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革マル派の思い出

96年に大学で革マル派の人たちに遭遇したときのことを思い出したので書いておく。基本的にあの人たちが自らのことをはっきり「革マル派」だと名乗るのは珍しいことだと思うので、そういう意味でも記録しておく価値はあるだろう。

といっても、そんなにややこしい話ではない。A4のレポート用紙にどこかで読んだ漢文の一部を改変した文章を書いて退学届を完成させ、事務局に提出した後、友人のアパッチ加山と大学生活最後の記念にキャンパスの坂の奥のベンチあたりでズブロッカを飲んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまった。状況からすると、どうやらベンチの前に仰向けに寝転がって飲んでいるうちに酔いつぶれていたようだ。なんだか寝苦しいので目を覚ますと、それほど特徴的でもない、なんというか地味な顔の見知らぬ男が馬乗りになってさかんに何か言っているのが見えた。なんだろう、さっぱりわからない。困ったものだ。しかし、いずれにせよ他人に馬乗りになってもらうのも愉快ではない。そこで、こちらも口を開いてみることにした。

「だ〜れだてめーは」

すると、銀縁眼鏡の奥で鈍く光る小さな目をした男が、誇らしげに答えた。

「革マルだ!」

ジャジャーン、と音がしたわけではないが、へっ、と辺りを見渡すと、10人くらいの男たちが取り囲んでいる。これは一体何なのだろう。日頃から、例えば酔っぱらって自治会の部屋に爪切りを貸せと詰めかけたりしてはいたが、今さら何か用件があるとも思えない。わからないことは聞いてみるのが一番だ。

「なんか用かね」

すると男は何やらあちらの方を指差しながら、「これをやったのはお前らか」と嫌みっぽい口調で答えた。質問に質問で返すとは腹立たしい。こちらも乗られっぱなしはやめて起き上がって、ついでにそちらに目をやった。

当時、キャンパスのあちこちに、いわゆる「立て看板」と呼ばれる、角張った書体の文字が並んだ大きな看板が立っていたのだが、今でもそんなのはあるのだろうか。学生時代、よくあれの偽物(「毎週水曜日は『血塗られた復讐の日』」とか)を作って並べて遊んだりしたものだ。さて、馬乗り男が指差した方には、2メートル以上はある大きな立て看板があったのだが、そいつはちょうどその真ん中あたりでまっぷたつにへし折られていた。

「お前らがやったのはわかっているんだぞ!」

うん、そうだね。思い出した。酔いつぶれる前、心地よく酔っぱらっていたのだが、ふと振り向くとそこにはひどく汚らしい看板があったので、たまたま持っていたギターを投げつけてぶっ壊しておいたのだった。こちらが立ち上がると、囲んでいた連中がさっと包囲の輪を狭めて近づき、逃げられないようにといわんばかりにさっと左右の腕を掴んで拡げて抑えた。みんな背が低くて体格もそんなによくない人たちだったのだが、逃げる気もなかったので大人しくしていた。まあ、壊しちゃったのは悪かったからね。悪かったよ。しかし、馬乗り男の口にしたセリフで気が変わった。

「お前らどこの組織の者だ?」「弁償しろ!」

自分たちの政治的な主張を伝える大事な看板が一方的な暴力によって無残に破壊された今、お前たちが心配するのは金のこと、組織と組織の力関係のことなのか。愚か者め。というわけで、答えた。

「いやなこった」

それからしばらく連中とああだこうだと話して、内容はよく覚えていないけれど、互いの主張や考え方の間の隔たりが大きすぎてどうにもらちがあかない。すると、騒いでいる連中の後ろに立ってちょっとばかり距離を置いている、ボクってこいつらとはちょーっと違うのよ、とても言いたげなそぶりの小太りの男がすっと前に出て来て言った。

「ふん、どうせ酔っぱらってなきゃデカいことも言えないんだろう?」

どうだろう。考えてみたが、酔っぱらっているのは確かだし、じゃあそうでないときに自分はどうするのか想像したとしても、そんな仮定の話など意味はないので、困ってしまった。仕方が無いので、「うーん、でもユーモアは失ってないぞ」と答えてみたのだが、それだと何だかこの小役人じみたニキビ面の男に媚びている気がしてきて、それに、そもそもお前だってこうして数人がかりで腕を抑えている相手にしかデカいこと言えないんだろう、と言い返せばそれまでなのだが、そんな脱構築ごっこをするためだけに生まれてきたのはこいつだけで十分だし、やっぱりこいつが一番腹立たしいから、腕を抑えていたやつらを突き飛ばし、そんなにご立派ともいえないその男の顔面をブン殴った。成人してから、自分のも他人のも含めて、顔を殴るなんて初めてなので、どうなるかと思ったが、特にどうということもなく、結局、どうせこれが大学生活最後の日なんだよね、うるせえ、もう帰って来るな、と軽妙なやり取りがあった後、普通に校門から出て家に帰った。

翌年から、革マル派の資金源として名高かった学祭も数年間中止となり、資金源と活動の名目を失った彼らは学校から徐々に姿を消していったようだが、詳しいことはわからない。

杭州印象 その6

中国の田舎は、本当にいい気分で過ごせました。思うに、杭州で感じた都会の忙しなさ、人々の間のギスギスした空気は、まだみんなが工業化社会に慣れていないので、ちょっとストレスで参っちゃってるせいなんじゃないでしょうか。その点、田舎はのんびりして気楽でいいです。ミス・リトルスワロー(娘さんがとっても可愛らしい)や陳さんたちに別れを告げ、江山市の駅から再び杭州を目指して移動しました。また駅までの長い道のりを車で送ってもらって、陳さんにはいくら感謝しても足りません。日本の風俗に行ってみたいと話していたので、大陸を代表するドM野郎としてSMクラブとかを紹介したいと思います。嘘です。何か大陸からやって来た客人をもてなすのに相応しいマニアックでこれぞニッポン、完全に狂ってる、という性風俗があれば教えてください。ついでに案内役もやってくれると助かります。費用は自腹でどうぞ。

それにしても、杭州から江山市まで呉さんがこれだけの距離をほぼ毎週移動しているというのは驚異としかいいようがありません。その3で書いたようにローカル線の旅は精神的にも肉体的にも大きな試練になるのはわかったので、今度は中国の誇る高速鉄道に乗って帰ることにしました。車両は日本の新幹線や特急とほとんど変わらない様子で、乗り心地もだいたい同じです。ポッキーを大量に持っていたのでぽりぽり食べていたらこちらをチラチラ見ているので隣の女の子にどうぞと勧めたらひどく不快な顔で拒否されたり(ふざけんなよぽりぽりしてんじゃねえぞ、ってチラチラ見てたんですねきっと)、途中で乗ってきたおばちゃんが携帯電話で話す声がものすごく大きかったりはしましたが、全般的に快適な移動でした。

その一週間後には、追突して線路から落っこちたりしていましたが。

まあ、どれだけの手を尽くしても我々を殺害するのはそう簡単ではないのだよ。わっはっは。被害者の皆様のご冥福をお祈り致します。

杭州に到着し、バスでホテルに向かおうとしたら雨が降り始めました。上海の方はとっくに降っていたので、旅行中にほとんど雨らしい雨に降られなかったのは幸運でした。が、バスが到着しているのになかなかドアを開けてくれません。様子をみるとどうやら何か小役人の約束事みたいな理由があって規定に従い開けないようなのですが、もうバス停に到着しているのだし、そこには屋根がなくみんな困っているのだから、さっさと乗客を乗せればいいのに、なぜかドアを開けようとしません。もちろん待っている人たちは激怒して車体をバンバン叩いたりしています。そんなこんなで、ホテルに着いた頃にはすっかりくたびれてしまいました。

最後の夜はパッとうまいもんでも食いたいね、ということでホテル近くの四川料理レストランに入りました。

うまそー

しかし四川料理はどれも辛いですね。辛いピータンなんて初めて食べました。写真の料理は、この中に魚が入っているんですが、四川料理では有名なやつみたいです。見た目よりもあっさりしていてとてもおいしいです。また、ここは店員さんが親切で、とても感じが良かったのも印象的でした。

翌朝、すっかり気に入ったファーストフード店でカフェテリア形式の朝食を摂って、いよいよ最終日の体制を整えました。バスの移動にはもうこりごりなので、タクシーを使おうということで全員の意見(二人ですが)は一致していました。そこで呉さんにお願いして、今日の午前中いっぱいタクシーを借り切ってもらえるよう交渉してもらうことにしました。杭州は地下鉄もまだ工事中で竣工しておらず、バスは混むので、移動はタクシーを使う方が便利です。タクシーの初乗り運賃が20元と日本よりずっと安いので、気軽に利用できます。しかしそれは杭州の人たちにとっても同じことなので、なかなかタクシーが捕まりません。また、空車を見つけても方向が違うなどの理由で乗せてくれないことが結構あります。というか、西湖を観光したときはほとんど乗せてもらえませんでした。そんなわけで、タクシー側に有利な交渉になってしまうのではないかという懸念はありましたが、予算は300元で交渉してもらうことにしました。すると結局200元でOKということになり、飛行機の時間を気にせず最終日は杭州では名の知られた土産物屋の並ぶ通りでゆっくり買い物することができました。

