『君のためなら千回でも』
楽天レンタルでDVDを借りてみた。でも一か月無料のお試し期間を見込んで申し込んでも届くまでに一か月近くかかってしまって意味がなかった。困ったものだ。品揃えもまだまだ。
借りたのはこれ。
原作が非常によかったので期待半分、上下巻組の長い作品を1時間半程度の尺にどうやって押し込むのかは、本人も作家であるという脚本のデヴィッド・ベニオフの腕の見せ所だったのだが、ううむ、ニューヨーク育ちの脚本家にはいまいちどう扱っていいかわからない作品だったようだ。というと意地が悪い気もするが、それもひとえに原作が面白かったせいであり、思い入れのある箇所がどう料理されているのか楽しみにしていた分だけ文句が出てしまうのも仕方がないところ。ドリームワークス作品とは知らなかったが、良くも悪くもそのせいでかっちりしたつくりになっている。やっぱり家族向けにあんまりひどいシーンは出さない方針だったのだろう。
割と淡々と省略気味のストーリーが原作に忠実に続くので、ちょっとした感動作にはちゃんとなっている。でもタリバンに銃撃されるシーンなどは、アクションシーンの少ない映画なのでちょっと原作を変えて入れてみましたとでもいいたげな感じで、一気に現実感が薄れてしまい残念だった。
とはいえ、ハッサン役の子供(アフマド・ハーン・マフムードザダ)が非常にかわいらしく、彼を見ているだけで泣ける。あと、原書を読んでいないので、ああここはこういうセリフだったのか、という楽しみはある。
原作はとにかくよかったのでおすすめだ。繰り返します。原作は非常によかったです。ここ試験に出ます。拷問されるか読むか選べといわれたら、遠い故郷のこととかいろいろ考えてから覚悟を決めて、読む方を選びましょう。
お前みたいな甘やかされた中流育ちにこの厳しい現実に生きる人たちに共感なんか出来るかよ、という意見もあるかもしれないが、出来るに決まっている。俺たちは虫けらだろうが外宇宙人だろうが、理解可能と思えたものになら何でも共感する。それが不満なら、共感の意味についてよーく考えてから、素振り100回してこればいいと思う。
著者は移民二世の内科医とのこと。やっぱり移民二世は親の期待を背負って猛勉強して医者か弁護士になる、というのは単なるステレオタイプじゃなくて現実みたいだ。作品の中では主人公がすんなり作家になってしまうあたり、著者のちょっとした主張が垣間見える。
ゾンビーノ
なんて素晴らしい映画なんだろう。
序盤のストーリーはこんな感じ。宇宙からの隕石かなにかの影響で、人が死んだらゾンビになってしまう社会がやってくる。ゾンビと人間の熾烈な戦争は、最終的には人工的にゾンビを無害化する装置を開発した人間側が勝利し、世界に再び平和が訪れる。やがて、郊外に住む中流の白人社会には家庭労働を無害化したゾンビに担わせるのが流行する。
死体がゾンビになるという、古典的かつゾンビ映画には絶対に必要な、それでいて絶対にあり得ないこの設定については、あえて50年代SFの陳腐な映像を使い回すことで曖昧にさらっと流されている。だが、ストーリーのメインはここにはないのだから、それで全然問題はない。やがて、学校のシーンになり、本編が始まると、これが50年代のアメリカ郊外を舞台にした映画だということがわかる。人々は学校でゾンビとの戦いの歴史や、ゾンビの恐怖に備えておくことの重要性をプロパガンダ映画により教育されている。あげくの果てには小学校の学外授業でゾンビに見立てた標的をライフルで撃つ訓練まで行われている。
最初に気づかされるのは、ここでの人間とゾンビの関係は、自由のない社会でひたすら恐怖政治の下で暮らしている共産主義社会の人々をゾンビのようなものと見なしていた時代(それが終わったとは言い切れないと思うが、まあそれは別として)のパロディになっていることだ。
主人公の少年ティミーが家に帰ると、とうとううちでもゾンビを買ったとお母さんに告げられる。近所にゾンビのいない家はないし、みっともないというのが主な理由なのだが、大量消費社会の病の象徴としてショッピングモールを舞台としたオリジナルのゾンビへのオマージュとして、この大量消費社会的無駄遣いは至極正当なゾンビ映画の視点といえる。
