中が消え去るまで続けるつもりだ。

真に受けないこと

「フリーランス向け嫌な仕事の断り方・交渉の仕方」という秀逸なエントリを読んだ。あと二ヶ月でフリーランス生活も満二年を迎えるが、身につまされる話だった。

内容に異議はないが、実体験から付け加えるとしたら、担当者の意図せざる噓に引っ掻き回されないことが大事だ。フリーランス生活の最初の頃にはこの手のことでおおいに悩んだものだが、考え方を変えてからは気楽に対処できるようになった。それにこのところずっと変な目に遭うことはなくなってきているので、大変ありがたい。

例えば、発注元の体制が変更になったりして、いわゆる「上からの意向で」突然契約が変更になったりすることはよくある。ウェブやアプリはいつも儲かるとは限らないし、利益が出なければ発注元としては基礎的な開発が済んでディレクションなどの実績も手に入ったのだから、あとは開発先を単価の安いところに切り替える方が得だというのは経営的な視点から必ずしも間違いとはいえない(ソフトウェア開発としては間違いだと思うが)。ただそれだけのことだ。

そして、そんなとき、ビジネスなので窓口になって板挟みになった担当者が気の優しい人なら、新しい契約関係の書類を差し出しつつ「いや、この変更で急に八木さんに仕事を回さなくなるとかそういうことはないんで」なんて言ってくれたりする。ありがたいことだ。しかし、その言葉には噓はないが、実際にはいくらその人が善良なること白い布のごとき御仁であっても、上の方針に逆らってまで何かすることなどできないのが勤め人の定めなので、結果的には何も出来ないしその言葉は噓になる。これが一番困るし恐ろしいケースだ。

噓をつかれるのは、それだけなら信義の問題であり、まあうれしくはないが別にそんなにダメージはない。逆に信義を通して「あんな会社辞めてやりましたよ!」とかいわれてもこちらとしても責任はもてない。しかし、フリーランスはサラリーマンではないので長期的な契約が解除されたりすると次の仕事をちゃんと確保しないといけなくなるので、下手に「お優しい担当者」を信用して案件を待っていたりすると、これは致命傷になるのは間違いないのだ。実は22歳くらいの頃、当時の仕事はソフトウェア開発ではないのだが、その手のことに巻き込まれてうっかり担当者を信じたお陰で酷い目に遭った。

そこで学んだ教訓は、交渉では相手の話すことを真に受けてはいけないよ、という単純な事実だ。人間は基本的にお優しい生き物なので、面と向かった相手には耳に心地いいことを話したがる。たぶん、そうでないと自分の耳が嫌がるからだ。だけど、相手が目の前にいなければ、世界中の飢えた子供たちを見殺しにして食事を残したり、不公正な裁判を平気で無視して是認したり、石原慎太郎に投票したるする。特別な悪人じゃなくたって、あなただってそうだろうし、ぼくだって部分的にはそうだ。それが人間の生き方というものだ。猫を飼うことやバスに乗ることに反対しても賛同者はなかなか得られないように、付き合う相手を厳正に善人ばかりから選ぼうとしてもなかなか生きてはいかれないのがこの世の定め。そこら辺はなるべくいい加減に考えた方がいい。ただしおのれの身を守ることはお忘れなく。

この写真ってなんでしょう?

どなたか出典などご存知ありませんか?似たようなのがアゼルバイジャンの博物館にもあるそうですが。

男子バレーボールが強くならない理由

昔、自分がバレーボールをやっていたことを話すと、しょっちゅう「なぜ男子バレーボールは弱いのか」と聞かれるので、いつも答えていることを書いておく。ちなみに、筆者が高校生の頃に関東地区の強化指定選手に選抜されたときに指導されていた方が、今の全日本の男子チームの編成を担当していたりする。当時は「高校生は個性を持つには早すぎる」などユニークなご意見をお持ちの人だったので、いろいろ面白い話も聞いているが、ここでは関係ないので触れないでおく。