「人民のために」

もちろん、お目当ては中国共産党グッズです。毛沢東の実家もそうですが、この手の土産物屋でもマオはすっかり観光資源になっていました。他にも表紙に歴代コミュニストたちがずらりと並ぶノートやマオTシャツなどを買い込み、ついでに杭州といえば大変有名なお茶もゲットして、大変満足しました。

つづく

次回予告:杭州最終出口、ロウソクと科学

杭州印象 その5

思いがけない運動で汗ダラダラでしたが、中国の娯楽の健全さには驚きました。だって、登山とか普通は思いつかないじゃないですか。つきますか?あんた野口さん?というわけで、中国の青年たちはとても健全だと喜ばしい報告を上奏するため、一行は毛沢東の実家に行くことになりました。嘘です。近くに毛沢東の実家があるよ、といわれて喜び勇んで行こう行こうとなっただけです。

すぐ近くにあったよ

いらっしゃ〜い

これがマオの実家だそうです。なんでも、彼は代々この辺に住んでた人の末裔で、家の中にはすんごい遠い祖先からの家系図とかが掲示されています。まあ、途中がみんな「某」「某」なんで、嘘くさいことこの上ないですが、うちのかみさんだって大名家の出身ですが家系図は途中からなんか急に藤原家とか源氏とか混ざってくるんで、そういうもんじゃないですか。それにしても、下手に歴史が長いと捏造も大変なのでマオん家の方が少なくとも労力はかかってそうです。

マオ一覧

なんか工事中らしくて警備の人もいないし、そもそもマオ本人がどこにもいないじゃありませんか。なんだよ、マオ不在かよ、せっかく日本からANA転がして来たのによぉ、なんて思っていたら、中庭に入ったところでマオ登場です。

ゴールデンマオ

なんというか、マオは観光資源なんだからもっと大事にしてほしいですよね。先祖代々の位牌が、それこそいつの時代の誰だよこいつ絶対先祖じゃねえよってレベルの人からずっと飾ってあるんですが、さすがに疲れたのかときどきメンテ中みたいな扱いをされてるのもあって、そのへんの詰めの甘さが後の文化大革命へと繋がったんじゃないかと思います。

放置プレイ中の位牌たち

あと、やっぱり全盛期の肖像画とかがちょっと金日成っぽくて昭和初期のセンスのなさを感じました。周恩来の方がなんか格好いいよね、と思わせるのも、マオのポイントを下げていると思います。

息子、いいもん食ってんなあ

この施設は入場料とかもなくて、ちょっとした観光にはお勧めです。でもぼくが行ったときは工事中で、なんか池をつぶして改装してるあたりがすっげえ魚臭くていいのかコレと思いましたけど。

江郎山の観光をすっかり堪能したわれわれ一行は、そろそろ本気で空腹になったので、またリトルスワローのお店に向かいました。それにしてもみんな卓球が腹立たしいほど上手です。「我上手卓球比福原愛!」と叫んでも全く通じません。打つ瞬間に「サーッ!」と叫んでも、最初は変な顔をされますが、すぐに通用しなくなりました。

で、できる!

リトルスワローのお店はいつ行っても暢気な雰囲気がいいですね。中国についていろいろご意見のある方もいらっしゃると思いますが、田舎に行けばほんとに素晴らしいところですよ。なんというか、こんな風にレイドバックした感じで村の生活とかやってみたいじゃないですか。ぼくには田舎と呼べるところがないので、余計にそう思うんでしょうが。

続く

次回予告:「杭州最終出口」「タクシーさん、あなた一日おいくら?」「マオは観光資源」

杭州印象 その4

この旅行にはほとんど荷物を持たずに来ることにしていました。持ち物はボストンバッグひとつだけ。短パンTシャツにサンダルという出で立ちで、着替えも最小限しか持って来ていません。一応、寒かったとき用にジーンズは持ってきました。それから、直前になって何となく思い立ち、トレッキングシューズをビニール袋に入れておきました。すると、なんということでしょう、呉さんが考えた三日目のプランは登山だというではありませんか。なんでも、浙江省初の世界遺産となった江郎山というところに行くとかで、朝7時に起きて陳さんの車で現地に向かうことになりました。途中、江山市の駅前で腹ごしらえしようとファーストフード店に寄りました。中国で立ち寄ったどの店でもそうでしたが、安いし美味しいし大変素晴らしいです。日本にもこういうのがあるといいですね。

yummy!

この手のお店はだいたいカフェテリア形式になっていて、普通はお粥やあったかい豆腐をすくってご飯茶碗によそったのと、何品かおかずを選んで注文するみたいです。餃子とかシュウマイ、饅頭なんかもおいしいです。それと、もちろん高野豆腐。ただ、注意しないといけないのは、こちらの人は甘いお粥というのを食べるらしく、お粥の種類によってはすごく甘ったるくて驚くことがあります。個人的には、プレーンなお粥に備え付けの塩をふって食べるのがよかったです。それから、飲み物を買うときは注意が必要です。うっかりペットボトルのお茶を買うと、飲んでみたらびっくりするくらい甘いことがあります。事前にホテルのテレビでCMを観ていたので緑茶らしき飲み物が甘いのは知っていましたが、カンフーっぽい外観の缶のお茶には油断してしまいました。あと、ボトルの水はあちこちで売られていますが、ほとんどが普通の水を浄水したものだと明記してあったりします。その辺は正直ベースでいいと思いますが、慣れないと味が違うので飲みにくいかもしれません。探せばボルビックとかもありますが、値段は何倍もします。だいたい日本と同じくらいですかね。それでもって、価格に差がありすぎて現地の人は誰も買わないので、製造年月日が去年だったりします。賞味期限の範囲内なので問題はないですが。

さて、車はいつものように予想したよりずっと遠くまで進んで行きます。大通りを抜けて、市街地から離れると農作業用の車が目立つようになりました。なんでもこちらの車検制度はかなり緩いみたいで、新車と中古車みたいな区別もあまりないそうです。また整備の基準も違うので、結構ファンキーな状態の車も走っています。日本の排ガス規制は素晴らしいなあ、と思いつつ、同じことを中国でやろうとしたら大変だろうな、やっぱり日本は適度に狭くて扱いやすくていいよ、と思います。どうせ規模なら負けるから、これからの日本は大企業へのアンチテーゼとしてのベンチャーみたいな立ち位置で、フットワークの軽さと規模の小ささを活かした細やかな快適さの追求(国民の、ですよ)で勝負した方がいいんじゃないですかね。

途中、ある集落を通っていると、この村は浙江省で一番美人が多いといわれている村だ、と呉さんに教えられました。実際のところ村人たちはどうだったかというと、時間がちょうど昼前くらいだったので、その美女たちとやらは、きっとまだみんな家でテレビでも観てるだろうと思いました。

いかにも中国!

じゃかじゃん!今回の目的地、江郎山です。でっかい岩が3本立っているんですが、真ん中のには登ることはできません(下が細くて上が太いので熟練の忍者じゃないと無理)。

近くで観るとさすがに迫力があります。

孫悟空とかいそうだ

麓には観光料を徴収する事務所と露天が並んでいます。入り口付近には、日本の小学校で履くような上履きがたくさん置かれています。情弱すぎてこんなところにヒールのある靴で来てしまった人のために貸してくれるみたい。さて、登り始めたのですが、なんかこれキツくないっすか?そもそも高地ってわけじゃないから、気温はいかにも沖縄とか台湾とかと緯度が近いって感じだし、これはピクニックじゃないぞ、と出だしから危機感でいっぱいになりました。喘ぐように歩みを進めると、しかし途中にはとんでもない光景が。

しーんぴー、しーんぴー

なんすか、この幻想的でいかにも東洋の神秘っぽい感じ!嫌が上にもかき立てられるこの旅情!すげえなあ。これは確かlinear heavenなんとかとかいうやつで、ようするに3つの巨大な岩の内の2つの間を通っていると、空が一本の線になって、そこから光が漏れてくるという、なんというか天然の光の教会みたいになっています。

もちろん、岩なので何百年、何千年に何回かはでっかい落石とかもあるみたいですが。

落ちた岩は休憩用のベンチになってるよ

しかし、ここでアクシデント発生です。同行した元同僚の日本人、ハギーが高所恐怖症であることを訴え始めたのです。ただでさえ大変な岩だらけの山道を、そんな輩と一緒に進むのは大変過ぎます。丁度いいことに、休憩に向いていそうな大きな岩の裂け目があり、その先の看板には「ここから頂上までは1時間半くらいかかるけど、体調の悪い人とか高血圧とかそういう人はやめた方がいいよ(意訳)」とあります。そこで、携帯電話を持たせてハギーにはここで待ってもらうことにしました。なに、この業界に入って以来、どんなデスマーチにも言われれば引かれていく羊のように参加するといわれる超絶的マゾヒストな彼のことです。これくらいの放置プレーではムズムズすることさえないでしょう。

しばらく洞穴みたいな岩の裂け目で遊んでから、いよいよ頂上目指して出発です。中国の人たちには結構ウケていたらしいですが気付きませんでした。

修行に励む

ニヤニヤすんな!