ティミーはいじめられっこで友達もいない。そんな彼が、ふとしたことからゾンビと心を通わせていくようになる。そして、物語は動き始める。ネタバレにならないように詳細は省くが、ここでグッときたのは、郊外生活者の家事労働に従事するゾンビに、どこか見覚えがあることだ。ゾンビは人間と同じような仕事をしている。でも、家族の一員でもなければ、給料をもらっている労働者でもない。ティミーはゾンビの無害化を一手に請け負う巨大企業から学校に派遣されたセキュリティ担当に質問する。「ゾンビは生きてるの?」この質問は、別の意味に置き換えることができる。つまり、「ゾンビは人間なの?」。そう、われわれが郊外の無害化されたゾンビに見覚えがあるのは、ゾンビたちがやっていることは奴隷労働であり、その扱われ方も奴隷そのものだからだ。人間とゾンビの断絶は、人間と奴隷の断絶のパロディとなっている。
そこで、事件が起きる。その事件も、奴隷の身に降り掛かる無理解や冷酷さが引き起こした悲劇と捉えればなお一層ストーリーに引き込まれていくだろう。もちろん、人が死ねばゾンビになるという社会の大きな矛盾が、悲劇的であれ喜劇的であれ随所にちりばめられ、それでいて主人公の少年の心の成長と、いつしかそれに歩調を合わせて勇気ある人々の心の中にも大きな前進が成し遂げられるのも感動的だ。ビルドゥングロマン、50年代的価値観の崩壊といったテーマもきっちり描き込まれている。
一家に一人のゾンビの時代という、思いつきの冗談みたいな話が、ここまで感動できる物語になっているのには驚かされる。必見。
迷子の警察音楽隊、ファウンテン
「迷子の警察音楽隊」鑑賞。記録までに。
甘やかされて育った中産階級としては、もっと悪趣味で露骨な文化間の衝突や葛藤、ブラックユーモアを期待するところだが、本作は上品で心温まるロードムービーになっている。いい映画、なんだろうけど。
「ファウンテン」鑑賞。記録まで。
あー、あー、あー、俺は途中で寝なかった。マヤ文明の扱いは差別的といっていいくらいいい加減で、あとみんなでスペイン人のコスプレしてファンタジー乙女小説になりきって空想するお話。レイチェル・ワイズが面白い顔になっていたのが救いか。
かみさんの趣味に合わせて選んだのだが、どっちも当たりとはいえなかったな。やっぱり俺の選んだ「ゾンビーノ」(まだ観てない)に期待だ。
テルミン購入
今更ながらという感じですが、今日、光が丘の駅前で見つけたので買いました。
“大人の科学マガジン Vol.17 ( テルミン ) (Gakken Mook)” (大人の科学マガジン編集部)
こないだDVDで“テルミン” を観たので、またテルミン熱が再燃していたところでした。
緊急告知:The Yes Menが動き出した
秘密会員の諸君ならもう見知っていようが、The Yes Menが動き出した。前回のハリバートンネタに続いて、今度も企業が標的らしい。作戦開始予定は2週間後。
とりあえず寄付してきた。
ランボー4
ランボ−4なんてものが公開されるそうですね。公開予定が2008年の5月ですから、まあ今から何もいえるようなことはないのですが。
ランボー評論家のかみさんがいうには、ランボーは童貞だそうです。ランボ−2で童貞喪失筆おろし寸前までいくのですが、そこは童貞の悲しさ、もたもたしているうちに相方さんが死んでしまい、ランボーは叫び咽び泣くそうです。
イライジャ・ポップ
ここだけは真面目な、onionのA.V. Clubの記事より。イギー・ポップのStooges時代近辺を描いた伝記映画でイギー・ポップを演じるのは、イライジャ・ウッドになるそうな。こちらはヴァラエティの記事。
A.V. Clubのコメント:「He’s the perfect height at least.」
Jerry Fuckwell
映画『ラリー・フリント』にも出てきた、テレビ伝道師ジェリー・フォルウェルを茶化した雑誌「ハスラー」の偽広告。BoingBoingの記事でみたけどWikipediaにちゃんと写真と全文の引用があったので驚いた。ジェルー・フォルウェルが初体験を語る、という内容。ちなみに相手は母親。
ジェリー・フォルウェルは、911テロのときに、これは神がアメリカのゲイを罰したんだと発言したアメリカン・ファシスト。ハスラーに負けず何度もフォルウェルをネタにしてきたOnionは、彼が死んだので今度は偽世論調査ページで取り上げていた。曰く:
「この件ではどうやってACLUに文句をつけるのか見物ね」
「ボクのリバティ大学のオンラインクラスは今日でキャンセルされちゃうの?」
「彼は主の御言葉を説教することに全てを捧げ、それゆえに御国で讃えられるのだ…もちろん、あいつがなんでもかんでもみんな間違ってた場合は違うけど」
ACLUはアメリカの人権団体。リバティ大学はフォルウェルが創設した大学。