男子バレーボールが世界的にお世辞にも強いチームとはいえない状態が20年くらい続いているのはご存知の通り。オリンピックでは1992年の6位を最後に上位入賞どころか予選敗退が半分以上になっている。日本に極端に有利な条件で実施されるワールドカップですら、出場が12カ国となった92年以降の成績だけみても95年の5位を最高に後は9位か10位だ。ちなみにワールドカップというのは、4年に一度、常に日本で開催される大会で、オリンピックと世界選手権と合わせて一応「世界三大大会」のひとつなのだが、ジャニーズとフジテレビが派手なキャンペーンを繰り広げ、耳をつんざくような黄色い声でひたすら日本を応援するジャニーズのファンが押し掛ける異空間だ。日本チームの出場は必ずテレビの放映時間に合わせて日程が組まれるのでコンディショニングでも非常に有利になっている。さすがに試合前のジャニーズのショーは国際バレーボール連盟の要請で中止になったらしいが。

かつて、といっても1970年代だが、日本はオリンピックで金メダルを獲得したこともあり、何度も上位入賞を果たした強豪国だった。当時の監督で先頃亡くなった松平康隆のPRマンとしての手腕もあり、80年代までは人気の上では絶頂期だったといえる。だが、その頃から徐々に坂を転げ落ちるように国際大会での成績も下降して、人気も凋落していった。近頃は小学校でのバレーボール人気が復活しつつあるそうだが、それもこの年代にファンだったりプレーしていた人たちが親になって自分たちの子供に教えているからだそうだ。

さて、ではなぜ日本代表が弱くなってしまったのか。その理由として最も多く挙げられるのが、身長の問題である。リベロ制度やサービスエリアの撤廃、ラリーポイント制で、とにかく背が高く攻撃力のあるチームが有利になったために日本が活躍できない、というわけだ。実際、身長を比較してみると、確かに世界ランク1位の常連国ブラジルが平均身長197.8cm、中央値197.5cmのチームであるのに対して日本代表の平均身長は7cm程度低い190.6cmとなっている。両チームからリベロを抜いたり、中央値をみてもさほど変わらないので傑出して足を引っ張っている選手もいないようだ。伝統的に身長の高い選手が多いロシア(ロシアではブロックは「壁」ではなく「屋根」という、と昔教えられていましたが本当でしょうか?)もおそらく同じような結果になるだろう。確かに、これもひとつの理由はありそうだ。

だが、それで疑問は全て解決するわけではない。なぜ、背が低いのだろうか。平成20年度の日本人男性の平均身長は25歳から29歳で172.11cm、標準偏差が5.59となっている。サンプル数もそれなりに多い(380万人くらいらしい)ので信頼できる数字だと仮定すると、統計的にはおよそ全体の70%くらいの人たちが166.52cmから177.7cmの範囲内に収まっていることになる。また95%が160.93cmから183.29cmの範囲内にいることも予想される。つまり、チームに入れそうな年齢の男性の5%しかこの範囲から外れる人はおらず、その中でも半数以上(おそらくhydeとか)は下の方にはみ出しているので、下手をすると2%や1%の人材から選手を調達しない限りは高さで世界各国と対抗することは出来ない。

というとなんだか絶望的に聞こえるかもしれないが、日本の人口はとても多いので、25歳から29歳までの男性は380万人もいるのだから、この2%なら実は7万数千人も候補者がいることになる。世界ランク5位のセルビアの総人口は1,000万人に満たず、成人男性の平均身長は178cmだ。200cmの人口は日本より少ないと予想される。つまり、日本は単純に背の高い人材を確保できていないか、育成できていないだけなのではないか。

では、それはコーチングの問題なのだろうか。そう単純な話であれば、外国の指導者を連れてくるだけで事態は改善されるだろう。しかし、状況をみるにそうではないように見える。なぜなら、バレーボールの周辺環境は非常に厳しいものだからだ。