子供の頃、登山するときはすれ違う人にはちゃんと挨拶するんだよ、と父に教わったので、何度も挨拶してみたのですが、誰も返事をしてくれませんでした。中国にはそういう習慣はないのかもしれません。団体の観光客もいて、なんか上の方と下の方で木霊ごっこをしていたり、誰かがなんか変な雄叫びをあげると、遠くの方からもっと変な雄叫びをあげて、それが前のよりビブラートが効いていてもっとヘンテコだとみんなが拍手したりしていました。道の険しさにもう息が苦しくて仕方がなかったのですが、ここは負けていられないと日本代表になったつもりでヨーデルで対抗したら、辺りは元の静けさを取り戻しました。

オニユリかと思ったらキュウリ

途中、垂直になっているので鉄の階段や梯子を使う場所などもあり、いや本当にピクニックではない道中でした。

晴れてたらもっとよかった

ほんとにキツくてあんまり省略したくない、これを読んでいる人にはせめて冗長な文章で何らかの苦痛を味わってほしいと思わなくもないですが、何度もあと少し、あと少しと思い続けて「あと少し」という言葉の意味が理解できなくなった頃、ようやく視界が開けてきました。ここから先は険しい道もなくなり、木製の階段が現れてトイレの看板も見えてきました。ペットボトルの水を三本くらい飲み干していたので、ちょっと寄ってみたのですが、既に中にいる人が大変なことになっているらしくなかなか出てきません。待ちながら呉さんと談笑していると、前に並んでいるおじさんが「ちょっと待っててね」と日本語で話しかけてきました。仕事で日本に行ったことがあるそうで、発音も上手でした。

頂上だぜベイビー

ぶっちゃけ、天気がよかったらもっと最高だったかもしれません。とりあえずfoursquareでチェックインしておきました。まだメイヤーはいないので、是非挑戦してみてください。

下山の苦労もまた筆舌に尽くし難いのですが、あまりの尽くし難さに省略します。麓で売ってたレッドブル(偽物)を飲んだときの気分は最高です。そういえば、日本でも虫に刺されやすい体質なのですが、ここ中国でも虫に刺されたのはぼくだけでした。

痛々しい

続く

次回予告:「マオんち」

杭州印象 その3

さてさて。この一連のエントリ「杭州印象」シリーズですが、タイトルは西湖のほとりで開催されていた野外演劇のタイトル「西湖印象」のパクリであることに気付いた方は、杭州に行ったことがあるか、ちょっと病的に勘のいい人だけだと思います。近くを通っただけで、その劇は観なかったんで、詳しいことはわかりません。

さて、杭州から260km以上も一気に移動する我々を運ぶローカル線ですが、乗ったのは地方都市に停車するだけの、日本でいうところの東海道本線を走る特急みたいなやつで、現地の区分では頭文字が「K」となっている便でした。特急といっても高速鉄道ではないので特別な料金はかからないため、なんというか庶民的な雰囲気です。中国の電車といえば、あちらでもチベット自治区の電車の汚さが報じられて、それが日本でも話題になっていたようですが、この路線ではそれほどでもなかったです。まあ、昔の日本もすごかったらしいですからね。大阪では、上品さでは阪急>JR>阪神というイメージがあるそうですが、それをネタにした逸話に、阪急電車の車内で母親が床に新聞を敷いて子供にウンチをさせて、新聞紙を包んで窓から投げるのを見た人が、さすが阪急は上品だ、他なら床に直接出してそのままにしていると感心した、なんてのがあるそうですが、それに比べたら禁煙だしまあかなりマシかな、なんてことを考えていました。いろいろ慣れないものだから、ちょっと疲れたけど、こういう旅もいいもんだな。なんていっぱしの旅行者ぶったりして。

もうすぐ到着だ、と通路の人混みをかき分けて進み、ドア付近に立っていたら、目の前の席でおばあさんが抱っこしていた乳児の尻からうんこが噴き出し、床と座席が茶色に染まって、おばあさんが外していた乳児のおむつで床を拭き、座席を覆う布カバーもざっと拭いてから丸めて座席と背もたれの間にグイグイ押し込む姿を目撃したところで、完全に精神崩壊しましたけどね。

この移動のときの写真が全然ないんですが、たぶん心の余裕が全部なくなってしまったからだと思います。そんなわけで、帰りは多少の金額の差くらいどうでもいいから、高速鉄道に乗ろうと心に誓ったのでした。もちろん、われわれが乗ったまさにその路線を走る新幹線が、一週間後に衝突事故を起こすなどとは、この時は思ってもみませんでした。

昼に杭州を出発し、江山市の駅に到着した頃にはもうあたりは暗くなりかけていました。雨はもう上がっていましたが、駅の地下通路が水浸しです。大陸的なワイルドさを満喫している我々を迎えてくれたのは、中国人の元同僚の幼なじみという陳さんでした。彼はまだ若いのに地元で設備だったか建築関連だったかの会社をやっているらしく、仕事であちこち車で移動しているので道路にも詳しいそうです。ガテン系らしく演歌が好きみたいで、車内にはたくさんCDがありましたが、どれをかけても演歌でした。後部座席のわれわれをよそに友達同士の二人が楽しそうにしゃべっています。しばらくして、元同僚がふと振り返り、自分たちの言葉はものすごい方言なので電車や杭州で話していたのとは全然違うんだと言いました。ぼくにはどっちも中国語にしか聞こえないのですが、彼にいわせると、ここら辺の訛は戦国時代の発音が残っているのだとのことです。よく意味がわからなかったのですが、そういうものなのでしょう。呉越同舟の故事とかも、こんな発音でやり合っていたんですね、きっと。

途中、ハイウェイから別のハイウェイに抜けるのに簡易舗装だけの狭い迂回路に入ったのですが、すんごい狭いのにすれ違いとか平気でバンバン進むので、全身に力が入ったまま抜けませんでした。道路以外は背の高い雑草が生い茂った赤土の原野で、変な色の沼とかもあり、なんとも心細いものです。どうやら無事に迂回路を通り抜けると、今度はいくつか民家の並ぶ村らしき場所に出ました。痩せこけた犬がうろうろしていて、いかにも村っぽかったです。結局、この車の移動も案の定、ちょっと迎えに来てくれと頼んでいた割にはかなり遠くまで進んで行くのですが、こういうのには慣れが必要だと自分に言い聞かせました。やがて車は幹線道路から外れ、ちょっとした郊外の住宅街を通り、どうやら本当に目的地に近づいてきたようです。すると元同僚が、これから彼女を呼ぶからと電話をかけ始めました。彼女の名前は「雪燕」というそうで、読み方はわかりませんが英語がちょっとわかると聞いたのでスノースワローさんと呼ぶことにしました。

スノースワローさんと合流したわれわれ一行は、さらに川縁の道を飛ばして、遂に中国人の元同僚の実家に到着しました。もうあたりはすっかり夜になっていました。この集落の入り口から先は道路が舗装されておらず、赤土の道が続いています。元同僚(面倒くさいのでプライバシーを考慮して「呉」さんということにします)のご実家は三階建ての中国風田舎家という感じで、一階は靴を脱がずにそのまま入れるガレージみたいな造りになっており、そこにテーブルがあってご両親が迎えてくださいました。実は旅行前に一緒に行く元同僚と、お土産は洋菓子とポケモングッズが鉄板だろうと話し合っていたのですが、どっちがどれを調達するかで連絡のミスがあり、おみやげは洋菓子だけになってしまったので申し訳なかったです。お母様が卵とライチを砂糖を溶いたお湯で茹でたものをお椀によそって出してくださったので頂きました。どんな味なのか想像するのが難しいかもしれませんが、上に書いた通りです。ライチは杭州やここら辺ではポピュラーな果物らしく、そういえば杭州の道ばたでも蓮の実とライチの実が売られていました。一通り挨拶を済ませ、いつの間にか後ろに立っていた近所のおじさんとも打ち解け、じゃあみんなで食事に出かけようと相成りました。

街灯も無いので外は真っ暗で、雨が降ったばかりなので雲が厚く星は見えませんでしたが、杭州と違って空気が澄んでとても気分がいいところです。さて、移動しようとなったところで、車に全員が乗れないね、ということになりました。案内されて我々日本人二人が先に乗ったのですが、出発してみたら呉さんのご両親がいないので尋ねると歩いて行ったと聞いて、赤土のぬかるんだ道を歩かせるなんて申し訳ないと恐縮してしまいました。それにしても中国って儒教の影響はどこに行ってしまったんでしょうかね。食事の際、何かのきっかけで中国と日本のタバコの話題になって、お父様にも差し上げようと呉さんに何本か手渡したら、それをポイッと投げて渡していたので、思わずコラッと叫んでしまいました。呉さんによればそれは別に普通のことだとのことですが、文化の違いはあれどそりゃないだろうと反論したら、清朝の時代にそのような儒教的な習慣はなくなったのだといわれて、そこでまたカンカンですよ。ちょっと待った、親に無礼するのを他人のせいにしてはいけないよ、っていうか女真族の習慣なのこれ?絶対違うよね?まあチャイナドレスは女真族の衣装らしいんだけどさ。

さて、話を戻して、我々が向かったのは呉さんのご実家の集落の入り口にある店で、なんでもそこの女主人は呉さんの同級生だとか。食材が並んでいて、そこで食べたいものを選ぶと料理してくれるというので、高野豆腐や肉を頼んでしばらく待つことにしました。このお店は村の複合娯楽施設を兼ねているらしく、ビリヤード台や卓球台があり、さらには昼間は裏手にあるプールで泳ぐこともできます。

みんな楽しそう

さて、料理の方ですが、西湖のほとりの高級なお店で食べたより何倍も美味しかった!ゼロは何倍してもゼロですが、やっぱり気取ったところよりもこんな感じのレイドバックしたところの方がずっと気分もいいです。実際、料理も高野豆腐しかり、イノシシ肉の炒め物しかり、カエルの姿そのまま焼きとか、とにかくなんでも美味しいのです。ビールもこの近所で作られているものを飲んだのですが、薄いので何杯でも飲める感じです。

ピースすんな!