ここからが結論になるのだが、なぜ男子バレーボールが弱いのか(そして、なぜ女子はまあまあなのか)は、手っ取り早くいえば男性の平均年収と女性の平均年収の違いが原因だ。バレーボールは一日6時間以上練習することが出来るので実業団の選手は午前中だけ勤務して練習するか、朝から練習している。このような生活を30歳くらいまで続けるとどうなるか。同じ企業チームでもラグビーではそんなことをしたらみんな死んでしまうので、基本的には定時で上がってから練習をする。曲がりなりにも定時までは仕事をしているので、ラグビーの選手なら引退後もなんとかなるかもしれない。実際、早めに引退して仕事の方で本格的なキャリアを積むケースが多い。でも、バレーボールの他には何もせず、ほとんど業務経験もないまま過ごしてきた30歳に出来る仕事なんかあるだろうか。指導者として残る人などごくわずかであり、大半はとりあえず物流など力仕事中心の部署で自分よりずっと年下の人たちに混じって再スタートすることになるか、そのような環境にも居づらくて退職して連絡がつかなくなる。ましてや、プロ契約など結んでしまっては引退後の身分保証はほとんどない。給与をもらっている男性の平均年収は533万円くらいだが、このレベルになるためにはいつまでも選手を続けていては無理なのだ。男子バレーボールに人材が集まらない理由は、食えないからである。

一方、同じく女性の平均はそれよりずっと低く271万円なので、正社員であれば定時上がりの仕事であってもこのレベルに到達するのはさほど難しくはない。そのため、選手を続けてそのまま会社に残ったとしても、一部の専門職を除けばとりわけ同世代と比較しても待遇が悪いこともない。ましてやこの不景気に実業団に属してプレーすることができればかなりいい身分であるともいえる。

以上が男子バレーボールが強くならない理由だ。細かいところを見れば他にもいろいろあるだろうが、ここが根本的に対策されない限りは、このスポーツに未来はない。

2011年を振り返り、2012年の目標をたてる

2011年の収支を計算してみましたが、会社に勤めている頃よりはずっとマシだとはいえ、当初思っていたほど稼げたわけでもないですね。ナイスな未回収金を発生させてしまったこともあり、終盤になって年収が大幅に減ってしまったのが痛いです。うちは働き手がぼくだけしかいないので、こういうことが続くと一家で路頭に迷うことになりかねません。さすがに落ち込みましたが、以前お世話になった方々に相談していろいろとお力添え頂きましたので、なんとか春先には挽回したいものです。基本契約書は大事ですね。

来年からどうやっていこうか、考えてみました。別に好きでひとりでやってるわけではないので、どうしてもフリーランスを続けたいわけではありませんが、ここまでボッチだと我が人徳の無さはもはや人類史に足跡を残すほどであると考えるのが妥当だと思います。かの偉大なるポール・グレアムもこんなことを書いています

創業者が1人であるのは何が問題なのだろう? まず何より、それが不信任投票だということがある。それはおそらく、その創業者が一緒に会社を始めてくれる友達を誰も見つけられなかったということを意味する。これはすごく憂慮すべきことであり、彼の友達は彼のことを一番よく知っている人たちだからだ。

実に身につまされる話です。これだけハッキリと不信任決議を突きつけられているのですから、いい加減に目を覚まして、どこかしっかりしたところで落ち着いて勤め人をやるのが筋というものです。そんなわけで、2012年は勤め先を探す年にすることにしよう。それまでには、いくつか考えていたプログラムを作って発表しておきたいので、頑張ります。

2011年のクリスマス

Gimpで5分、モダニズム風クリスマスカード。

私は如何にして禁煙するのを止めてタバコを愛するようになったか

意味もなく事実と反対のタイトルにしました。

8月にタバコをやめました。たまに理由は?と聞かれますが、それは自転車を盗まれたことから始まります。年初に自宅に駐輪していた自転車を盗まれました。うちは玄関に人が近づくとライトが点灯する仕組みになっていて、自転車は玄関のドアの前にありました。上の子のところに友達が遊びに来ていて、送り出したときにはまだあったのですが、その20分後にタバコを吸いに外に出たところ、もう自転車はありませんでした。

そして、手にしたタバコを見つめ、いつものようにアスファルトに押し付けて火を消すと、最後の一本を吸い終えた私の中で何かが死に、同時に何かが生まれたような気がしたのでした。

とかいうことは全然なくて、普通に困ってひとしきり泣き言をほざいてから、盗難届を出してこの件は処理しました。しかし、これは人生の大きな転換点の前触れだったのです。

しばらく不便なまま生活していましたが、かみさんの実家に行ったとき、義父母に自転車を盗まれた話をしたら、義父が「じゃあこれをあげよう」と使っていなかった原チャリをくれました。古い型ですが、手入れがよかったのでちゃんと動きます。実は、長いこと生きてきて、これまでヤンキーっぽいからという理由で原チャリに乗ったことがほとんどありませんでした。たぶん、ほんのちょっとの距離を一回くらい、これも誤解の末に仕方なく乗っただけだったはずです。だいいち普通自動車運転免許だって30歳で取得したくらいですから、乗り物全般にほとんど興味がなく、二輪車なんてろくでもない嗜好品としか思えませんでした。でも、なんとなく話の流れで、これからはこの原チャリがぼくの通勤とかの足になってしまったのです。かみさんと近くのホームセンターに出かけてとりあえずヘルメットを買い、運転の仕方についてあれやこれやと教わりましたが、ここ埼玉から練馬の自宅まで、車でも小一時間かかります。でも原チャリを積むことも出来ず、ほぼ人生初の原チャリなのに、大通りを延々と走る羽目になってしまいました。

田舎道を原チャリで走るとたくさんの自殺願望の昆虫が目の中に次々と飛び込んできます。途中でゴーグルを買いました。大きな車に追い抜かれるときは死が具体的な姿で迫ってくる気がしました。アスファルトの路面がまるで1970年代のマンハッタンのように穴だらけなのを知りました。完全にビビりながらの走行でしたが、大通り沿いのコンビニで休憩していると、なんだか自分がいっぱしのライダーになったような気がしてきます。タバコをふかして、気分はまるでハーレーに乗るマルボロマンです。なんだか楽しいじゃないか。時速30キロ台でも、風を切って走っていることには変わりなく、片手をひねれば、もうどこにでも行けるんだという感覚は、魔法のような強さで人を引きつけます。

中年の危機は、男性にとっては、2つのかたちで現れるものなのだそうです。すなわち、若い女に走るか、バイクに乗りたがるか。

いつしか、通勤にもほぼ原チャリを使うようになりました。新宿、渋谷くらいなら原チャリで余裕ですが、五反田あたりまで行くと自分でも相当にいかれてると思います。山手通りの左端を原チャリでのろのろ走っていると、なんだかとても自由な感じがします。電車での通勤だと、ふと目に留まった場所で降りてみるなんてふざけたことが出来る余裕はないのですが、原チャリだったら真っすぐ帰るのも寄り道するのも気の向くまま、どのコースを通ってもいいわけです。たったこれだけのことが、ずいぶんと開放的な気分を演出してくれるとは知りませんでした。それに、原チャリって満タンまで給油しても400円くらいしかしないので、電車賃より安く済みます。交通費をもらえる立場にないので、それも好感触です。もちろん、読書ができるとか天気に左右されないといった電車ならではの特典はたくさんあるのですが、この気分だけは電車の運転手にだって味わえないものなのです。

そして、数ヶ月が経って、あることに気付きました。なんだよ、この俺様より気分良さそうに走る乗り物にのってる奴らがいるじゃねえか。そうです。原チャリは制限時速が30キロ、普段自動車に乗っているとあまりの遅さにすぐに追い抜くような邪魔くさい存在です。でも、渋滞のときは車の脇をすいすいすり抜けて小気味よく走る素敵な乗り物でもあります。しかし、この2つの特性を同時に昇華させて利点に変えたとんでもねえ奴らがいるではありませんか。そう、普通の、いわゆるバイクってやつです。むかつきました。あいつら制限時速も車と一緒だし、二段階右折を強要されることもなく、それでいて渋滞の車の間をすいすい走り抜けていやがる。