このお店の女主人も途中から加わって、とても楽しい食事になりました。彼女の名前は「小燕」なので、ここはミス・リトルスワローのお店ということにしました。foursquareに登録してメイヤーにもなっているので、もし行く機会があったらリトルスワローさんによろしくお伝えください。ちょっとスケートの選手っぽい人なのですぐにわかると思います。陳さんは料理の好みが違うとかなんとか贅沢をいっていましたが、ぼくにはどれもみんな美味しいので感動しました。特に二日目に食べた、現地では「神の豆腐」と呼ばれている料理が気に入りました。なんかの草を練り込んだ豆腐みたいなやつです。

中国では「乾杯!」の音頭の後は飲み物を一気に飲み干すという習慣があるそうなので、うっかり乾杯してしまうとちょっと困ったことになります。が、さすがに燕、燕と揃ったので、スワローズに乾杯!はやっておかないといけないと思いました。あと、一緒に行った元同僚の名前が略して「ハギ」なのですが、「ヤギ」と「ハギ」はそれぞれ「now」と「then」にあたる言葉だそうで、まあようするに中国のロバート・プラントみたいなものですね。

楽しい食事も終わり、呉さんのご両親にも別れを告げ、今夜の宿に向かいました。そこはカラオケボックス兼ホテルで、なんでも陳さんの会社の人たちがいるらしく、普段はカラオケどころか人付き合いもあまりしない根暗なプログラマである我々も、これも日中友好だと付き合うことにしました。さあ日本の歌をうたえ、という期待が充満する中、マジでぜんぜん知らないというのはなんとも緊張感にあふれた場でしたが、呉さんがなんかすっごく地味な顔の女性二人組の歌を熱唱してからはあんまり期待されてない感じになってきて助かりました。面白かったのが、あちらのポップミュージックには、これは福建省の、これは四川省の、といった、各地方の心の演歌というのがあるそうで、ぼくには違いはぜんぜんわかりませんでしたが、それぞれがゆかりの地の演歌を熱唱する様は感動的ですらありました。それから、タッチパネルかと思いきやマウスでクリックする方式のカラオケの機械をいじっていると、少なからず中国以外の国の曲も見つかるのですが、どうもあまり馴染みの無い曲ばっかりだな、なんて思っていると、ふと気がついてしまいました。そうです、中国は検閲があるから、国内で流してはいけない曲がたくさんあるのです。つまり、ここで選べる外国の曲というのは、中国が国家的に認めた人畜無害な作品であり、ミニットメンの用語でいうところの「マーシュ」、商業主義的音楽、そう、資本主義にどっぷりな体制側公認の音楽なのです。そうでないものだけが、真に反抗的な曲か、マジで売れてない曲といえるのです。

やがて夜も更けて、そろそろ部屋で休もうということになり、カラオケボックスから移動しました。が、ドアを開けると、部屋全体はなかなか小綺麗で広くて悪くないのですが、空調のところから水がボトボト落ちていて、床に3つくらいバケツが並んでいるのは頂けません。呉さんも陳さんもさすがに怒ってフロントと何やら言い合っています。その隙に、我々日本人たちはさっそく部屋に備え付けのPCをいじってあちこちに試しにアクセスしてみました。

以前、とある極右のおっさんがやっていた、オンラインゲームに中国で雇ったバイトに現地からアクセスさせて、ゲーム内で収集したアイテムを他のユーザに現金で売って稼ぐ阿漕な商売の現場にお邪魔したことがあるのですが、そのときは確か名前解決で全然違うIPアドレスを返すDNSの詐称が行われていた記憶があります。でも、今は名前解決さえさせない方式に変わったみたいですね。

そうこうするうちに、結局別のホテルに行くことになり、そちらは水も漏れることもなく、くたびれ果てた我々はよくわからないうちにすっかり熟睡していたのでありました。

続く

次回予告:「また来た世界遺産」「解脱する」「マオの家へ」「マオいねーじゃん」

杭州印象 その2

【なんか空海?】

翌朝、杭州の外れに霊寺というのがあるというので案内してもらいました。どこの国でも宗教施設というのは面白いものです。しかもここは中国ですから、お坊さんたちはみんな少林寺みたいな格好をしています。案内してくれた元同僚に寺のあちこちでどこであのかっこいい服を買えるか聞いてもらいましたが、結局売り物ではないので譲ってはもらえませんでした。

なむー

なんでも、昔々、日本から空海がここに留学に来ていたそうで、何年か前に日中友好なんたら協会によって金ぴかの空海の像が建てられていました。関係があるかどうか知りませんが、境内のあちこちの屋台でおでんみたいな串が売られていて、どこも具は高野豆腐でした。高野豆腐好きにはたまりません。もし空海の時代に高野山に持ち帰られたものだったりしたら、ちょっとロマンティックな話ですね。そういえば、般若心経が境内にでっかく掲示されていましたが、中国の人にはあれは漢字ばっかりの変な呪文じゃなくてちゃんとした文章に見えるんだなあ、と感慨に耽りました。ちょっとだけ。

ちょっとかっこいい

王羲之の扇があったので購入。

霊寺の行き帰りは中国人の元同僚のお兄さんに送り迎えしてもらいました。ありがとうございました。杭州市内のきれいな住宅地にお住まいで、お休みのところをわざわざ車を出して頂いて本当に助かりました。VWはエアコンの効きがいいのですごく気持ちがよかったです。それに、霊寺に車で行くには、途中の検問所を通るためにあちらに知り合いがいるなどコネが必要で、そこら辺もクリアしてもらえました。

午後からはいよいよローカル線に乗って移動です。行き先は江山市とかいうところだそうな。どこだろ?

【ローカル線】

行列というのは、並んでいる人たちの間に何かしらの同意があってこそ形成されるものであって、それがないとドアに向かって一斉に襲いかかる素早いゾンビのような集団になってしまうでしょう。その一方で、ある程度の合意がある人間同士という関係は諍いを生むものでもあります。だって、そうでなければトムもジェリーもいつまでたっても追いかけっこを始めず、右翼も左翼も互いの頭を叩き合う理由が何もなくなってしまいますから。つまり、完全に同意の形成を放棄した他人同士の押し合いへし合いは、下手に関係を構築してしまうと喧嘩になってしまうから避けようという高度な合意の下に営まれる行為なのかもしれません。まあ、ただのでまかせですが。

杭州の駅もバスも、とにかく押し合いへし合い、生きるスキルを試されているような場所でした。機嫌の悪い運転手だと、降りますボタンを押した人がいても、車内の混雑で降りるのが遅れると平気で無視してドアを閉めてしまいます。じゃあ降りるバス停に近づいたらドアの方に移動すればいいじゃない、と王妃様なら思われるかもしれませんが、だいたい身動きできないので出来ません。そんなとき、日本人であればすいません、すいません、と片手をサムライソードのようにかざしながら通るのですが、ここ杭州では無言でプッシュ!プッシュ!プッシュ!と、ザ・キュアーのように押しまくります。その方が効率が悪い気がしますが、実はいろいろな言語を母語とする少数民族の集まりなので言葉が通じないとか、いろんな事情があるのでしょう。もちろん、これもでたらめな推測です。

ところが、不思議なことにローカル線の乗り込み口では、人々はちゃんと並んでいました。

杭州の駅から乗り込んだのは、温州とかの方に行く路線で、中国人の元同僚曰く、中国でも最も貧しい地域に行く列車だそうです。まあ、それで何が変わるわけでもないのでしょうが、遠くに行く路線なので、中にはすごい荷物の人もいます。土産物というより家具を運んでるんじゃないかと思うくらいのケースもあるのですが、疲れた顔の夫婦がえっちらおっちら運び込んでるのをみると、なんかこう、ドラマだなあと他人事らしく思ってしまったりします。もちろん、後ろに並んでいる人たちはいつまでたっても荷物が運び終わらない彼らに怒り狂って叫んでいます。北伐や長征も出だしはこんな感じだったのでしょう。それにしてもすごいパワーです。事前に指定席を購入しておいたので座席の心配はしていませんでしたが、それでも乗車率の高さにビビりました。次から次へと大荷物を抱えて乗り込んでくる人また人。ようやく席に辿り着くと、もちろん先客がいて、切符を見せると代わってもらえます。でもときどき、チケットがあるのに先に座っていた人と口論している光景も見られます。どう考えても切符がある人の勝ちだと思うのですが、そこをあえて挑戦するのが交渉というものなのでしょう。中国の外交貿易の強さの元はこんなところにあるのかもしれません。見習いたいです。でも、なんでもありというわけでもないようで、さすがに三輪車を座席の上の棚に置いていた人は係員のおばさんに怒られていました。