悔しくて眠れませんでした。寝ましたけど。それからは、まるで中学生のようにバイクに乗りたい、なんとかして乗りたい、免許買えないかなあ、とか、そんなことばかり考えるようになってしまいました。でも、ぼくが勝手に自営業になったばかりで、うちにそんな余裕はありません。ますます悔しさが募ります。このままでは手当たり次第にバイカーを襲う妖怪に化けてしまいそうです。「バイクがほしいんだけど」ある日、思い切ってかみさんに相談してみました。「お金どうすんのよ」「どうしようもない」確かに、どうしようもありません。ない袖でスイングできないのですが、スイングしなけりゃ意味はないのです。ああ。すると、かみさんがいいことを思いつきました。入る金に変化がないのであれば、使う分をどうにかすればいいのです。

以前、何かの予防接種に上の子を連れて行ったとき、診療所の部屋から部屋へとせわしなく動き回りながら、オリックスのなんとかというピッチャーと飲みに行ったとか、そういうとりとめの無い話を滔々としゃべっていた近所の内科医のオフィスで、チャンピックスを処方されたのが8月の終わり頃でした。考える間もなく始めたので、家にはまだ3カートンもタバコが残っています。

始めてみると、期待していたような禁断症状もなく、二週目から完全に禁煙し、3回目の診察で呼気一酸化炭素が普通の人と同じになりました。最後は薬(チャンピックス)を飲むのもさぼりがちになり、今は「吸うことは出来るし、仕方がなければ別に吸ってもいいけど、別に吸わなくてもいい」という気分のまま、全く吸わないで生活しています。でも、今さら禁煙席に座るのって恥ずかしくて、ときどき喫煙室に座ったまま一服もせずにいることがあるとか、ある程度の時間を過ごすのであればスターバックスは喫煙できないから入らないという習慣が抜けなかったりします。他人の喫煙は全く気になりません。いいにおいだなと思うくらいです。今さら受動喫煙で文句をいえるような立場でもないし、喫煙はいい気分になることだと知っているので反対もしません。むしろ喘息でもないのにタバコを吸ったことがないなんて、お受験エリートみたいな歪んだ子供時代を過ごしたんじゃないかと疑わしく思うくらいです。

さて、肝心のバイクですが、子供の頃にそういうのに全く憧れなかったので、どんなバイクがいいのかさっぱりわかりません。レースに出る人でもないのにゴテゴテくっつけてるのは嫌いだな、とか、その程度の判断しかできません。おまけに免許も取っていません。なので、結果的にはまだタバコをやめただけになっています。調べていて驚いたのが、大型免許って今はすぐに取得することが可能なんですね。といっても教習所でそういうのを受け付けているところは少ないですが。とにかく、まあ、その、こんなことを延々と書いているのはちょっとむしゃくしゃすることがあったからなので、そろそろやめますが、最後に、タバコやめると太るよ。これほんと。

フリーランスになって1年が過ぎて その3・よかったこと

Twitter経由でひどい話を読んだのですが、まだ20歳と若いのにそこまで絶望するとは驚きました。

ぼくが会社を辞めたのは20歳などとうに過ぎて30代も終盤に入ってから、子供も二人いて、家のローンもたんまり残っていました。退職金なんかありません。預金もないし、もちろん売り払うストックオプションもなく、ついでにいうと有給だって全然残っていませんでした(フレックス制もなく、遅刻は全部午前半休扱いなのでそれに使ったため毎年ほぼ100%消化、確か一週間もなかった)。5年間ずっと携帯向けサービスを作る仕事をしていましたが、構築したシステムはアクセス数こそそこそこあるけれど、新しめの技術など一切使わない、それどころか当時もまだPHP4しか動いていないような職場だったので、業務から得た知識だけでは他所では全く通用しない状態でした。今から考えるとぞっとしますが、勢いで辞めて生き残ったのも、周囲の暖かい支えと運もあったんだと思います。