座席を確保できたと安心するのもつかの間、次から次へと現れる乗客は向かい合った座席の間にまで入り込んで、座っているのにこれっぽちも安心感がありません。足下に吐き出されるヒマワリの種を見つめながら、車窓を流れるチャイナ・ユニコムのアンテナを数える他に抵抗する手段のない我々でしたが、周囲の人々はみんなリラックスして、特に向かいの席のアベックは性的な行為を除けば全てのいちゃつきは実践するぞといわんばかりの勢いでじゃれ合っており、中国共産党が誇る一人っ子政策の行方を心配せずにはいられません。杭州市内でもそうでしたが、中国ではカップルはとても仲が良さそうにいちゃつきますね。ところで、このカップルの女性、どちらかというと彼氏に絡んで責めにまわる側のお姉さんなのですが、気のせいかさっきからこちらをちらちらと見ているようなのです。旅行先では地元の人になりきるのをモットーとしている身としては、さては見破られたかと落胆しつつ、いくらここ杭州あたりが呉越同舟の起源になった土地だといっても、どこの国でもいちゃつく二人の片方に目をつけられるとロクなことがないと相場は決まっているので、いささか困ってしまいました。するとその時です、手に持っていたトートバッグが何かの拍子に足下に落ちそうになり、お姉さんの足とぼくの足に挟まってしまったではありませんか。恋の始まりか国際的な殴り合いの合図か、どっちに転んでもこれは事件です。慌てて拾い上げようとすると、お姉さんがさっと手を伸ばしてバッグを拾い、こちらに手渡しながら「だいじょうぶですか?」とちょっと照れながら、それでも上手な日本語で話しかけてきました。そうです。彼女は大学で日本語を学んでいたので、先ほどからわれわれの会話を聞いていて、日本語で話しかけてみようかなと考えていたのです。この旅行中、日本語で話しかけられたのは二回ほど、どちらもわれわれの話し声を聞いて話しかけてきたのですが、いずれもとても上手だったので驚きました。

さて、そんな電車の旅もやがて終わり、目的地に到着したわれわれは、といいたいところですが、そういえば目的地がどこにあるのか知らなかったので、車内で地図を見ながら教えてもらいました。あれ?キミは毎月何回かここに帰ってるんだって言ってたよね?これGoogleの地図だけど、縮尺が間違ってるのかな。100km、200km、ん?あの、これって東京と名古屋より離れてませんか?260kmくらいありますよ?

中国における大陸的距離感とわれわれのような狭小住宅暮らしの日本人のそれとの違いは、かくのごとく大きいのです。杭州の街を案内されても、山に昇っても、この問題については真剣な対応を何度も迫られることになりました。ちょっとそこまで、を迂闊に字義通りに解釈すると大変なことになります。いや、そうじゃなかったら北伐とか長征とか、われわれだったら絶対に始めませんよね。秦の始皇帝とか、もうわけわかんないですよ。

足の踏み場もない車内でしたが、これも字義通り解釈してはいけないので、驚くべきことにこんな状態でも車両から車両へと物売りがやって来るのには驚きました。なんかザーサイとかのパックやよくわからない食べ物を売っています。それから、駅に止まるとホームではカップ麺がたくさん販売されています。でもお湯はどうするんだろうと思ったら、蓋を開けたカップ麺を手に人々が車両の間に行ったり来たりしています。どうやらそこにお湯が出る仕組みがあるらしいのですが、こんな混雑ですから、特に帰り道の人が横を通る際の心地の悪いテンションは困ったものです。孫にせがまれるのか、タッパーに麺を入れて何度も往復する老婆がいて、よろよろ進むその姿の哀れさに、すっかり元気がなくなってしまいました。

やがて、しゃべってみるととても感じのいい人だった日本語を話すお姉さんたちも降り(「さようなら」も上手だった)、また車内は別の人たちでごった返すようになりました。とにかく空間を占める人的資源には事欠かないお国柄です。杭州を出たばかりの頃よりだいぶ雰囲気がレイドバックしてきたような、やや気楽な感じがしたのは、ただの慣れでしょうか。よく見るといろんな顔の人がいて、中国は結構な多民族国家なんだなあ、などと思いました。元同僚によれば、言葉もかなり違うのでほとんど通じないこともあるとかで、まあ日本だって東北弁と沖縄の方言では全く別の言葉になるわけですが、これだけ広いんだから文字や書き言葉が共通なだけでも奇跡でしょう。いずれにせよ、ぼくにはどれも中国語にしか聞こえないわけですが。通路を挟んで隣に座っている、ちょっと瓜実顔のほっそりした若い美しい女性が床にペッと痰を吐いて靴で拡げるのを、まるでうっかり使用中のトイレを開けてしまったかのような気分で目撃してしまい落ち込んだ頃には、快晴だった空模様がすっかり変わって、時折かなり大粒の雨が降り出していました。

次回予告:「ちょっと迎えに来て」「リトルスワローの店」「マオんち行こうぜ」

杭州印象 その1

前職の同僚と、同じ職場にいて中国に帰ってしまった元同僚のところに遊びにいこうと、ちょっと中国に行ってきました。杭州といえば、いえば、いえば、いえば。誰も知りませんよね。ぼくも知りませんでした。とりあえず行ってみたら、町中に西湖という世界遺産に選ばれちゃった湖があり、白居易や王羲之、蘇東坡といった文人たちゆかりの庵とか橋とかがありました。ふむ。Wikipediaでみたら13世紀には中国最大の都市だったそうで、これは北から逃げてきた宋の都が置かれたことによるのでしょう。緯度は台湾と沖縄の中間くらいなので、雰囲気としては南国、世代的には映画でいうと「愛人 ラ・マン」みたいな感じです。

特に旅の予定などはなく、行って雰囲気を味わうくらいしか計画していなかったので、事前に特に調べることもなく、行き当たりばったりに飛行機に乗りました。一時間くらい前に空港に着けば余裕だろうと成田に向かいましたが、出国カウンターに着いたらもうギリギリで、職員の方は列の順番を飛ばして対応してくれました。最近の旅行はせっかちですね。

ぐるぐる

これに乗って行きました。エンジンの真ん中の変な目くらましみたいな模様は何でしょうか。

よく考えたら、今まで乗った中で一番小さい機体だったと思います。両翼がプルプル震えるみたいに動くのが健気でいいですね。そういえば事前に某自動車メーカーの方と飲んだときに、こういういかにもボルトが緩みそうな揺れ方をする乗り物の設計や整備の話を伺っていたので面白かったです。

出発しました。天気もよくて素晴らしいです。成田からだと本州の太平洋側の海岸に沿って西に進み、瀬戸内海の上空から北九州をかすめて飛ぶので自分の位置がわかりやすくていいですね。

やがて飛行機は海を越えて上海に近づきます。すると、眼下に広がる海に何やら異変が!

なんか海が真っ赤です。ここって黄河じゃないし、いったい何の色なの?

よくわからないまま、飛行機は積乱雲を避けて旋回し、やがて杭州国際空港に到着しました。

杭州に到着して、出迎えてくれた元同僚と一緒にバスに乗り込みます。彼は免許の取得中だとかで、まだ自家用車で迎えにくることは出来ないなんて話していましたが、後にそれが功を奏したことがわかります。

バスでの移動はちょっとした冒険でした。とにかく杭州はみんな運転が荒く、名古屋や京都の車がみんな教習所みたいに思えてしまいます。日本とは左右反対になっているのですが、赤信号でも行ける場合は右折ならゴー、というのがルールみたいで、タクシーはもとより、公共のバスが突っ込んで行く様には感動を覚えました。

中国の交通といえば、やっぱり自転車です。杭州の街のあちこちに公共自転車スタンドがあり、一時間以内に返却すれば無料で乗り回すことができます(返すのはどのスタンドでも構いません)。パッと見たところでは小ぎれいな自転車でしたが、ときどき古かったり空気が甘かったりするのもあります。

中国の都市といえば、往来を大量の自転車が埋め尽くすような街を想像していましたが、今の中国を代表する乗り物は電気二輪車でした。これは、スクーターみたいな外観の、家庭の電源(220か210Vだったかな)で充電する乗り物で、スピードはだいたい30kmくらいは出ます。一番の特徴は、走っていても音が全くしないことです。後ろから近づいて来ても全然気付きません。そんなのが車道はもちろん、歩道もバンバン通ります。さすがにデパートの一階で走っているのを見たときは驚きましたが、適用される交通ルールは自転車と同じなので、これは慣れないとかなり脅威になります。無灯火の人も多いので夜になるとなおさら恐ろしいです。一応、せめてライトだけは点灯するよう法律が改正されるという話はあったそうですが、既に8,000万人も利用しているので適用は難しく、なかなか決まらないそうです。

法律といえば、日本の排ガス規制ってすばらしいですね。目白通りや山手通りを原チャリで出勤したりしているのに、杭州の排ガスのひどさには驚きました。本当に、あまりのことにむせて咳き込んだりすることもあったくらいです。

あちこちうろうろしましたが、街の人に話しかけても英語は全然通じないみたいでした。日本と同じくらいですかね。「Good Luck Garden」というところに着くと雨が降ってきて、急いで中に入ろうとしたら閉園になりました。

雨宿りにスターバックスに入ったら、価格は日本とほとんど同じでした。雨のおかげで少し大気汚染が紛らわされてよかったかもしれません。

最初の食事は西湖のほとりにある有名なレストランでした。何でも相当古い歴史のあるところらしく、周恩来が国賓をもてなす写真まであるような店でした。そんなに高級なものを食べたわけでもないので評価はできませんが、僕にはもっと普通の、そこら辺で売っているものの方がおいしかったです。オレンジジュースはペットボトルに入った市販品でしたが、これはよくあることみたいです。

西湖は世界遺産に登録されているだけあってなかなか幽玄な感じの眺めのいい湖です。周囲は石造りの歩道で囲まれていて、夜遅くまで散歩やベンチでいちゃいちゃする人たちがたくさんいました。でも手すりがないので、あんまりはしゃいでいるとすぐに落ちてしまいそうです。実際、現地で働く元同僚によれば水辺で大勢ではしゃいでいるうちに落ちてしまった人がいて、確か大学生だったそうですが、湖の底は泥なので足を取られてすぐに沈んでしまうため、結局その人は助からなかったとか。他の人たちは何をしていたんですかね。

そうこうするうちに、さっそく治安部隊に捕まって拘禁されてしまいました。というのは嘘で、これはホテルの窓の写真です。初日は郊外のホテルに泊まりました。中国では外国人が宿泊できるホテルが限られているようです。というと語弊があるのですが、外国人が宿泊する場合はパスポートを確認して当局に届け出る必要があるらしく、届け出が電子申請できる設備があるホテルならいいのですが、普通の小さな宿にはそんなものはありませんから、わざわざ役所に届け出る手間を考えると外国人の宿泊は断らざるを得ない事情があるみたいです。当然ながらその手の設備があるホテルは宿代も高いわけですが、今回は地元の人たちに代わりに予約してもらったお陰で、安く泊まることができました。

豚のように汗にまみれ息も絶え絶えな日本人と、うれしそうな中国人

翌日は元同僚の実家の方に遊びに行くことになりました。電車で移動だそうで、楽しみです。話によれば、彼は毎週、少なくとも月に何度かは帰っているそうなので、そんなに遠くもないのでしょう。

続く

次回予告:「これが本場中国のローカル線だ!」「ちょ、東京大阪間より遠いんですけど」「ライチはかあさんの味」

turntable.fm

turntable.fmというのは、ルームを作成し、手持ちの楽曲やMediaNetの楽曲から選んでインターネット経由でDJができるサービスだ。DJといっても、古き良き時代の、レコードという単一ないし複数の楽曲が収録された塩化ビニール製の円盤状のメディアを専用のプレーヤーに乗せて回転させることでスピーカーから音楽を流す担当者という意味で、スクラッチノイズを流しながらドレッドヘアでMen!とかYo!とかいってる面妖な人たちのことではない。

基本的にはとても面白いのだけれど、現実世界と同じで誰かが来てくれないと何もできないので、往々にしてこんなことになってしまう。

ある信条の紹介「国に扶養され自尊心と活力を失った人間にはなりたくない」

ある信条の紹介「国に扶養され自尊心と活力を失った人間にはなりたくない」』というリバータリアン趣味全開の人生訓が出回っていたので、あやかりたいと自分の信条と比べてみた。

私は平凡な人間にはなりたくない。
→アスペルガー症候群とかじゃない、人並みで平凡な人間に、せめてなってみたいものです。

自らの権利として限りなく非凡でありたい。
→アスペだアスペだと後ろ指さされない程度に平凡である権利くらいほしいものです。

私が求めるのは保証ではなくチャンスなのだ。
→求めるのは、寛容と理解です。すいません。

国に扶養され自尊心と活力を失った人間にはなりたくない。
→出来ることなら、一生遊んで暮らしたいです。

私はギリギリまで計算しつくしたリスクに挑戦したい。
→早すぎる最適化は災いのもとです。

つねにロマンを追いかけ、この手で実現したい。
→「ロマン主義」で検索してください。

失敗し、成功し…七転八起こそ、私の望むところだ。
→転ぶ方は省略して起きる方だけ望みます。

意味のない仕事から暮らしの糧を得るのはお断りだ。
→最低限の生活を保証することから社会が始まるような気がします。

ぬくぬくと保証された生活よりも、チャレンジに富むいきいきとした人生を選びたい。
→ぬくぬくと保証された生活から、何かに挑戦してみたいです。

ユートピアの静寂よりも、スリルに満ちた行動のほうがいい。
→スリルは割りとお得な価格で手に入るので、普段は静かに暮らしたいです。

私は自由と引き換えに恩恵を手に入れたいとは思わない。
→不要な自由(老婆のお弁当を盗むとか)をオークションで売って暮らせないでしょうか。

人間の尊厳を失ってまでも施しを受けようとは思わない。
→本当に困っているときはお願いします。

どんな権力者が現れようとも、決して委縮せず、どんな脅威に対しても決して屈服しない。
→相手がどんな人か、ちゃんと判断して適切な態度で応対できる人になりたいです。

まっすぐ前を向き、背筋を伸ばし、誇りを持ち、恐れず、自ら考え、創造し、その利益を享受しよう。
→たまには寄付とかもしたらいいよ。

勇気を持ってビジネスの世界に敢然と立ち向かおう。
→愛と勇気だけが友達だと、夏休みとか寂しいよ。

昔懐かしい「100の質問」

こんなのやる人ってよっぽど暇人か変人だよね。

Q.1 ハンドルネームをどうぞ

ハンドルネームというわけでもないですが、以前「八木の野郎」と書かれたのが面白かったのでずっとそれを使っています。

Q.2 年齢(○十代)、性別、 誕生月を教えて下さい。

1973年3月生まれ、38歳。健康に気をつける歳です。

Q.3 公開できるHP・ブログをお持ちでしたらURLを。

http://selfkleptomaniac.org/

Q.4 どんな赤ちゃん・子どもでしたか?

覚えていないこともたくさんあります。だいたい赤ん坊の頃のことなんか覚えているはずもありません。母が生きていたら聞いてみたいのですが、残念ながら他界してしまいました。父には話を聞くのがちょっと難しいのであんまりこの手の話を聞いたことがありません。先日、かみさんが叔母からなんだか変な逸話をいくつか仕入れてきたようですが、自分ではそんなに特別なところなどない、平凡というかちょっと鈍い子供だったと思います。

でも、間抜けな話ならいくつかあります。例えば、夕食後に食器を片付けていたら母に皿を渡されて、ついでに「お湯をかけておいて」と指示されて台所で皿にお湯をかけていたら、それはお湯を沸かすという意味だ、と家族みんなに笑われたことがあります。それから、検尿があったときにスポイト状の何かと紙を渡されて、どうやらその紙を折ってコップにしてその中に排尿してスポイトで吸い取るのが正しいやり方だったようですが、説明されなかったので意味が理解できずスポイトでどうやったらいいのかわからず大変苦労して結局出来なかったことがあります。もっと小さい頃だと、トイレに行くのには必ず母に声をかけて、返事があるまでトイレに入ってはいけないと思い込んでいて、ある日ちょうど母が誰かと話し込んでいて返事が遅れて大変な苦労をしました(間に合いましたが)。そのとき、返事がなくても入っていいと教わったので、今日に至るまで誰の了解も取ったことがありません。中学生の頃、バレーボールをしていたら、他の学校の生徒に「どうして思い切り(スパイクを)打たないの?」と聞かれて、いわれてみればその方がいいなと思ってそれまで正しいフォームやら何やらにこだわっていたのを捨ててやってみたらうまくいったのを覚えています。運動全般について、そういえば思い切りやるということがうまく理解できずに高校生くらいまで特に目立ったこともなかった気がします。高校生になって初めて思い切りやるということがわかったので、それ以降は問題ありませんでした。って話をしても、特にこの運動についての話は、あんまり誰にも意味を理解してもらえないのですが。あと、テレビばっかり見るなといわれたのでテレビをほとんど観ない(ひとりのときは決して観ないか、観ても誰かが来たらすぐに消す)子供でした。あと、急に歌い出したりすることも多く、声が大きいのでうるさかったそうです。ある日、中学生の頃だと思うのですが、父が部屋に来て、「お前は音楽の成績が悪い。ここで歌ってみろ」と無茶ぶりするので歌ったら、ちょっとでも音が外れると殴られました。それ以来、人前では歌いません。いま考えたら彼には絶対音感なんかないんだから、外れたといってもひょっとしたらそっちが合っていた可能性もあるので教育としてはこういうのはよくないと思います。だから自分の子供には決して歌が下手だとかいわないようにしようと決めています。可愛いのでそもそも下手とかなんだとか思うこともないですけどね。

あんまり長く書いてるとまた話が脱線して統合失調症だとかいわれるかもしれないので(そうそう、高校の卒業アルバムかなんかにもそんなことが書かれていたと思います)、ここらへんにしといたるわ。

Q.5 無口な方? よくしゃべる方?

よくしゃべる方だと思います。あ、でもあんまりしゃべらないときもあります。

Q.6 涙もろいほう?あまり泣けないタイプ?

あまり泣けないです。かみさんはよくテレビをみて泣いていますが、なんか感動の安売りっぽくて理解できません。あ、でも音楽でグッとくることはありますね。

Q.7 小説と図鑑、どっちが好き?