ただ、本当にまったくの徒手空拳でフリーランスになったわけではありません。ぼくはぜんぜん出世しない人間だったので、会社の中でも比較的暇な、といって悪ければ会社の花形っぽい開発部門じゃない、例えば既存のシステムの保守なんかの仕事を割り当てられることがよくありました。企業向けのウェブアプリのユーザって、管理画面なんかはそれを利用する人は全部合わせても会社の担当者がたった数名だったりするじゃないですか。しかも、自社のウェブサイトだったりなんかすると、利用者はみんなそこら辺の席に座っている人です。そこで、そういう環境のメンテナンスになるたびに、あれやこれやと覚えたての技術を組み込んで、実際に使ってもらって試したりしていました。JavaScriptが苦手だったのでインクリメンタルサーチや各種エフェクトなどあれこれ作ってみたり、Prototype.js以前のAjaxなんか、今となっては貴重な経験ですよね。それから、また忙しい部署に配属されましたが、そこはRedmineもない環境だったので、自分でそこら辺のあまってるマシンに入れて動かしているうちにRailsを覚えたり、誰も見ていないところでは使い捨てのスクリプトはみんな好きな言語に切り替えて勉強したりもできました。そうそう、暇な頃には、風の噂では未だにPHP5に移植できていないらしい会社のCMSをPHP5に移植して自分のマシンでオンラインブックマークのシステムを動かしていましたが、マシンの持ち込みが禁止されてしばらく忘れていたらディスクが飛んで消えました。そのマシンではGoogleデスクトップのMac版がなかった頃にPDF、Excel、WordをFerretで全文検索して、ついでにPDFのガードを解除する仕組みも動いていました。ようするに、まだ試したことはないけど勉強だけは結構しっかりやっていたので、脳みそに貯金だけはかなりありました。でも、墓場までもっていける貯金などないのですから、どこかで使ってやろうと思い立ったのが仕事を辞めることだった、ということなのです。

ぼくは特別優れたプログラマではないし(だったらなんかすごいことやってるでしょ?)、経験もかなり偏っていると思います。TOEICで900点を目指せといわれたら頑張りますが、情報系の資格は面倒くさいです。だけど、プログラムを作って手を動かすのは好きだし、何か気になるものがあったら手を出してしまう性格なので、常に挑戦する対象には事欠きません。また、そこで身につけたことを仕事にして何かリリースしないと気が済まないので、フリーランスになってそんな特性を活かした仕事をすることが出来るようになったのが、一番の収穫でした。最近よく思うのですが、何か当たらしいことを始めたい、始めないといけない、と考えている会社はいっぱいありますが、でもいざ実際に何かしようとなると、全然うまくいかなかったり、そもそも始めることさえ出来ないなんてケースは、実はかなりたくさんあると思います。その原因はさまざまでしょうが、ひょっとしたら、社内にくすぶっている冴えない誰かにそんな妙な能力があったりするかもしれないし、それを見落としてずっと損をしていることも、あり得ないことじゃないんじゃないですかね。

もちろん、こんな状態があと何年続くかはわかりません。どこかで書いた気もしますが、まるでアイドルのように、いつか自分への需要がなくなってしまう、いやもうそろそろ底を尽きているんじゃないか、という恐怖は夜空の月のように常につきまとっています。でも、まあ、とりあえず今のところは、まあ、よかったんじゃないかな、と思います。

あ、肝心のお金だけど、辞めてからの方がずっと儲かってるよ!てへ!言っちゃった!じゃあね!バイバイ!

フリーランスになって1年が過ぎて その2・困ったこと

組織と個人では、絶対に個人が弱いです。それに、仕事を持って来てもらう立場にいると、仕事を供給する立場の人の方が強いです。そのため、例えば事前に説明されていないようなことが、無理強いされてこちらのタスクに組み込まれてしまうことがあります。

一番困るのが、下手な知識があるので細かい違いが分からず、結果的にゴリ押ししてしまうタイプ。

「そういえば、このサイトってスマートフォンで見られるよね?」
「ブラウザで表示することは可能だと思います」
「いや、それじゃ見にくいでしょ。プラグインでさっと対応できるよね?」

同じ魚だからと金魚の水槽でクマノミを飼おうとしてもダメなのと同じで、開発者なら誰でもこの「プラグインを入れるだけで解決」みたいなのが信用ならないと知っているかと思いますが、プログラムを書かない人にとっては、いくつかの似たような例を参考に、こんな結論に至ってしまうケースがあります。