どっちも好きですが、図鑑はそもそも小説より種類も数も少ないので、読んだのは小説の方が当然多いです。本が好きで図書館に通うのも好きです。

Q.8 「サリーとアン課題」はクリアできた?

なんですかそれ?と思って調べたらこれでした。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/test.htm

…失敗しました。

Q.9 学校の頃の、得意な教科、苦手な教科は?

国語が得意でしたが、漢字はぜんぜん書けませんでした(読めます)。英語が得意でしたが、スペルを覚えるのは嫌いでした。数学はいろんな人から苦手だ苦手だと言われていましたが嫌いではないです。歴史は得意でした。物理や化学はほとんどわかっていません。音楽や家庭科、美術が苦手でしたが、中学校のとき一度だけすごく上手に絵を描くことが出来た記憶があります。卒業しても学校に残す作品というのを扱っている学級委員だか美術委員だかの連中にちょっかいを出していたら自分のを見つけて驚いたのですが、美術の教員に自慢したら嘘つけと言われたのでよく覚えています。その教員は後に近くの別の中学校で校長になったと聞いています。

Q.10 子どもの頃理解できなくて困ったルールや、大人になってから知ってびっくりした世の中のルールは?

挨拶とか、初対面の人への態度。自分では礼儀正しくかつフランクに接して親しみを現しているつもりが、無礼だといわれたりして困ります。

Q.11 どんな分野の仕事をしていますか? アスペの人に向いている仕事(職種)って、何だと思う?

プログラミングの仕事をしています。他の人がどうかはわかりませんが、よく向いている職業だといわれます。実際、確かにプログラミング自体はとても楽しく時間を忘れて没頭できます。でも仕事である以上は他のいろんなことをせざるを得ないので、向いている職種であってもそれに付随するいろんなことでうまく能力を発揮できない人もいるんじゃないかと思います。だから、みんなにお勧めというわけではありません。例えば、プログラムの締め切りを守ることはできても出社時間が守れなかったりすると、会社によってはそれだけで評価されてしまいます。職種だけで判断するのは危険かもしれません。

Q.12 血縁者の中に、アスペっぽい人はいますか?

父もそうなんじゃないかと思いましたが、かみさんは違うといっています。身内には変わり者が多いと思います。

Q.13 最初にアスペルガーかもしれないと気付いたのは、どんなきっかけ?何歳頃?その時の気持ちは?

今年になってかみさんに言われて、その理由を指摘される内に、そうじゃないかと自分でも思うようになりました。

Q.14 ASの診断は下りましたか?その時の気持ちは?(下りていない人は、もし下りたらどう感じると思いますか?)

病院には行っていません。診断が下ったところで何かが変わるわけでもないと思っています。もし診断されたとしたら、とにかく今まで自分は普通の、といって悪ければ常識的な人間だと思っていたので、過去には他人がおかしいと思っていたことも、ひょっとしたらあちらの方が多数派であり正しくて、こちらの見方がおかしいだけだったりしたケースはたくさんあって、とにかく他人にたくさん迷惑をかけてきたんじゃないかと申し訳なく思います。それに、ものの見方ひとつをとっても、お前の方がおかしい(AS特有の見方、というものがあるとすればそれ)といわれたら言い返せなくて困ってしまいます。

Q.15 WAIS-R検査を受けましたか?IQ値や言語性と動作性の有意差は、どうでしたか?

なんのことだかさっぱりわからないのですが、IQは高い数値が出た記憶があります。確か120を切ることはなかったと思います。その他はわかりません。

Q.16 併発・二次障害がありますか? その対処は?(処方箋・カウンセリングなど)

これもわかりません。特に対処もしていません。

Q.17 精神科へ通院している人のみに質問です。二次障害の診断名は何ですか?

通院していません。

Q.18 自閉症スペクトラム指数(AQ)での自己診断の点数は?

43点。しきい値をこえているそうです。

Q.19 タイプでいうと、積極奇異型、孤立型、受動型、どれっぽい?

かみさんに聞いたら積極奇異型だそうです。

Q.20 どんな「こだわり」がありますか? 「勝ちたいこだわり」ってある?

特にないと思います。ただ、例えばテレビでお笑い番組を観ていられないとか、物まねを観ていられないとか、道ばたで演奏している人たちの音に耐えられないとか、いろんな制約はあります。

Q.21 視覚優位、聴覚優位?

よくわかりません。

Q.22 常同運動、ロッキングはしますか?

貧乏揺すりくらいです。

Q.23 記憶力はいい? 赤ちゃんの頃のこと今でも覚えてますか?どんなこと?

覚えていないことは全然覚えていませんが、覚えていることははっきり覚えています。あと、野球に関する記憶なら結構いい方だと思います。

Q.24 関節はユルい?固い?

固いです。正座ができません。

Q.25 コタツに入って、足が見えなくなると、感覚がなくなる?

これは足が自分の体にくっついている気がしなくなる、ということでしょうか。だったら、そういうのはないです。

Q.26 やけに暑がりだったり、やけに寒がりだったりしませんか?

暑がりで寒がりだといわれます。

Q.27 感覚過敏はありますか?(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)

うーん、そんなに極端ではないと思います。

Q.28 好きな食べ物、苦手な食べ物は?(コーヒー、チョコ、ナッツ等は?)

生のトマト(加熱したのやケチャップ、トマトベースのソースなどなどは大丈夫)、赤飯。いずれも子供の頃に食べ過ぎて戻して以来食べられません。

Q.29 苦手な音は?

テレビの物まね芸人。電話の呼び出し音。バスキングの演奏。

Q.30 電話の音や、電話をかけるのは苦手?

苦手です。

Q.31 苦手な服は?(タートルネック、ピタッとした下着は?)

喉に何かが触れていると考えるだけで(これを書いていても)むずむずして耐えられません。指でさされるだけでもダメです。

Q.32 聴覚過敏と視覚過敏、どちらが強い?

たぶん聴覚。

Q.33 反対に、鈍感すぎて困ったことはない?

迷惑と感じているのは、自分以外の人たちだと思います。自分ではあんまり困りません。

Q.34 恐怖症はありますか?何恐怖症?

喉を触られること。指を指されるだけでもダメです。あと垂直または水平な隙間から何か出てくる気がして、そこを通る際にはついつい奥歯を食いしばる癖があります。

Q.35 右と左は混乱しませんか?

厳密には右と左ではありませんが、通りを歩いていて、道沿いの店舗に入り、また出て先ほどと同じ方向に歩こうとして逆に行ってしまうことがよくあります。単純に道を間違えることも多いです。

Q.36 人の顔を覚えられない?

誰だったのか覚えていない、というのはよくあります。

Q.37 どんな人が苦手? 苦手な男性のタイプ、女性のタイプは?

俺様風の人、軽妙な会話をする人、性風俗に行った話ばかりする人、物まねをする人、道ばたで演奏する人、カラオケをする人、容姿にすごくこだわる人、日の丸な人、尾崎豊が好きな人、自分探しの旅とかしちゃってる人、歌舞伎みたいな顔で歌ってる人、都々逸みたいなラップしてる人、ヤンキー、夜中のファミレスでモンハンしてる人、8世紀に西安をパクッて作られた世界史的には新しい街に住んでるくせにそこ以外に住んでる人を「地方の人」とかいっちゃってる人はローマとかどうすんだよ。

Q.38 じゃがいもとさつまいも、豚肉と鶏肉、芸能人のあの人とこの人など、長い間区別がつかなかったものはありますか?

亀田兄弟とEXILE。

Q.39 声が大きすぎたり小さすぎたりして困ったことはありますか?

子供の頃は親が困ったそうです。あと、ガンで亡くなった母はいつも子供のことを臭い臭いといっていたので、他人に自分の息がかかると思うと恐ろしくてあんまり大きな声で話をすることができません。

Q.40 パニックになるのはどんな時? その時、どう対応する?

集中しているときに声をかけられると一瞬頭が真っ白になりますが、どうしようもありません。ただ、軽いものしか起きないらしく、かみさんいわく目が泳いでしばらくすると戻ってくるそうです。

Q.41 「予定変更パニック」って、ある?

ない、と思います。あるのかもしれませんが、予定を立てないことで対抗しています。

Q.42 フラッシュバックはありますか? つらい?

独りで運転しているといろんなことを思い出してしまいますが、小さな声で絶叫して対処します。

Q.43 自分は、ポジティブ?ネガティブ?

そんなの時と場合によると思います。

Q.44 理論派か?情緒派か?

これも。

Q.45 四角四面の物事を額面通りに考えるタイプ?

そんなことないと思いますが、そういうこともあります。というかそれで失敗することがけっこうあります。子供の頃は多かったみたいです。空手を習っていると他人に手をあげてはいけないといわれて、金属バットで殴られても我慢していたら相手の方が泣いて謝ったので、悪いことばかりでもありません。

Q.46 ファンタジーは好き?

そんなの作品によります。指輪物語は好きです。聖書なんかはすごく面白いファンタジー小説だと思います。

Q.47 あなた独自の計算方法がある?

時間の計算とかをよく間違えるので、きっと違う方法でやってしまっているんだと思います。

Q.48 量の感覚がつかみにくい?たとえば?

特にないと思います。というか意識したことがありませんでした。あ、でもすぐに終わるかどうかとか、定量的な基準で作業を見積もると間違えることが多いです。

Q.49 時間は、守れるほう?遅れるほう?

まったく守れません。前日やもっと早くから今度こそと思っていても、なぜか間に合わないことがあります。間に合わないことが心配で眠れなくなったり、頭が真っ白になって準備に無駄な時間をかけてしまったり、とにかくいろんな理由で間に合わないことがあります。安全側に倒せば自分さえ我慢すれば対処できるので、待ち合わせると早く到着しすぎることもあります。仕事の締め切りは、だから相当前から意識してやる必要があります。

Q.50 正義感が強いほう?

どちらかといえば強いんじゃないかと思います。社会正義というか、貧困だとか差別とかには強い憤りを感じたりします。

Q.51 割り込みをする人や「ゴミのポイ捨て」を見たら、どうする?

不幸な育ちをしたんだな、とか、きっと口に出せないくらい悲しい理由でもあるんだろうとか思いますが、子供であればコラと叱りますけど、大人であれば矯正不能だと放っておきます。せいぜい原因不明の不治の病にならないように祈ってな、と思う程度です。

Q.52 定型発達者と「これは違う!」という異文化(あなたの考えや趣味)について教えて下さい。

そんなに違うことはないと思うのですが、あまり気の合わない文化には近づかないようにしているのでうまくいえません。道ばたで演奏している人とか、お笑いとか、物まね芸とかは理解できません。

Q.53 あなたの趣味は?

野球について調べること。

Q.54 あなたが嫌悪する趣味はなんでしょう?

萌え系アニメ。

Q.55 あなたのコレクションはなんですか?

整理して集めているものはありません。

Q.56 「これだけは誰にも負けない」というマニアックな知識を一発。

どうでもいい話をひとつ。シベリア北部にカルマクルイという街があって、略式の世界地図なら最北端はだいたいここと決まっているのですが、カルマを貯めまくっているみたいな名前に興味を持って調べたらソ連時代に大規模な核実験が何度も行われたひどいところらしいです。きっと放射線を浴びてミュータント化したエビがゴジラになってそのうち人を襲うと思います。その南東にはその名もオビ湾というのがありますが、ジェダイ・マスターは住んでいません。

Q.57 「オタク」? 何の?

音楽と野球、プログラミング。本当は女のことならまかしておけとか言ってみたいです。

Q.58 どんな本が好きですか? お勧めのAS関係の書籍は?

AS関連の書籍は読んだことがありません。バーナード・ショーの本には「自分がしてほしいと思うことを他人にしちゃいけない、趣味は違うから」というのがあるので、自分の好きな本を勧めるのもあまり褒められたことではないのかもしれません。それを無視して押し付けるのであれば別ですが。プログラミング言語の本なんかは、最初の方に威勢のいいことを並べてくれるので少し幸せになれるのが好きです。普通にポール・オースターの小説とかも読みますし、ゲオルグ・トラークルをずっと眺めるとか、数学読本やアルゴリズムの解説を読むのも好きです。

Q.59 どんな音楽が好きですか?

割と幅広いと思います。エリック・サティからエリック・ドルフィーまで、ハーフ・ジャパニーズからハーブ・アルバートまで、戸川純からAC/DCまで。

Q.60 音楽の一曲リピートにハマったことは?

あると思います。

Q.61 見ていて飽きないものは?

子供。かみさんはときどき無表情だったり怒った顔だったりするのでそういうときは嫌です。

Q.62 地図、辞書、電話帳、色見本帳、時刻表。どれが一番ハマる?

辞書か地図。

Q.63 オススメの観光スポットやレジャー施設は?(できれば理由も)

野球場。少年野球からMLBまで、とにかく野球をやっているところ。理由は、少なくとも野球が観られるよ。

Q.64 アスペの人にとって、住みやすい都道府県はどこだと思う?

そんなの考えたこともありません。思いつきもしません。

Q.65 アスペの人にとって、住みやすいと思う国はどこだと思う?

そんなの考えたこともなければ思いつきもしません。だいたい住みやすいの意味がわかりません。ただ、周囲の人にはアメリカ人だと思えば付き合っていけると言われることがあります。

Q.66 どんな家や部屋に住みたいですか?

ローンの無い家。静かで余計な(ディズニー様式みたいな)飾りとかがない家。大きな箱があってそこになんでも放り込んでおけば片付けたことになる部屋。

Q.67 できれば在宅で仕事をしたい?

しています。

Q.68 カバンの中身を教えてください。常に持ち歩いている必需品って、ある?(消臭スプレー、サングラス、耳栓・携帯音楽プレーヤー、タイマー、等は?)

置き忘れてしまうことが多いので、カバンは常にひとつしか持ち歩きません。中身は特に変わったものは入っていませんが、本を持っていることが多いです。最近はiPadで電子書籍になりつつありますが。

Q.69 服装について、人から何か言われたことは?

電車で見かけた母に他人のふりをされたことがあります。最近は地味な格好が多いです。だいたい、身長があり過ぎて着るものはサイズで決まることもあって、ファッションが嫌いなんじゃなくてファッションがこっちのことを嫌ってるんだと理解しています。黒い服が多いです。

Q.70 お風呂には週に何回?

だいたい毎日。

Q.71 色や音付きの夢を見る?

見ます。学校に行って、そこで何をしたらいいのか、どこに行けばいいのかわからないという夢を繰り返して見ます。

Q.72 なかなかやめられない「儀式」って、ある?

乗り物で移動中、電柱や看板、道路の継ぎ目、とにかくいろんなものの真横を通過する瞬間に軽く歯を食いしばるのがやめられません。基準は自分でもよくわからないのですが、とにかく何かいろんなものを通過した瞬間はそうしていないと落ち着かない気がします。シャワーを浴びるとき、ふと思いついたピッチャーの投げる球種をひとつずつ声に出して確認する癖があります。自転車で走行中、いかに猫が可愛いかを口に出して言わないと気が済まないことがあります。小さい声で言わないと変質者みたいなのでここは注意が必要です。

Q.73 実年齢より若く見られる?

威厳がないから。

Q.74 対人コミュニケーションで、工夫していることは何ですか?

いくつかのパターンを教わったので、それを守るようにしています。

Q.75 定型発達者と関わる時はどうなる?

あちらが迷惑してると思います。

Q.76 リアルでAS当事者と遭遇したことはある? その時どうする?

そんなの場合によるに決まってるじゃないですか。例えばお好み焼き屋の店員が自分でそういう人が客の場合、まず席に案内して、水だのおしぼりだのを渡してメニューを渡します。呼ばれたら伝票を持って注文を聞き、厨房に伝えてしばらく待ちます。用意ができたら配膳します。

ただ、身内だとどうしようもないので諦めるしかないですね。

Q.77 血液型でB型と間違えられることがある?

血液型なんかで性格を語る人間のいうことなんか真に受けていられないので気にしませんが、あります。

Q.78 あなたのリラックス法は?

眠る、本を読む。でも本当にリラックスしている気がしません。

Q.79 最近失敗したことは、何ですか?

人生が大きな失敗の一部だとしたら?

Q.80 日常生活の楽しみは?(小さな事柄でも)

子供らの成長。

Q.81 「あー自分ってASだなぁ」と思うのはどんな時?

そう他人に言われるとき。

Q.82 男性、女性、どっちに生まれたかった?

両方。

Q.83 男性脳?女性脳?

これまでで最も愚かな質問だと思います。

Q.84 恋愛についてどう思う?

どうって、他人の恋愛なんかに興味はありません。

Q.85 どちらかというと、異性に興味がなかった?

そんなことないです。

Q.86 異性と話せるようになったのはいつ頃?

最初に話したのは母親が相手だったと思いますよ。

Q.87 女っぽい女性や男らしい男性が好み?中性的な人が好み?

そんなことで判断するのは理解できません。

Q.88 20代以上の方、思春期はどうでした?

知らないことでいっぱいでした。あと、鈍感すぎてよくわからないまま過ぎていった気がします。

Q.89 さみしくなるのはどんな時?

誰にも相手にされないのに、されなくて当然な気がするとき。

Q.90 親に言われて辛かった言葉は?

「もっと感情を表に出しなさい」

Q.91 親に言われて嬉しかった言葉、支えになった言葉は?

「その人が威張っている相手をみれば、その人が自分の地位をどう考えているかがわかる」

Q.92 理解者は周囲に居ますか? 悩みは、誰に聞いてもらってる?

かみさんにいろいろ聞いています。かみさんは親戚にいろいろ聞いています。

Q.93 今の悩みは?

本当にアスペルガー症候群だったら、遺伝しちゃうのかな。

Q.94 日本の社会福祉に一言。(法律、教育、行政など)

ベーシックインカムには賛成です。

Q.95 アスペルガーな人に一言。

やあ、きみたちは病気じゃないよ、ビョーキだよ。

Q.96 定型発達の人に一言。

一生そんな凡人のままでいたいのですか?

Q.97 あなたの言いたいことを一言。

他人がバカに見えるのは、他人のことが理解できないからですよ。

Q.98 お疲れ様でした。全問やるのに何分かかりましたか?

月曜の夜と火曜の朝。

Q.99 順番どおりに答えましたか?

はい。

Q.100 今の気分は?

ごめんなさい。