その次に困るのが、ただゴリ押ししてくるタイプ。

「ここの画面に帳票管理機能が必要になったからよろしくお願いします」
「いやいや、無理ですよ。納期間近なのに。そもそも工数が違うんだから再見積りにしてください」
「ちょっと待って、そこは頑張ってくださいよ。こっちだって必死になって仕事とってきてるんですから」

仕事をまわす人は、仕事をもらう人より意見が優先されます。上の例はきっと誰かのミスで「帳票管理機」とやらが必要だったのが要件から漏れていたわけですが、会社と個人の争いになれば、こんな風にゴリ押しされたら個人の側はひとたまりもありません。たとえ相手に単純に騙されたんだとしても、なかなか強く言い出せないのです。

他にも、例えばお客様の都合でリリースが延期されたり、プロジェクトがなくなってしまうことがあります。そんなとき、蓄えがないと二ヶ月くらい収入がなくなります。最初の頃はこういうことが続いたため、かなり苦しい目に遭いました。

この手のトラブルを避けられない以上、フリーランスのソフトウェア開発者というのは非常に脆弱な地盤の上に立っていることになります。これは間違いありません。これは構造的な問題のような気がするのですが、それを是正する手段を持たない人にはどうしようもありません。でも、会社の経営だって、よく考えたらそういうものですよね。そういう意味では、個人というのは従業員ひとりだけの会社みたいなものです。そのかわり、経営者としてボンクラ社員をいじめて憂さ晴らししたり、給与カットで自主退職を狙ったり、いっそ思い切ってクビにして切り捨てて逃げようとしても、靴ひもを引っ張って空を飛ぼうとするかのような目に遭うだけですけどね。

フリーランスになって1年が過ぎて その1・お金

前職に居た頃、ちょっとどうかと思う同僚に、何かの折に「もうあなたの年齢やキャリアでは転職もままならないでしょ」と脅されたのを契機に、それならいっちょやってみようと決意して、フリーランスになってから早いものでもう一年になりました。家族4人でそれなりに暮らしてはいけているので、大失敗というわけでもなかったようです。

フリーランスで仕事をする場合、毎月の経費がどれくらいかかるのかだいたいわかってきました。まあ、食費や交通費みたいなものは受注した仕事によって左右されるので除きますが、その他はだいたいこれくらいです:

・電気代 8,000円

自宅の真夏の電気代はこれくらいでした。自宅ではサーバが一台常時稼働しています。作業中はMacbookProと外部ディスプレイが一台稼働しています。部屋にはクーラーがあります。

・通信費 20,000円

プロバイダ料金、携帯(仕事柄ガラケーの契約も切れません)、iPhone、電話代が合わせてこれくらいです。家族分を含みます。

・書籍、資料 10,000円

Safari Books Onlineに1,765円支払っています。急に未知の言語の仕事が舞い込んできたり、調べものをするのに重宝しています。特にフリーランスになってからウェブ開発からスマートフォンのアプリ開発に重心がシフトした関係で、とても助かっています。

とはいえ、他にもSafari Books Onlineでは入手できない資料だって必要になります。こう見えても一応知的労働に従事しているわけですから、勉強し続けないとすぐに立ち行かなくなります。みなさんはエンジニアを大事にしてくれて、書籍代やカンファレンス、勉強会の費用は当然のように支給してくれる会社にいるのかもしれませんが、フリーランスになると自己投資は欠かせません。

・保険、年金 56,372円

これにはちょっと仰天しました。かみさんと二人分の国民年金が30,040円、国民健康保険が26,332円です。こんなに払ってるのに将来年金がきちんと支払われるかわからないなんて、思わず革命家になってしまいそうです。あるいは、自分が保険組合になってしまいたいです。厚生年金に切り替わるし、福利厚生なんかどうせみんな抽選で外れたことにしちゃえばいいし。まったく。

というわけで、ぼくの場合、上記の合計12万ちょっと+家のローン+生活費が最低限稼がなくてはいけない金額ということになります。もちろん、貯蓄とかなんだとかも含めないと子供の将来が大変なことになってしまいます。今のところ、まあまあギリギリ及第点ですかね。